Sightsong

自縄自縛日記

本橋成一『炭鉱<ヤマ>』

2015-02-13 07:40:45 | 九州

銀座ニコンサロンで、本橋成一さんの写真展『炭鉱』が開かれている。

ここに収められているのは、九州と北海道の炭鉱。筑豊では、あの上野英信さんに案内されたのだという。

狭く真っ暗な中での炭鉱労働、素っ裸になっての着替え、炭鉱住宅の子どもたち、悲惨な炭鉱事故の後。もちろん貴重な記録なのだが、写真群から漂ってくる空気は、暗く厳しい社会のルポが放つものとは明らかに違っている。真っ暗な坑道の中では、爆発防止タイプのストロボを持っていない写真家のために、男たちがヘッドランプの光を集めてくれたのだという。子どもたちの文字通り屈託ない笑顔も、オトナの写真家に向けられたものではない。つまり、本橋さんの人柄のようなものが表れた写真群だと思えるのだがどうか。

●参照
本橋成一『バオバブの記憶』
池澤夏樹・本橋成一『イラクの小さな橋を渡って』
本橋成一『魚河岸ひとの町』
本橋成一『写真と映画と』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』


WHOトリオ@新宿ピットイン

2015-02-12 23:35:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインに足を運び、WHOトリオの演奏を観た(2015/2/11)。目当てはフリーの猛者、ジェリー・ヘミングウェイ

Michel Wintsch (p)
Gerry Hemingway (ds)
Bänz Oester (b)
Guest: 八木美知依 (箏)

駆けつけたとは言っても、これまで、ヘミングウェイのドラミングの個性が、腑に落ちていたわけではない。だが、はじめてその演奏を目の当たりにして、やはり独特だったのだなと思った。

かれのドラミングは、モダンジャズのスイングや大きな円環のようなものとは性質が異なるのだ。そうではなく、時間の連続性から解き放たれて、ひとつひとつが互いに独立したような音を発していき、時間はその都度創出される。そしてそのスタイルは、アウトボクサーのようでもあった。スイングや連続性に対して過激なアンチテーゼを示したアンソニー・ブラクストンと長く共演してきたことも、納得してしまう。

最初のステージはトリオでの演奏だったが、後半、八木さんが入ったことが刺激剤になったようで、さらに面白い相互反応があった。

●参照
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』
レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』


ホセ・ジェイムズ@新宿タワーレコード

2015-02-12 01:30:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿のタワレコに足を運び、来日中のホセ・ジェイムズのインストアライヴ。

Jose James (vo, g)
坪口昌恭 (key)
黒田卓也 (tp)(③のみ)

坪口昌恭さんのキーボード、強いタッチのブルースがやたらとカッチョ良い。曲は、新作にあわせて、「Fine and Mellow」、「I Thought About You」、「God Bless the Child」と、ビリー・ホリデイゆかりの歌を3曲。さらに3曲目には、サプライズとして、黒田卓也さんが現れてトランペットを吹いた(ジェイムズがふざけて表情が和むのが愉快)。そして、アンコールに応えて、ひとりでギターを弾きながら「Come to My Door」。

それにしても、ホセ・ジェイムズの声にうっとりさせられる。木を磨いた表面を思わせるなめらかさだ。

ビリー・ホリデイに捧げた新作『Yesterday I Had the Blues』もじっくり聴くことにしよう。


辺見庸『反逆する風景』

2015-02-11 10:52:40 | 思想・文学

辺見庸『反逆する風景』(鉄筆文庫、原著1995年)を読む。

言ってみれば、小難しい人による思い付きの放言集、斜め読みで付き合う他はない。もう「どうでもいい」。「どうでもいい」のではあるが、芥のなかからしぶとい生命力を感受せざるを得ない。それはしばしば、斜に構えており、露悪や狂気にもみえるものでもあるのだが。

「世界とは、いずれ私というなまくらな目で眺められたなにものかなのであり、なにか書き記すかぎり、私がいまある場所こそが世界の臍であり、中心なのである。」

少なくとも、世界の違和感や破綻や生々しい切り口を凝視し、それにより残る痕跡がいかにつまらぬものであっても身体と脳のどこかに抱え持っている限り、その精神は、おかしなつるりとしたもののなかに取り込まれることはない。・・・と、あらためて信じるために、放言に付き合うようなものかな。

●参照
辺見庸の3・11 『瓦礫の中から言葉を』


齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』

2015-02-11 10:20:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感 live at 星誕音楽堂』(おーらいレコード、1999年)を聴く。

