Sightsong

自縄自縛日記

「万年筆の生活誌」展@国立歴史民俗博物館

2016-03-21 22:31:45 | もろもろ

佐倉市の国立歴史民俗博物館まで足を延ばし、「万年筆の生活誌 ― 筆記の近代 ―」展を観てきた。

「Fountain Pen」がなぜ「泉筆」でなく「万年筆」と意訳されたのか。そこには、おそらく、毛筆からの転換という意気込みがあった。やがて公的文書へのインクの使用が認められ、また、一般市民が記録するという近代ならではのことばのあり方も相まって、万年筆は日本において爆発的に広まっていく。

毛筆やつけペンよりも遥かに便利でモバイル的。しかし、単なる実用品としてだけではない。夏目漱石は依頼されて「余と万年筆」という面白いエッセイを書いているのだが、そこで「オノト」を使っていると書いたばかりに、後に続く文士たちにとって憧れのブランドとなった(だからこそ、いまだに丸善がオノトの形をした復刻版を出している)。

会場には、さまざまな文筆家たちが使った万年筆が展示されている。もはや漱石のことなど意識しなかったであろうが、文化的にはつながっているわけである。沖縄の施政権返還に関わった大濱信泉は、パーカーのシズレ。柳田國男は、プラチナのシンプルなもの。宮本常一は、パイロットのシンプルなもの。字がとても小さい。ブレヒトの翻訳で有名な岩淵達治は、モンブランのマイスターシュテュック。ただ胴軸が割れており、ガムテープをぐるぐる巻きにしている。こうして見ると、日本人には細字が合っていたのかなという気がしてくる。

近代は戦争の世紀でもあった。戦地から「内地」に出す葉書も万年筆で書かれることが多く、そうなるとやはり細字が好まれただろう。会場には、沖縄戦の犠牲者が持っていたものも展示されている。今なお、沖縄では遺骨とともに万年筆が掘り出されている(沖縄の渡口万年筆店)。

日本の三大万年筆メーカーといえば、セーラー、パイロット、プラチナである。実は、ほかにたくさんの中小の万年筆メーカーがあった。何だ、日本の二眼レフカメラと同じではないか(頭文字がAからZまで揃うと言われた)。大きなところも中小も、いま見ても実にハイセンスなものが少なくない。ほとんど眼福である。いいものを見せてもらった。

ところで、図録が非常に充実していて、我慢できずに買ってしまった。帰りの電車でぱらぱらとめくっていると、また夢中になってしまう。サブカルチャーにおける万年筆を論じたコラムまである。

●参照
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
万年筆のペンクリニック(4)
万年筆のペンクリニック(5)
万年筆のペンクリニック(6)
万年筆のペンクリニック(7)
本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆
沖縄の渡口万年筆店
鉄ペン
行定勲『クローズド・ノート』
モンゴルのペンケース
万年筆のインクを使うローラーボール
ほぼ日手帳とカキモリのトモエリバー
リーガルパッド
さようならスティピュラ、ようこそ笑暮屋


エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』

2016-03-21 09:36:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(clean feed、2014年)を聴く。そのうちにと思っていたら、運よく、新宿ディスクユニオンの千円棚にあった。

Eric Revis (b)
Chad Taylor (ds)
Bill McHenry (ts)
Darius Jones (as)
guest:
Branford Marsalis (ts)

エリック・レヴィスは鋼鉄の指を持つベーシスト。今年、新宿ピットインでオリン・エヴァンスとのデュオを観て、感心してしまった。剛の指と剛の体躯により、揺るがずホールドされたベースから重たい音が発せられる。本盤を貫いているムードもそれである。

ビル・マッケンリーもダリウス・ジョーンズも良い音色で吹いているし、2曲で参加しているブランフォード・マルサリスの巧みな滑らかさはさすがである。それはいいとして、参加者のオリジナルの他には、せっかくサニー・マレイやサン・ラのオリジナルも演奏しているのに、全体として同じようなダークな曲調になっていて何だか退屈なのだ。

