「神様のすること」平安寿子
今まで、何冊も平安寿子作品を読んできたが、トップクラスのおもしろさ。
著者のホンネが、もっともストレートに出ている。
内容は、著者の回想録。
小学生時代から、最近の出来事・・・親の介護と最期を看取ったことまで書かれている。
いくつか文章を紹介する。
P63
人間には多様性なんて、ない。せいぜい四種類くらいのものだ。下手な小説はキャラクターが「類型的」だと批判されるが、生身の人間って、それぞれが自分で思っているよりずっと類型的だと、わたしは思うのよね。
P100
障害もしくは難病とプライドと恋愛は、青春小説に輝きをもたらす三種の神器だ。
P101
五十を過ぎると、むしろ、跡がつくほど傷つく経験でなければ思い出になり得ないとわかる。人が自分の幸せに気付かないのは、ハッピーな経験ほど、メモリーにインプットされないからだ。
傷つかなければ、忘れてしまう。人間とはそれほど大雑把な生き物だ。
P105
子供は天使だなどという戯言を、わたしは信じない。自分が優位に立つために他者を踏みつけにする卑しさを、人間はみんな持っていると思う。他者と出会った子供が一番初めにやるのは、攻撃だ。
思いやりや優しさは、主に環境要因や人間関係の中で後天的に育まれるものだとわたしは思う。聖書や仏典、コーランなどの教え、そして神話伝説として各地に残る教訓物語は、そのためのテキストだ。
P242
今、介護に取り組んでいる人やこれからの人に申し上げますが、介護って波があるんですよね。凪のときもあれば、大嵐でこっちの心身が沈没寸前まで翻弄されることもある。
要介護状態になった年寄りには、何が起きるかわからない。精神安定剤や睡眠薬が逆に作用して大興奮して大暴れなんて、ざらだ。けいれんや一時的呼吸停止、昏睡と覚醒の繰り返し、治療中に脳梗塞など、まったく、なんでこうなるのか誰にも説明のつかない事態が次から次に起きる。
こんなことなら、早くお迎えが来たほうが当人だって楽に違いない。コントロール不能の肉体に翻弄される年寄りを見れば、そう思わずにいられない。
誰だって、惨めな姿をさらすことなく、すーっと昇天したい。けれど、そうはいかないのだ。
神様は、生命ある限り、苦しむことを求める。それが、生きるということだから。
PS
全部で7話に分かれている。
ほとんど、親の介護の話が中心だけど、その中で、私は、小学生時代を振り返った 第4話「二人の恵子」、第5話「心残りはひとつだけ」が、おもしろく感じた。介護の話が、どうしても暗くなるから、子ども時代の話が、印象に残るのかもしれない。
【目次】
第1話 母の死を待って;
第2話 すれ違う二人;
第3話 傷跡の必要;
第4話 二人の恵子;
第5話 心残りはひとつだけ;
第6話 陽気な骨;
第7話 天国への階段