Michel Doneda (ss, sopranino sax)
齋藤徹 (b)

このふたりの他の演奏がそうであったように、この記録も不思議な感覚に満ちている。

定型と不定形を行き来(ああ、往来か)する音楽に接したときには、思わぬイメージが現れ出てくるものだ。ここで脳内に出現したものは有機物のプール、または生命が誕生したころの原初の海。そのプールに、テツさんのコントラバスが絶えず衝撃を与える。そうすると、ドネダのサックスはぐちゃぐちゃの中からさまざまな生物の形になって水面にあらわれ、躍る。ときに、その生物は韓国の金石出のようにも見える。共振の記録である。

また別のときに聴いたら、森とか風といったものをイメージするかもしれないが。

●参照
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』
齋藤徹、2009年5月、東中野
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』
映像『ユーラシアンエコーズII』
ユーラシアンエコーズ第2章
ユーラシアン・エコーズ、金石出


クリス・ポッター『Imaginary Cities』

2015-02-10 07:39:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・ポッターが「アンダーグラウンド・オーケストラ」を率いた作品『Imaginary Cities』(ECM、2013年)を聴く。

 

Chris Potter (ts, ss, bcl)
Adam Rogers (g)
Craig Taborn (p)
Steve Nelson (vib, marimba)
Fima Ephron (bass g)
Scott Colley (b)
Nate Smith (ds)
Mark Feldman (vl)
Joyce Hammann (vl)
Lois Martin (viola)
David Eggar (cello)

何が「アンダーグラウンド」なのかとツッコミを入れてしまいたくなるほど、表通りを堂々として闊歩する作品である。

ポッターの個性は今までよくわからず、実は今もよくわからないのだが、ここまで完璧に朗々と吹くのを聴くと、もう完璧だと思わざるを得ないのである。

曲もいい。局面によって、ネルソンのヴァイブ、ロジャースのギター、フェルドマンらのストリングス、テイボーンのピアノ、スミスのドラムスなどが主張する、そのアンサンブルも素晴らしい。感服、参りました。

●参照
デイヴ・ホランドの映像『Jazzbaltica 2003』(ポッター、ネルソン参加)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(ネルソン参加)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(ネルソン参加)
デイヴ・ホランド『Prism』(テイボーン参加)
『Rocket Science』(テイボーン参加)


『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』

2015-02-09 07:20:54 | 政治

NNNドキュメント'15」枠で放送された『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015/1/25放送、秋田放送制作)(>> リンク)を観る。

主役は、ジャーナリストのむのたけじさん。

むのさんは20歳を過ぎて新聞社に就職し、従軍記者として活動、30歳のときに敗戦を迎えている。そこで視た戦争の実態と、大本営発表をそのまま流す新聞との大きな乖離。むのさんは間もなく新聞社を辞し、自らはじめた新聞や執筆、講演などの活動によって、「戦争反対」を今にいたるまで続けている。

講演でのむのさんの声は、ほとんど「叫び」に近い。これは、多くの聴く者の内奥まで浸透しているに違いない。

1994年に辺野古を訪れた、むのさんの映像がある。キャンプ・シュワブとの境界は鉄条網であり、平和を祈るメッセージを記したリボンがたくさん結わえられている。しかし、その時点で既に非人間的であった鉄条網は、今や、さらに人間性のかけらもないフェンスに変わった。辺野古の浜でむのさんが会話していた金城祐治さんも、辺野古反対運動のさ中に亡くなっている。そして、事態はさらにあやうい方向へと進んでいる。

●NNNドキュメント
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』

2015-02-08 22:20:55 | 政治

玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢 志を継いだ青年たちの物語』(平凡社新書、2012年)を読む。

大川周明。戦前のアジア主義者として高名な存在だが、頭山満、内田良平、宮崎滔天らと同様に、正体のつかめぬ妖怪的な印象が強い(もっとも有名なのは、東京裁判のときに後ろから東條英機の頭をはたいた事件かもしれない)。大川周明にゆかりのあるOさんに訊ねると、多産の大川家にあって子を残さなかった大川周明は異色であったとのこと。そのかわりに、大川塾(東亜経済調査局附属研究所)において、多くの思想的な子たる人材を輩出した。