●参照
オリン・エヴァンス+エリック・レヴィス@新宿ピットイン(2016年)
カート・ローゼンウィンケル@Village Vanguard(2015年)(エリック・レヴィス参加)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)(エリック・レヴィス参加)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)(ビル・マッケンリー参加)
アダム・レーン『Absolute Horizon』(2010年)(ダリウス・ジョーンズ参加)
ダリウス・ジョーンズ『Man'ish Boy』(2009年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)(チャド・テイラー参加)
マーク・リボー『Spiritual Unity』(2004年)(チャド・テイラー参加)
Sticks and Stonesの2枚(2002, 03年)(チャド・テイラー参加)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)(ブランフォード・マルサリス飛び入り参加)
ハリー・コニック・ジュニア+ブランフォード・マルサリス『Occasion』(2005年)
デイヴィッド・サンボーンの映像『Best of NIGHT MUSIC』(1988-90年)(ブランフォード・マルサリス登場)


ウィリアム・フッカー『Shamballa』

2016-03-21 00:52:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・フッカー『Shamballa』(Knitting Factory Works、1993年)を聴く。

William Hooker (ds)
Thurston Moore (g)
Elliott Sharp (g)

(ソニック・ユースの)サーストン・ムーアとのデュオ、エリオット・シャープとのデュオ。

これはもう、痺れるとしか言いようがないのである。ふたりのギタリストを比較すると、微妙な綾を提示するエリオット・シャープも悪くないのだが、何しろサーストン・ムーアのクールで知的な全ノイズには動悸動悸する。そしてウィリアム・フッカーの、寄せては返す波濤のような、重戦車のようなドラムス。

聴いていると意味なく元気が出てくる。今後はこれを聴いてテンションを高めることにしよう。

●参照
ウィリアム・フッカー『LIGHT. The Early Years 1975-1989』


トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』

2016-03-20 23:39:10 | 環境・自然

トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫、原著2011年)を読む。

何だかよくわからないが、著者は、トースターを全部自分で作ってみようと思い立った。部品を買ってきて組み立てるのではない。部品のマテリアルからすべて作るのである。

まずは真似の基本、リバース・エンジニアリング。安物であっても、トースターの中には実にさまざまな素材によるさまざまな部品が入っている。

鉄は、鉄鉱石を調達してスーツケースに詰め込んで帰り、手製の炉で精錬。しかし、コークスを使った還元と、燃焼させるための酸素の供給とのバランスの解決がうまくいかない。銅は、銅鉱山の強酸性の水をタンクで持って帰り、電気分解。ニッケルは、ebayで硬貨を調達して溶かす(なんて罰当たりな)。筐体のプラスチックは、原油から精製して作るなんてできるわけもなく、じゃがいもからバイオマスプラスチックを作ろうとしたが挫折。結局、化石燃料だって過去の時代のものが溜ってできたものだし、ということで、無理やり相対化して、人間時代の遺物であるプラごみを溶かして型に流し込む(その型だって高温に耐えられるよう、丸太を削った力技)。

面白く、ときどき声を出して笑いそうになってしまう。なんてことない安物の部品であっても、そのすべてに文明の歴史と工学技術が詰まっている。著者は、この過激なる実践によって、それを体感し、巨大化した産業社会の姿を垣間見るわけである。さらには、正当なコストの反映や、環境の外部費用の内部化といったことについて思索する。

完成品は、表紙にある現代美術風のものである。はたしてこれを使い、パンに、旨さのしるしであるメイラード反応を与えることができるのか。それは読んでのお楽しみなのだが、まあ、どちらでもよいことだ。

抽象的に環境問題や社会変革をとらえることの限界を感じるためにも推薦。


ヘンリー・スレッギル(12) 『Old Locks and Irregular Verbs』

2016-03-20 10:59:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギル『Old Locks and Irregular Verbs』(Pi Recordings、2015年)を聴く。

Henry Threadgill (composition)
Jason Moran (p)
David Virelles (p)
Roman Filiu (as)
Curtis MacDonald (as)
Christopher Hoffman (cello)
Jose Devilla (tuba)
Craig Weinrib (ds)

