日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
割とまめに書くようにしています。
お気軽にコメント下さい。

2010年8月11日 【仕事】若者たち

2010-08-13 23:40:09 | 仕事
 今日は会社の若手と「慰労会」でした。

 ウチの会社には若手全員の必修科目とされている「業務内容発表」があるのだが、これが報告文書作成、役員ほかの前でのプレゼンテーションとなかなか大変、通過儀礼なのです。

 隣の課の人間なのだが、ちょっと事情があって途中から自分が面倒を見ることになってしまい何とか無事に済ませることが出来たということで、一緒に発表をした若手、およびその指導担当と打ち上げ。

 やってる時は目の前の課題にアタマが一杯で気付かないけど、結局のところ話の内容は二の次なんだよね。事業や担当業務内容の紹介をいかに簡潔明瞭に書き、所定時間内に過不足無くまとめるプレゼンテーション(発表態度を含む)をするかという訓練なんだ。

 まだ若いからそれが見えない、見えたとしても対処できない。それは仕方のないことなんで、諸先輩はそうした課題へ取り組む姿勢、考え方を見ているんだよね。そう分かるのは入社して何年くらい経ってからかなぁ…

 何しろ指導した人の父親がほぼ同世代になるんですから(爆)。入社した頃、自分の父親くらいの人ってこんなに挙動不審で落ち着きなくななかったよなぁ。
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2010年8月10日 されど私の人生

2010-08-13 19:08:36 | ノンジャンル
 会社の後輩ヨシオ君と旅の打合せのため久々に池袋まで遠征、焼酎バーに行きました。ちょっと飲むには良いのだけど、何しろ家とは逆方向なのでなかなか足が向きません…


 ふとしたきっかけで自分の人生を振り返ってみると、何をやっても中途半端だったなぁと思うのです。「完遂」したのって国内鉄道の乗りつぶし位のもので、他は…仕事は言わずもがな、趣味も何もかも。

 アマチュア無線やりました。和文モールスが覚えられず2級止まりのままです。
 その発展系で無線従事者の各種資格を取りかけました。技術問題と高速モールス通信についてゆけず、全23ある資格の半分程ちょっとで挫折しました。

 ピアノやりました。練習がイヤで10数年やってツエルニーで止めました。
 ギターやりました。30年弾いてもワンパターンなフレーズしかこなせません。
 キーボード買いました。ピアノで挫折したので弾けないままです。
 ドラムやりました。きちんと16ビートが刻めず機材資金をつぎ込む意思もなく止めました。

 クルマは中型(普通)免許、バイクも普通(400cc)免許止まり。
 飛行機は単発+計器止まり。
 船舶はいつになったら取りに行くのやら。

 …あぁ、書いてて情けなくなってきた。結局「あれこれ手を出した挙句、どれもモノにならない」典型なのだなと思います。幼少の頃から「注意力散漫」と通信簿に書き続けられただけのことはあります。せめて一時期なにかに打ち込んである程度極め、それから他のことに打ち込むのであれば良いのだけれど。

 と言うことで、残り少ない人生、例えば半年とか季節とか、それくらいの期間ごとに集中して何かに打ち込んでみようと思うのです。さて、何から手をつけようかな。そんなにやって疲れないかって?何もせず気ばかり焦るのは辛いですよ…

 なんて考えて手始めに?こんなモノを買ってしまいました。マイ箸?いや、もう少し長いです…しばらくは腕の筋肉痛との戦いかもしれません。ちゃんと取り組めば、の話ですけどね。

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2010年8月9日 【無線】思い出なんていらないよ?

2010-08-13 05:44:04 | アマチュア無線
 今日は長崎被曝の日です。合掌。


 昨日ひさびさにアマチュア無線をやったことから、高校時代のクラブ活動について思い出してみた。

 高校時代、アマチュア無線部(とは言わなかったけど)に居た。ウチの部は人数が少ないぶん先輩後輩の分け隔てが少なく、いじめに遭うようなこともなく結構充実していた…といま思う。

 JARL開催の国内4大コンテスト(ALL JA、6m&Down、フィールドデー、全市全郡)のうち夏休み期間中のフィールドデー以外はすべて学校泊り込みでコンテストに参加。コンテスト前になると校舎屋上のタワーのステー線の張り具合を確認し、(普段はバラして屋上に放置してある)21MHz5エレ、50MHz6エレなんてデカいアンテナを組んで上げ、二棟の校舎の間に3.5MHzや7MHzの1/2λダイポールアンテナを張って調整(IV線と碍子で自作、バランだけはメーカー品)。

 本番になると、運用バンド毎に無線機設置(教室)を変えるんでそれぞれの部屋への同軸ケーブル引き込み、壁のコンセントからの電源引き回し、黒板に大きくコールサインとワンパターンな交信内容を書いて。仮眠は空いてる教室の机を並べて、その上で。たいてい、夜中の局数の少ない時間帯が下級生の担当。先輩たちは酒盛り…なんてことはせず爆睡。体力的なものもあったけど、オペレーションの未熟な人間を空いてる時間やバンドに割当てるという配慮もあった。

 そうそう、本当はイケナイんだけど部で所有している無線機だけでは足りなくて、部員やOBの家から無線機を借りて持ってきたっけ。でもFL2100BやTL-922って無線機ではないような?(爆)あれを相鉄線沿線のOB宅から電車で持っていった時は本当に重かった…本番になるとOBが差し入れのジュースやお菓子を持ってきてくれてオペレーション手伝ってくれたりしてね、当時は守衛も大らかなものだったから簡単に校舎内に入ることができた。

 コンテストが終わればカード書き。ウチは恵まれてて部費が結構使えたので、無条件に全交信局にQSLを出してた。今と違ってプリンタで同じ内容印刷なんてないから、データ欄は全部手書きですよ!上記のコンテストで1回に軽く1,000枚とか書いてた気がするな。ひところ7/21MHzでは「川崎の高校」で有名だったから。

 部活やってて良かったと後々思ったことは、クラブの先輩やOBと話したり訪問したりする過程で礼儀が身についたこと。ひとり厳しい先輩が居て、「来た時と帰る時は必ず先輩に挨拶!」としつけられた。体育会みたいに直立不動にする必要はなく単に「こんちわっす!」「失礼します!」だけなんだけど、いま思えばたったそれだけのことがどれほど有難いことだったか。もちろん、3年間で数万局と交信して習得した技術、無線機やアンテナに関する知識もあるけど。

 逆に、「一緒に活動した仲間」という想い出は不思議なほどない。嫌いとかではなかったけどウチの期は何か皆クールで、卒業した瞬間からもう会う事もなかった。「部」といっても交信活動は個人ですることが大半だから、スポーツやブラバンみたく皆で一つのことを成し遂げるという達成感は得にくいからかな。そう思うとあの頃から、自分はチームとしての活動が苦手だったのかなと思ったりして。

 CQコンテスト、CQコンテスト、CQコンテスト、こちらはJ○1Y○○…こちらから591110ですQSL?グッドラック!QRZ?


 懐かしくなって会社帰りに母校を訪ねて時計塔を撮ってきたよ。夏休みだけど運動部の生徒さんがいっぱい来てた。学食の業者は変わってないのかぁ!でも構内の樹がずいぶん大きくなっていた。人間は大きく育っていないのにね。
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