本書は、大川塾の塾生たちによる戦前・戦中の活動を描く。かれらは、外務省や軍部の支援のもと、商社の派遣社員や軍の機関のスタッフなどとして、仏領インドシナ、タイ、ビルマ、インドなどに潜入した。その目的は、情報収集であり、日本の「南進」のための事前工作であった。(東南アジアへの「南進」が、アメリカに資源の輸出を絶たれたことなどによる資源獲得の侵略戦争であったことはよく知られている。)

一方では「アジア解放」という大義があり、大川周明も、大川塾の面々も、ひょっとしたらそれを信じていたのかもしれない。しかし、如何に高邁な思想があろうとも、「南進」は大川自身の戦略としてあった。また、結果として、「独立」は侵略のための鼻先のニンジンとして使われたことは否定できないだろう。タイは日本の軍事的脅威によってやむを得ず協定を結び、ビルマの独立運動家たち(アウン・サンなど)は日本と同調しつつも最後には抗日放棄し、インドの独立運動家たち(両ボースなど)は日本の帝国主義を肯定していた。すなわち、軍にいいように利用されたという結論では不十分で、アジア主義なる思想が侵略的・パターナリズム的な要素を孕んでいたということになろう。

そのことは、本書に引用されている塾生たちの言葉にあらわれている。

「日本がアジアを解放したのか?(戦争と独立の関係は)たまたまではないと思う。でも向こうの人たちはたいてい”日本のおかげ”とは思っていないでしょう」
「東亜の解放というのは、スローガンではあっても、軍の本当のインテンションではなかったと思います」
「日本人は”われわれの指導のもとに”と考える。だから土地の人と馴染むことができないんです。日本が盟主?それは間違いですよ」
「日本軍の勝利があって独立があるのだという姿勢には嫌悪しか覚えなかった」

それはそれとして、この眩暈がするほどのヴィジョンと先駆性には、読んでいて圧倒される。この水準は簡単に切り捨てることができるようなものではないだろう。

最近、いとうせいこう氏のツイッターに、以下のようなものがあった。

●参照
中島岳志『中村屋のボース』(大川周明はボースを匿った)
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』(大川周明が張学良を扇動したとある)
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
波多野澄雄『国家と歴史』


オーティス・ブラウン三世『The Thought of You』

2015-02-08 11:31:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

オーティス・ブラウン三世『The Thought of You』(Revive/Blue Note、2014年)を聴く。

Bilal Oliver (vo)
Gretchen Parlato (vo)
Nikki Ross (vo)
John Ellis (ts, bcl)
Keyon Harrold (tp)
Shedrick Mitchell (hammond B3 organ)
Nir Felder (g)
Robert Glasper (p, fender rhodes)
Ben Williams (b)
Otis Brown III (ds, cymbals, perc)
Derrick Hodge (perc)

わたしは、どちらかと言えば「ワン・イシュー物」、あるいは「どや顔物」、すなわちギミックを最低限にして固定メンバーで演奏を繰り広げたようなものが好みであり、この盤のように、曲によってメンバーが入れ替わりたちかわり工夫を凝らすようなものには食指がのびない。しかし、評判もいいし、アウトレットだったこともあって聴いてみたところ、悪くない。

ロバート・グラスパーのピアノは宝石のようであるし、ヴォーカルの面々はスタイリッシュ。シェドリック・ミッチェルのハモンドもテイストとして旨くないわけがない。食材もレシピも最高だったというところか。食わず嫌いはよくない。

そして柔軟で自由に聞こえるブラウン三世のドラムス。BGMとしてではなく、耳をかれのドラムスに追従させていくと、凄くエキサイティングである。


武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』

2015-02-07 08:30:05 | 中国・台湾

ソウルで、武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』(ちくま学芸文庫、原著1968年)を読了。革命家・秋瑾の伝記である。このような作品を淡々と出す筑摩書房は偉い。

秋瑾は、漢民族を抑圧する清国政府の打倒を目指し、浙江省・紹興で活動した。1907年逮捕、同年処刑。

辛亥革命よりも前にこの世から姿を消し、また、辛亥革命に直接は関与しなかったために、さほど知られているわけではない。しかし、その活動は今では評価されているようで、紹興では大きな白い像を見た記憶がある。

武田泰淳は、酔っ払いのようによたよたとした文章で、極めてアンバランスな心を持って動いた秋瑾のことを描く。書く方も書かれる方もあやうい。

それによれば、秋瑾にとって、革命とは自らの死そのものであった。情勢が有利でないときに戦略的に雌伏して時が来るのを待つようなことは、彼女の美学には反していた。従って、孫文の革命とは相いれなかったし、革命を成功させることもなかった。仮に成功させていたとしても、安定的な政権運営などは無理だっただろう。しかし、武田泰淳は、社会の変革には、そのようなやみくもな力が必要だったのだとしている。冷静に考えるだけでは足りないのだというわけである。もっとも、それは論理もあやしい武田泰淳の言うことである。