新グループ「Ensemble Double Up」ではこれまでとは違って、スレッギルは作曲に専念している(クルト・ヴァイル曲集『Lost in the Stars』において1曲だけ参加した「The Great Wall」でも同じような形ではあったけれど、とにかくこれはフルアルバムなのだ)。ブッチ・モリスの「Conduction」に捧げられたものであり(たとえば『Possible Universe / Conduction 192』)、モリスの発展が今後のスレッギルの方向ということかもしれない。

かれのアルトを聴けないのは残念だが、ジャック・デジョネット『Made in Chicago』(2013年)やワダダ・レオ・スミス『The Great Lakes Suites』(2014年)などの最近の吹き込みにおいて、かつての時空間を切り裂くパワーが衰えていることは事実であり、作品を出してくれるだけで歓迎である。

編成は近年の「Zooid」からずいぶん変化している。チェロのクリストファー・ホフマンとチェロのホセ・デヴィラは継続だが、何しろアルトがふたり、ピアノがふたり。他のアルト奏者を入れることも寂しいような気がするが、それは置いておいても、ピアノを入れるのはあまりなかったのではないか。マイラ・メルフォードやアミナ・クローディン・マイヤーズの名前を思い出すくらいである。

そんなわけで不安と期待を感じつつ聴いてみたところ、紛れもなくスレッギルの音楽である。これまで通りチューバやチェロを入れたアレンジはスレッギル得意のものだっだが、ピアノもアルトもスレッギルの雰囲気を再構築する。演奏のフォーカスは、ピアノに、チェロに、チューバに、アルトにと自在にシフトしていく。ただ、ピアノとアルトとに依存する分、これまでの低音アンサンブルの異常なる緊密性がさほどでもないような印象がある。ということは、今後のこのグループでの発展が楽しみだということでもある。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1)
ヘンリー・スレッギル(2)
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス
ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー
ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ
ヘンリー・スレッギル(11) PI RECORDINGSのズォイド
ワダダ・レオ・スミス『The Great Lakes Suites』
ジャック・デジョネット『Made in Chicago』


ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』

2016-03-20 00:56:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(Not Two、2012年)を聴く。

Rodrigo Amado (ts)
Joe McPhee (pocket tp, as)
Kent Kessler (b)
Chris Corsano (ds)

ロドリゴ・アマドは濁ってブルージーなテナーサックスを吹き続け、ジョー・マクフィーがポケット・トランペットとアルトサックスとでこれに応じる。持てる力を限られた時間のセッションに注ぎ込む、フリージャズらしいフリージャズとでも言うのだろうか。

この中でもっとも印象的はプレイヤーは、ドラムスのクリス・コルサーノだ。素早く、鋭く、繊細で、一音一音の分解性が良いばかりかその一音ごとの響きがとても綺麗なのである。

●参照
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy(2013年)
ジョー・マクフィー『Sonic Elements』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)(ジョー・マクフィー参加)
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』(2009年)
『Tribute to Albert Ayler / Live at the Dynamo』(2008年)(ジョー・マクフィー参加)
ジョー・マクフィーの映像『列車と河:音楽の旅』(2007年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)(ジョー・マクフィー参加)
クリス・コルサーノ、石橋英子+ダーリン・グレイ@Lady Jane(2015年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)


ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』

2016-03-20 00:15:00 | 北米

amazonプライムで、ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』(2000年)を観る。

いや馬鹿馬鹿しい。金持ちのプレイボーイとか美少女の不治の病とか、ベタベタのネタを並べてみた感じ。濡れ場の処理はお決まりの「小鳥が飛ぶ朝」とか「すりガラス」。このダメ極まりない演出に、どうしようもないイモ俳優のリチャード・ギア。目当てはウィノナ・ライダーだったのだが、キャラ作り過多の演出で痛々しい。

ところで、リチャード・ギアの生き別れた娘が働く場所が「ネイティブ・アメリカン博物館」だが、見たところ、マンハッタン最南端にある国立アメリカ・インディアン博物館である。この名称については「ポリティカリー・コレクト」ではないとの議論があったというが、その意識があったのかどうか。


