
「中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇」中野京子
昨年最後の本の紹介は「海街diary 5」であった。
今年は、中野京子作品の紹介から始めたい。
おもしろくて、知識も増える。
P110
「七つの大罪」というよく知られたキリスト教用語は、意外にも、聖書に明確な形で記載されているわけではない。
ではいったいどこから来たかというと、四世紀の修道士ポンディコスの著書にある「八つの枢要罪」が起源らしい。それによれば、罪の重さの順は、「大食」「色欲」「貪欲」「憂鬱」「憤怒」「虚飾」「傲慢」だという。
時は下って六世紀後半、ローマ教皇グレゴリウス一世により、罪の意識は八つから七つに絞られ(「虚飾」が「傲慢」に吸収され、「憂鬱」は「怠惰」に含まれ、新たに「嫉妬」が加わる)、順序も現在の形に変えられた。即ち、
「傲慢」
「貪欲」
「淫乱」
「憤怒」
「大食」
「嫉妬」
「怠惰」
(中略)
マハトバ・ガンジーも「新・七つの大罪」を提唱している、曰く、
「原則なき政治」
「道徳なき商業」
「労働なき富」
「人格なき教育」
「人間性なき科学」
「良心なき快楽」
「犠牲なき宗教」
――深く納得させられる。
そして二〇〇八年、何とヴァチカンが新時代のため「七つの大罪」を発表した。
「遺伝子組み換え」
「人体実験」
「環境汚染」
「社会的不公正」
「貧困を起こすこと」
「淫らなまでに金持ちになること」
「麻薬」
P217-218
なぜ欧米でユダヤ人は嫌われているのか?
(中略)
ユダヤ人はイエスを救世主(=キリスト)と認めない。同じ『旧約聖書』を聖典としているにもかかわらず、救世主はまだこの世に降臨していないと主張する。キリスト教徒にとっては許しがたいことだろう、神の子イエスを信じること、それがクリスチャンとしての信仰の第一なのだから。
P242
またノートルダムというフランス語は、マドンナ(Madonna)というイタリア語同様、聖母を指す。「Notre-Dame」即ち英語の「Our Lady(我らが貴婦人=聖母マリア)」のことなのだ。
P244
一般の日本人にはカトリックとプロテスタントの違いは難解で、それぞれの教会の区別もつきにくい。そこで、こう覚えておくといい。外観も内部もとにかく華やかで装飾的、磔刑図や聖母子像が飾ってあればカトリック教会。一方、プロテスタント教会は地味でシンプル、十字架はあってもイエスは架けられていないし、もちろんマリア図像はどこにもない。ついでに言えば、カトリック国(フランス、イタリア、スペインetc.)の食事が概して美味なのに比べ、禁欲的なプロテスタント国(アメリカ、イギリス、北欧各国etc.)の食事の不味さときたら……恐れ入り谷の鬼子母神。
【関連図書】

「名画と読むイエス・キリストの物語」中野京子
【ネット上の紹介】
せっかく絵を味わいたいと思っているのに、宗教画だからと敬して遠ざけるのでは、あまりにもったいない。本書は、もっと宗教画を楽しみたい人、名画を通して聖書や歴史や画家について知りたいと思う人のための一冊です。[目次]
旧約聖書の章(鼻はやめて指に―ミケランジェロ『アダムの創造』;知恵と引き換えの死―クラナハ『楽園』/マザッチョ『楽園追放』;人類初の殺人者―ブレイク『アダムとイヴによって見つけられたアベルの肉体』/コルモン『カイン』;天までとどけ―ブリューゲル『バベルの塔』;神様は謎かけばかり―レンブラント『イサクの犠牲』/カラヴァッジョ『イサクの犠牲』 ほか);新約聖書の章(おめでとう、と言われても…―ダ・ヴィンチ『受胎告知』/ロセッティ『見よ、われは主のはしためなり』;誰も気づかない―ブリューゲル『ベツレヘムの人口調査』;有名人と記念撮影―アルトドルファー『東方三博士の礼拝』/ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』;洗礼と生首―フランチェスカ『キリストの洗礼』/クリムト『ユーディット2/サロメ』;弟子たち―カラヴァッジョ『聖マタイの召命』 ほか)