秋瑾や、その他大勢の残したものが積み重なり、新たな民国政府が樹立された。その前後、秋瑾の活動に関係のあった者がやはり処刑されたりもしている。いちどは「NO」を突き付けられた者たちが、いつの間にかふたたび権力の座に収まったためだ。魯迅はこのことを指して、「水に落ちた犬(落走狗)は打たねばならぬ」との主張をした。

どうしても日本の現状と重ね合わせてしまうのだがどうか。

●参照
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
藤井省三『魯迅』
大島渚『アジアの曙』
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』


デミアン・チャゼル『Whiplash(セッション)』

2015-02-07 07:40:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

ソウル・金浦から羽田への帰国便で、デミアン・チャゼル『Whiplash』(2014年)を観る。この4月には、『セッション』という邦題で日本公開されるようである。

アメリカの名門音楽学校。ジャズドラマーを志す少年に、ビッグバンドを率いる教師が目をかける。教師の信念は、「セッションでうまくなかったチャーリー・パーカーにジョー・ジョーンズがシンバルを投げつけ、笑いものにしたからこそ、巨人バードが生まれたのだ」ということ。少年は、それ以上に異常なほど苛烈なスパルタ教育を受ける。やがて破滅が訪れ、少年も教師も学校を去る。

その後、ライヴハウスで教師に再会した少年は、ジャズフェスでかつて演奏した曲で叩かないかとの誘いを受ける。しかし、それは罠だった。

ジョン・パティトゥッチだったかミロスラフ・ヴィトウスだったかが、「来る日も来る日も楽器の練習ばかりして、友達もいないし他のことも何一つできない。だけど、それだからこそ世界的な音楽家と共演できているんだよね」などといった発言をしたという話を聞いたことがあるが、まさにそれを絵に描いたようなプロットである。言ってみれば、ジャズ版『巨人の星』。教師と少年との愛憎入り混じる感情もヘンタイ的に描かれている。

ああ怖い、こうでもしなければ一線級のジャズ演奏家にはなれないのかしら。


ソウルのオモニチプ

2015-02-07 01:00:54 | 韓国・朝鮮

韓国料理を食べるたびに元気が出る。どんよりした気分のときに新大久保のコリアンタウンでサムギョプサルを食べて激しく回復したこともあるし、今回モンゴルでひどい二日酔いのときにテールスープを飲んで、やはり栄養が身体に行き渡るようだった。不思議なことである。

そんなわけで、所用で帰路に一泊したソウルでは、明洞の「オモニチプ」という店で海鮮料理をいろいろと食べて、また元気が出た。ぴくぴくと動く活きダコはよく噛まないと口の中にへばりつく。カンジャンケジャンはしみじみ旨く、残り汁をご飯にかけてさらに味わった。めでたしめでたし。


カンジャンケジャン


活きダコ


海鮮鍋、カニとかタラ(明太)とか白子とかムール貝とか


ナチポックム


出るときにヤクルトをもらった

●参照
赤坂の兄夫食堂再訪、新大久保のモイセ
赤坂コリアンタウンの兄夫食堂
荻窪のコチュナム
韓国冷麺
枝川コリアンタウンの大喜
鶴橋でホルモン(与太話)
旨いウランバートル(Biwon)
旨いウランバートル その2(Sorabol)


旨いウランバートル その2

2015-02-06 00:52:47 | 北アジア・中央アジア

4回目のウランバートル。マイナス20度を下回る中をうろうろするわけにはいかないため、あまり探索はできない。


チンギス広場(スフバートル広場)にはスケートリンク


足跡が見える


ヘンな霜

■ Jade Palace (広東料理)

Blue Sky Hotelの中にある。広東料理と言っても、「Hot Pot」のビュッフェだけである。スープの種類と肉を2種類指定したら、固形燃料で加熱する個人用の鍋が出てきて、そこに野菜を大量に投入。乾燥カニカマがあって吃驚した。

■ Irish Pub

何料理の店かよくわからないが、とりあえず夜はパブ風の飲み屋になり、昼はモンゴル料理のランチが食べられる。

典型的な山羊のミートパイも、シーバックソーンの温かいジュースも旨い。

■ ウクラインスカ (ウクライナ料理)