エスペランサ・スポルディング『Emily's D+Evolution』

2016-03-19 08:37:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

エスペランサ・スポルディング『Emily's D+Evolution』(Concord Records、2016年)を聴く。

Esperanza Spaulding (vo, b, p)
Matthew Stevens (g)
Justin Tyson (ds)
Karriem Riggins (ds)
Corey King, Emily Elbert, Nadia Washington, Fred Martin, Katriz Trinidad, Celeste Butler, Kimberly L. Cook-Ratliff (background vo)

エスペランサは以前の素朴な服とアフロヘアーから、派手なメガネとアミアミのヘアーに激イメチェンしていて、さぞ新作も野心的な大作かと思ってのぞんだところ、それはいい意味に裏切られた。

知的な女の子がベースを弾きながら、大きな口を開けて、息遣いとともに歌うという点ではこれまでと同じ。発散するのは「もうひとりの自分」という、フェミニンな個的世界観であり、いやイイね。

シンプルな編成で、ジャズもポップスもロックも混ぜこぜ。きっといろいろな音楽を聴いて愛してきたからこその音楽なのであり、これをもってジャズだとか何だとかいうことがあまりにも無駄に思える。

基本的にはエスペランサ、マシュー・スティーヴンスのギター、ジャスティン・タイソンかカリーム・リギンスのどちらかのドラムス、それにバックグラウンドのヴォーカル。日本盤にはボーナス・トラックが3曲付いていて、このメリットは「Unconditional Love」の別ヴァージョンが入っていることで、タイソンとリギンズのドラムスを聴き比べられる(アレンジのアプローチも違うのだが)。わたしはどちらかと言えば、いろいろな工夫を繰り出してくるリギンズが好み。

●参照
トム・ハレル『Colors of a Dream』(2013年)(エスペランサ・スポルディング参加)
エスペランサ・スポルディングの映像『2009 Live Compilation』(2009年)


ミラン・クンデラ『The Festival of Insignificance(無意味の祝祭)』

2016-03-18 20:52:13 | ヨーロッパ

飛行機の中で読むものがなくなってしまい、ドバイの空港で、ミラン・クンデラ『The Festival of Insignificance』(Faber & Faber、原著2014年)を買った。そのときは未邦訳の新作かなと思っていたのだが、実は、『無意味の祝祭』という題で既に邦訳されていた。わたしは余っていたカタールリヤルを使って、さらに残り20米ドルを払ったのだが、邦訳版は2千円未満。それに、もともとフランス語であるから、英訳版を読むことの意味はまるでない。まあ、買ったものは仕方がないし、「無意味」と題されていることでもあるから、だらだらと読んだ。

人生に幻滅する男たち。『不滅』(1990年)がそうであった以上に、読む者をひらりひらりとかわし続ける対話と思索である。

道ですれ違う女の子たちはヘソを出している。なぜヘソに魅せられるのか。ある男は言う。ほら、女性の胸や尻のあり様はひとりひとり違って、その人の記憶と結びつくだろ。でもヘソはみんな同じようなものだろ。無意味だけどそんなもんだろ。

スターリンは、得意になって自身の考えを披露する。見えるものの背後には何もないんだよ。無意味なんだよ。それでは哲学の意味はどこに?

無意味の意味がなんであろうと、無意味が無意味であろうと有意味であろうと、それが人生。そんな達観なのだろうが、残念ながら今のわたしには余裕がないため、文字通りエクリチュールが脳の表面をつるつるすべっていくだけ。読むタイミングが悪かった。

●参照
ミラン・クンデラ『不滅』(1990年)
ミラン・クンデラ『冗談』(1967年)


守谷美由貴トリオ@新宿ピットイン

2016-03-18 20:07:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

多忙と風邪とが重なってしまうという嵐がひとまず過ぎ去り、振休を取って、久しぶりに新宿ピットイン昼の部(2016/3/18)。

Miyuki Moriya 守谷美由貴 (as)
Mamoru Ishida 石田衛 (p)
Sonosuke Imaizumi 今泉総之輔 (ds)
Guest:
Tamaya Honda 本田珠也 (ds)

