肖像写真は、有名人であれば記憶に残るものが多い。本会場に展示されていた写真群にも「あぁ」と頷くものが多数あった。
一般的には、肖像写真を見て感じることは被写体たる人物の人相風体であろう。だがそれを映し込むのはカメラマンだ。仮に撮影会のように同じ時に取ったとしても、撮影者がAカメラマンとBカメラマンとで、その作品から鑑賞者が感じるものは変わってくるに違いない。と言うことは、肖像写真は写「真」ではないのか?そうではなく、被写体のもつ多様な「顔」のどこを切り取るか、それを判断し実行(撮影)するのがカメラマンの腕と言うことになる。
ただし、ある程度恣意的な「演出」は可能だから、写真を見る人はすべて「これは真実か?」と疑ってかからなければならない。それは写真に限らず、文章(記事)においても同じこと。要するに自分の外からもたらされる「情報」については全て、いったん立ち止まって見るべきなのだ。自分に知識がないからと盲信するのは危険だ。かと言って総てを検証する時間などない。ならば自分にできることは「そういう情報もあったんだ」程度に留め、チャンスあらば別のルートや手段によりその内容を検証することではないか。
…全然、作品群の感想と違う話になってしまった。会場に話を戻すと、感心したのは佐藤虹児(古い人だ)のライティング、アーノルド・ニューマンの構図(特にストラヴィンスキー)(※1)、UNICEFのポスターに使われそうなセバスチャン・サルガドの写真(※2)、アウグスト・ザンダーの各種職業者の写真群、背景含め四姉妹の姿が良き記録写真となるニコラス・ニクソン、、、テーマに感心したものもあれば、撮影技術に感心したものもある。反対に明らかに好みでなかったもの…荒木経惟、細江英公、森村泰昌、それに「第4章 想像の身体」の作品群(写真を超えたものはどうもネ)
いずれにしても、このところギャラリーで色々と見ていたがやはり大判には大判の迫力がある。これからも引き続き、ここに刺激を受けに来よう。
(※1) http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK100342 (この写真)
(※2) http://www.syabi.com/contents/details/i_salgado/salgado_00.gif
2010年11月25日 東京都写真美術館にて鑑賞
一般的には、肖像写真を見て感じることは被写体たる人物の人相風体であろう。だがそれを映し込むのはカメラマンだ。仮に撮影会のように同じ時に取ったとしても、撮影者がAカメラマンとBカメラマンとで、その作品から鑑賞者が感じるものは変わってくるに違いない。と言うことは、肖像写真は写「真」ではないのか?そうではなく、被写体のもつ多様な「顔」のどこを切り取るか、それを判断し実行(撮影)するのがカメラマンの腕と言うことになる。
ただし、ある程度恣意的な「演出」は可能だから、写真を見る人はすべて「これは真実か?」と疑ってかからなければならない。それは写真に限らず、文章(記事)においても同じこと。要するに自分の外からもたらされる「情報」については全て、いったん立ち止まって見るべきなのだ。自分に知識がないからと盲信するのは危険だ。かと言って総てを検証する時間などない。ならば自分にできることは「そういう情報もあったんだ」程度に留め、チャンスあらば別のルートや手段によりその内容を検証することではないか。
…全然、作品群の感想と違う話になってしまった。会場に話を戻すと、感心したのは佐藤虹児(古い人だ)のライティング、アーノルド・ニューマンの構図(特にストラヴィンスキー)(※1)、UNICEFのポスターに使われそうなセバスチャン・サルガドの写真(※2)、アウグスト・ザンダーの各種職業者の写真群、背景含め四姉妹の姿が良き記録写真となるニコラス・ニクソン、、、テーマに感心したものもあれば、撮影技術に感心したものもある。反対に明らかに好みでなかったもの…荒木経惟、細江英公、森村泰昌、それに「第4章 想像の身体」の作品群(写真を超えたものはどうもネ)
いずれにしても、このところギャラリーで色々と見ていたがやはり大判には大判の迫力がある。これからも引き続き、ここに刺激を受けに来よう。
(※1) http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK100342 (この写真)
(※2) http://www.syabi.com/contents/details/i_salgado/salgado_00.gif
2010年11月25日 東京都写真美術館にて鑑賞