前回あまりにも旨かったので再訪。ただし、最初に頼まずとも出てくる「サーロ」(豚肉の脂肪の塩漬け)は苦手すぎて食べられない。

やたらとサワークリームを使っていて、餃子にもかけているが、これがまた旨い。そして、目当てのキエフカツレツ(チキンとチーズ)は、切ると肉汁が飛び出してきてたまらなく旨い。

こんなに口にあうウクライナ料理、東京にもあるだろうか。


サーロ


餃子


キエフカツレツ

■ 京泰飯店 (中華料理)

普通の中華料理。

■ Silk Road (オシャレモンゴル料理)

仕事仲間が開いてくれた飲み会。チンギスビールとか、何とかいう濁りビールとかを飲みすぎて泥酔、翌朝ハングオーバー。モンゴルで酔いやすいのは、標高が高いせいもあるが、どうもビールが回りやすく残りやすいせいもある、ようなのだ。


ラムステーキ

■ Sorabol (韓国料理)

2週間前に開いたばかりだという新しい店。テールスープを飲んだら、二日酔いがかなり治った。韓国料理は偉大である。

■ Zen (日本料理)

Blue Sky Hotelにある日本料理店。Meat Combo Bentoというものを食べたのだが、やたらと味気のないトンカツが多く・・・。う~ん。

■ Pyongyang Baekhwa restaurant (北朝鮮料理)

ここも前回感激して再訪。極寒のなかを30分くらいさまよい歩いてたどり着いた(よくわからないマンションの中にあって発見しにくいのだ)。着く頃には足が冷え、頭がキンキンとしていた。

相変わらず料理はハイレベル。ここなら何度でも通いたい。残念ながらランチタイムには歌や踊りはなかったのだが、申し訳ないと言ってアイスをサービスしてくれた。


ユリ根?


骨付き豚肉の甘辛煮


キンパ


黒い餃子


カルビタン


パフォーマンスはお休み

●参照
旨いウランバートル


水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』

2015-02-02 09:36:11 | 韓国・朝鮮

ウランバートルに来る機内で、水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書、2015年)を読む。著者の文京洙さんには、『済州島四・三事件』という著作もある。

韓国併合(1910年)から日本の敗戦・解放(1945年)を経て現在にいたる、在日コリアンの通史である。

関東大震災後の朝鮮人虐殺(1923年)、植民地朝鮮の産業育成のねらい(それを良しとする結果論があまりにも歪んでいること)、朝鮮人強制連行の「狭義の強制性」という言説の空疎さ、解放後の移動、日米による棄民化政策、北朝鮮帰国運動の歴史的意味、在日朝鮮人文学の意義などがよくまとめられており、こうして通して読むと得るところが大きい。良書、推薦。

敢えて言えば(通史ゆえ、それは無い物ねだりなのだろうけれど)、創氏改名と通名についての経緯、張赫宙の国策への協力、日本への帰化と永住権取得の選択についての悩み、韓国人・他の朝鮮族と在日コリアンとの意識の違い、拉致問題の政策への取り込みについても触れてほしかったところ。

●参照
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』
野村進『コリアン世界の旅』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
尹健次『民族幻想の蹉跌』
朴三石『知っていますか、朝鮮学校』
朴三石『教育を受ける権利と朝鮮学校』
朴三石『海外コリアン』、ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』
『世界』の「韓国併合100年」特集
徐京植『ディアスポラ紀行』
外村大『朝鮮人強制連行』
朝鮮族の交流会
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
『東京のコリアン・タウン 枝川物語』
道岸勝一『ある日』
枝川でのシンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」
テッサ・モーリス=スズキ『北朝鮮へのエクソダス』
菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真
尹東柱『空と風と星と詩』
安宇植『金史良』
金史良『光の中に』
青空文庫の金史良
金達寿『わがアリランの歌』(金史良との交流)
『金達寿小説集』
金達寿『玄海灘』
金達寿『朴達の裁判』
金達寿『わがアリランの歌』
李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』
李恢成『流域へ』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
文京洙『済州島四・三事件』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
梁石日『魂の流れゆく果て』
朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』
金芝河のレコード『詩と唄と言葉』
仲里効『悲しき亜言語帯』
井筒和幸『パッチギ!』
井筒和幸『パッチギ!Love & Peace』
林海象『大阪ラブ&ソウル』
大島渚『忘れられた皇軍』
荒井英郎+京極高英『朝鮮の子』
阪本順治『KT』 金大中事件の映画
T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』