オーネット・コールマン「Lonely Woman」のアルトソロで静かにはじまり、やがて、力強いブルースも、「Cat Nap」といったしっとりしたバラードも演奏した。テンションの高いときのブロウでは、マウスピースからキュッキュッという音も聴こえてとても快感。うねうねとした長いソロでは多様なフレーズがつぎつぎに繰り出されて、おおっカッコいいと思ったらドラムスの今泉さんも楽しげに反応した表情だったりして。

ベースレスのサックス・トリオのためか、サウンドから錨が取り払われていて、パーカッシブなピアノと、斧で断つような力強いドラムスとが一体となりながら火花を散らし、エキサイティングな演奏だった。今泉さんのドラムスは多彩でもあり、またとくにマレットを使った演奏ではリズムの複雑さが目立ったりしていた。

途中、「Body and Soul」の1曲で、休憩時間にDJをやっていて(デイヴ・ホランドとバール・フィリップスとのデュオなんかをかけていた)、夜の部に出演する本田珠也さんが参加した。最初は手で叩いていたが、やがてスティックを持つと、鞭のようにしなるドラミング。やはり凄い。


チェス・スミス『International Hoohah』

2016-03-18 08:18:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

チェス・スミス『International Hoohah』(fortune、2012年)を聴く。

Ches Smith (ds)
Mary Halvorson (g)
Andrea Parkins (accordion)
Tim Berne (as)
Tony Malaby (ts) 

メアリー・ハルヴァーソンの歪みギターとともにはじまり、いきなりエンジン全開。トニー・マラビーの倍音テナーは豊かを通り越して快感であり、ティム・バーンのアルトはじっくりと爪を床に立てて獰猛さを隠しながら進んでいく。それにしても、このふたりがフロントで並んで吹くなんて。

チェス・スミスのドラムスのテンションも常時高い。ヴァーサタイルで、前のめりな感覚でとても力強い。ノリノリになってきて、バーンの背後で猛然と駆けるところがあって、耳が吸い寄せられる。

この個性的な面々のプレイの中で、ふと気が付くと、ハルヴァーソンがそのあたりに浮上している。まるで鋸の鏡面に全員を映して、それをぐにゃりぐにゃりと歪めては戻すようである。

●チェス・スミス
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)

●メアリー・ハルヴァーソン
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)

●ティム・バーン
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)

●トニー・マラビー
アイヴィン・オプスヴィーク Overseas@Seeds(2015年)
ハリス・アイゼンスタット『Old Growth Forest』(2015年)
ジェシ・スタッケン『Helleborus』(2014年)
クリス・ライトキャップ『Epicenter』(2013年)
トニー・マラビー『Scorpion Eater』、ユメール+キューン+マラビー『Full Contact』(2013、08年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、13年)
リチャード・ボネ+トニー・マラビー+アントニン・レイヨン+トム・レイニー『Warrior』(2013年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas IV』(2011年)
ポール・モチアンのトリオ(2009年)
ダニエル・ユメール+トニー・マラビー+ブルーノ・シュヴィヨン『pas de dense』(2009年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
アイヴィン・オプスヴィーク『Overseas III』(2007年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』(2007年)


アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』

2016-03-17 23:30:56 | 東南アジア

アピチャッポン・ウィーラセタクン『光りの墓』(2015年)の試写会。

タイ東北地方、「眠り病」の軍人ばかりが眠る病院。そこを訪れた初老女性のジェンは、眠り男たちの魂と交流する能力者の女性や、ふと目覚めた若い眠り男と付き合う。東屋で休んでいるジェンの前に現れたふたりの美女は、この世の者ではなく、病院の地下には別の世界があるのだと教える。

眠りをパスとして、平然と同居する彼岸、あるいは平行世界。おそるべき確信犯的な長回しによって、出入口は観る者にも快く提供されている。この世に執着しうるとしたら、その鍵は性欲か。しかしそれも平行世界でも人を縛り付けているものかもしれない。そして、最後に目を見開いてジェンが見つめるものは何か。

