青函トンネルは夢の中、前後の機関車交換も知らず。明け方の蟹田駅にすべり込む瞬間に目が覚めたが再び寝てしまい、起きたのは大沼の畔を走り狭戸を渡るところだった。駒ケ岳が素晴らしい快晴である。
朝の函館本線、室蘭本線は昨年12月「カシオペア」でも乗車しているので地形は目新しくないが、緑が眩しい。シャワーを浴び、食堂車で朝食を摂り、ロビーカーでダベっているとあっという間に札幌が近づいてきた。これでもう半日くらい…そう、釧路か網走くらいまで走ってくれると心底満足できるのだが。名残り惜しいが、この列車で知り合った人たちともお別れである。見事な回復運転(ってか余裕時分ありすぎ?)で札幌には定刻の到着。ロビーカー前(ここに車内スタッフが整列して出てゆく)で回送列車を見送り、インターバルに入った。
インターバルの最後は地下鉄南北線の緊急停止。大通駅で乗車列車に人が飛び込んだか落ちたのか。しばらく閉じ込められた後、2両目ドアを手動開放して降車、札幌駅まで一駅分小走りに移動。ちょうど選挙演説で「ヤワラちゃん」が来ていたがチラとみただけで駅に駆け込む。十分間に合ったがちょっとヒヤリとした。ちなみに大通駅の当事者は25歳で頭の骨を折る重傷(と翌日の新聞で読んだ)、命は助かったようで良かったのだと思いたい。ほぼオレの真下に居たみたいだからな~。
札幌から昨年は到着翌朝に「オホーツク」で網走を目指したが、本日は同日乗継。「サロベツ」で最北端・稚内を目指す。261系DCだとばかり思っていたのだが183系、スミマセン…確かに「スーパー宗谷」って列車名じゃないもんね。でも戻りを考えると時間的にこれしかチョイスがなかったのだ。3両と短いこともあって乗車率は良く、指定席は8割近く、自由席は途中区間立ち客も出るほど。
旭川から稚内までの乗車は久々なんて言葉で表せないほど。恐らくは15年ぶりとかでは…?北海道のYHで年越しをしていたころも、殆どは道央から道東あたりだったから。おかげで飽きもせず、持ってきた文庫本は1ページも手を付けられることがない。茶麻氏は例によって寝台車でよく眠れ(ら)なかったのか、時おり舟を漕いでいる。
幌延の手前から見えていた利尻富士が、抜海を抜け南稚内に至る手前でドーンと見える。宗谷本線を乗り通して来た者への祝福か、褒美か。18時11分、インターバル含め30時間余りの旅を終え到着した稚内駅はあらかた線路が剥ぎ取られ、1面1線のむごい状況。懐かしい駅舎は建て替えられるらしく、ホームの端は仮設、駅前も臨時通路状態。初めて来たのは昭和55年(1980)だったか、だとすればあれから30年が経過したことになる。
ドーム岸壁や綺麗に整備されたフェリー埠頭などを見てノシャップ岬へ、事前に時間を調べておき見事な夕陽を見られたが残念、最後は雲に隠れてしまった。まぁ「最果て気分」は多少味わって貰えた筈なのでヨシとしよう。今夜は例によって大浴場つきビジホ泊だが、いつも夕食は居酒屋に繰り出すところ二食付き。何となく良さげな雰囲気があって頼んだが正解、間違えて焼いちゃった魚までオマケして貰い、もう動けません…徹夜運転、寝台車と夜を過ごし、3日ぶりの布団が心地良い。ちなみに今日は全道で今年一番の暑さを記録したそうで、稚内も窓締め切りでは暑かった。
ホテル御園 泊
朝の函館本線、室蘭本線は昨年12月「カシオペア」でも乗車しているので地形は目新しくないが、緑が眩しい。シャワーを浴び、食堂車で朝食を摂り、ロビーカーでダベっているとあっという間に札幌が近づいてきた。これでもう半日くらい…そう、釧路か網走くらいまで走ってくれると心底満足できるのだが。名残り惜しいが、この列車で知り合った人たちともお別れである。見事な回復運転(ってか余裕時分ありすぎ?)で札幌には定刻の到着。ロビーカー前(ここに車内スタッフが整列して出てゆく)で回送列車を見送り、インターバルに入った。
インターバルの最後は地下鉄南北線の緊急停止。大通駅で乗車列車に人が飛び込んだか落ちたのか。しばらく閉じ込められた後、2両目ドアを手動開放して降車、札幌駅まで一駅分小走りに移動。ちょうど選挙演説で「ヤワラちゃん」が来ていたがチラとみただけで駅に駆け込む。十分間に合ったがちょっとヒヤリとした。ちなみに大通駅の当事者は25歳で頭の骨を折る重傷(と翌日の新聞で読んだ)、命は助かったようで良かったのだと思いたい。ほぼオレの真下に居たみたいだからな~。
札幌から昨年は到着翌朝に「オホーツク」で網走を目指したが、本日は同日乗継。「サロベツ」で最北端・稚内を目指す。261系DCだとばかり思っていたのだが183系、スミマセン…確かに「スーパー宗谷」って列車名じゃないもんね。でも戻りを考えると時間的にこれしかチョイスがなかったのだ。3両と短いこともあって乗車率は良く、指定席は8割近く、自由席は途中区間立ち客も出るほど。
旭川から稚内までの乗車は久々なんて言葉で表せないほど。恐らくは15年ぶりとかでは…?北海道のYHで年越しをしていたころも、殆どは道央から道東あたりだったから。おかげで飽きもせず、持ってきた文庫本は1ページも手を付けられることがない。茶麻氏は例によって寝台車でよく眠れ(ら)なかったのか、時おり舟を漕いでいる。
幌延の手前から見えていた利尻富士が、抜海を抜け南稚内に至る手前でドーンと見える。宗谷本線を乗り通して来た者への祝福か、褒美か。18時11分、インターバル含め30時間余りの旅を終え到着した稚内駅はあらかた線路が剥ぎ取られ、1面1線のむごい状況。懐かしい駅舎は建て替えられるらしく、ホームの端は仮設、駅前も臨時通路状態。初めて来たのは昭和55年(1980)だったか、だとすればあれから30年が経過したことになる。
ドーム岸壁や綺麗に整備されたフェリー埠頭などを見てノシャップ岬へ、事前に時間を調べておき見事な夕陽を見られたが残念、最後は雲に隠れてしまった。まぁ「最果て気分」は多少味わって貰えた筈なのでヨシとしよう。今夜は例によって大浴場つきビジホ泊だが、いつも夕食は居酒屋に繰り出すところ二食付き。何となく良さげな雰囲気があって頼んだが正解、間違えて焼いちゃった魚までオマケして貰い、もう動けません…徹夜運転、寝台車と夜を過ごし、3日ぶりの布団が心地良い。ちなみに今日は全道で今年一番の暑さを記録したそうで、稚内も窓締め切りでは暑かった。
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