最初から最後まで、半覚醒の状態で朦朧としながら彼岸の出入口を彷徨することになってしまったのは、疲れていたからではない。おそるべし。アピチャッポンのような天才がいれば、映画を観ることも悪くないなと思ってしまう。

●参照
アピチャッポン・ウィーラセタクン『Fireworks (Archives)』(2014年)
アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』(2010年)
アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロピカル・マラディ』(2004年)


ジョー・ヘルテンシュタイン『HNH』

2016-03-17 07:57:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・ヘルテンシュタイン『HNH』(clean feed、2013年)を聴く。

Joe Hertenstein (ds)
Pascal Niggenkemper (b)
Thomas Heberer (cor)

コルネット、ベース、ドラムスというなんら奇抜でもないフォーマットであり、聴いてみても、練習の延長線上にあるような「なで肩」セッションである。しかしそのことは、サウンドが過去のコードやノリやあり方から解脱しているように聴こえることと表裏一体。プレイ×3=トリオのサウンドというより、ひとりひとりが占める場所がためらいなく重なっている感覚か。そんなわけで、このサウンドは、インプロヴィゼーションと、インプロヴィゼーションをいつでも発芽させる土壌との両方なのであった。

ジョー・ヘルテンシュタインのガジェット感溢れるドラムス、パスカル・ニゲンケンペルの拡がりのあるベース、トーンの長さも濁り度も輝かせ方も爛漫なトマス・ヘベラーのコルネット、3人とも魅力的。

●参照
ハリス・アイゼンスタット『Canada Day IV』(2015年)(ニゲンケンペル参加)


アーサー・ブライス『Hipmotism』

2016-03-15 08:01:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

アーサー・ブライス『Hipmotism』(Enja、1991年)を聴く。

Arthur Blythe (as)
Hamiet Bluiett (bs)
Kelvin Bell (g)
Gust William Tsilis (vib, marimba)
Bob Stewart (tuba)
Arto Tuncboyaci (perc, voice)
Famoudou Don Moye (ds)

実はアーサー・ブライスのアルトはペラペラでまったく好みではなかったのだが、サイドメンに惹かれて本盤を聴いてみると、いや悪くない。樹脂が何かにへばりつくような引っ掛かりがあって、よく伸びる。そういえば、やはりあまり聴いていない『In the Tradition』なんかも、チコ・フリーマンとの共演でも、こんな感じだったかなと突然好意的に思い出したりして。あらためて聴きなおしてみよう。

ドン・モイエのノリノリのドラムスも鼓動にシンクロする感覚で良い。10月の来日が楽しみだな。

●参照
ジェフ・パルマー『Island Universe』(1994年)(ブライス参加)
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』(1992年)(ブライス参加)


AAS@なってるハウス

2016-03-14 07:51:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウスに足を運び、AASを観る(2016/3/13)。

Hideki Tachibana 立花秀輝 (as)
Koichi Yamaguchi 山口コーイチ (p)
Yutaka Kaido カイドーユタカ (b)
Jun Isobe 磯部潤 (ds)

コルトレーンの「Crescent」。やはりと言うべきか、最初のひと吹きから音圧が高くのけぞる。固いリードを使ってのパワープレイ、ときには頬や喉のまわりを膨らませているように見える。あの突き刺すような音にはどのようなヒミツがあるのだろう。文字通り、消耗するまでの全力疾走であり、カタルシスがすさまじい。

山口コーイチさんのピアノを聴いていると、サム・リヴァースのサックスを思い出してしまった。定形のリズムや韻律のようなものではなく、「でろでろ」を持ち込んで平然と「でろでろ」を展開する迫力と愉快さ。CDも聴いてみようかな。

ところで立花さんはサックスのストラップを自作したそうで、その工夫話をひとしきり披露。紐も、肩あての形も、長さ調節用の木っ端も、なかなかカッコ良い。ウェブサイトで販売される日も近い(?)。

Nikon P7800

●参照
立花秀輝+不破大輔@Bar Isshee(2015年)
立花秀輝『Unlimited Standard』(2011年)