「大山倍達正伝」小島一志/塚本佳子
620ページ、ボリュームたっぷり。
読むのに時間がかかったが、内容も濃かった。
いくつか文章を紹介する。
P42
2004年12月、韓国において「日帝強制占領下の親日反民族行為の真相究明に関する特別法」、通称「親日反民族特別法」と呼ばれる法案が国会を通過し、成立した。1910年から1945年にかけての日本の統治時代、日本の植民地政策に協力した「親日派」の人々を断罪するという法律である。
P138
朝連と建青・民団はことあるごとに衝突した。(中略)それは現在、私たちが映画などで観る「暴力団同士の抗争を遙かに凌ぐ過激さだった。
P141
ちなみに「三国人」は、正式には「第三国人」という。連合国軍が名付けた「メンバー・オブ・サード・ネーション」の日本語訳で、日本の植民地だった台湾や朝鮮出身の人々の「地位」を表した言葉である。第一国民はアメリカをはじめとする戦勝国民、第二国民は敗戦国民・日本人を指す。戦勝国民でも敗戦国民でもない朝鮮人たちをGHQは「第三国人」と呼んだ。
P156
一説によれば、GHQが本国から娼婦たちを集めたことがRAA廃止の直接的な原因だったとも言われている。
RAA廃止後も、非合法のもとに営業される慰安所は少なくなかったが、「仕事」にあぶれた多くの娼婦たちは、街に出て米兵相手の私娼となった。彼女たちが俗に言う「パンパン」である。
*RAAとは日本政府が設置した進駐軍のための慰安所「特殊慰安施設協会」のこと。
RAAの設立は日本政府による独断というのが定説になっているが、連合国側が日本政府に要請・打診したという説もある。
RAAの慰安婦のほとんどが、高賃金に魅せられて鞍替えした「公娼」たちだったことが明らかになっている。(P155~156)
P157
1947年4月10日、NHKラジオは『街頭録音』という番組のなかで、パンパンへのインタビューを試みた。その結果、「東京には千名程度のパンパンがいる」「だいたい中流家庭以上の娘が多い。本当に生活に困ってやっているのは少ない」という統計を発表している。また「中年の街娼は生活苦からせっぱつまって商売を始めるものが多い。若い娘は外人相手を面白がって始めたものもいる」と、当時パンパンの性病患者を引き受けた吉原病院の医師の証言を紹介している。
P236
佐藤栄作は1949年の衆議院総選挙に初当選以来、建設大臣や大蔵大臣などの要職を歴任してきた大物政治家である。1961年、池田勇人内閣で通産大臣を務めた佐藤は念願の首相の座に向けて積極的な活動を開始する。その際に、大山は佐藤のボディガードを務めたと言われている。
P247
《倍達と言う名は、朝鮮民族にとって非常に由緒ある名前である。(中略)つまり日本における「ヤマト」などのように、朝鮮の国家・民族そのものを、誇りをこめて言うときに用いられてきた言葉なのである》
《大山はいわば「大山朝鮮」という名前だったのである》(中略)
大山が「倍達」に込められた真の意味をいつ知ったかはわからない。だがその事実に直面したとき、彼は愕然としたに違いない。日本人の仮面を被るために名乗った名であるにのかかわらず、結果的に己の出自を公表して歩いていたのだから・・・・・・。
P258
《日本人になることを選び、私的な一領域でのみ朝鮮人として生きた力道山と、さまざまな矛盾をそのまま体現し、朝鮮人あるいは韓国人にはひと目でわかる特徴を名前につけ、朝鮮と日本の間を振り子のように揺れて生きた大山倍達》
P275
韓国では『空手バカ一代』に劣らぬ人気を博した『大野望』であるが、大山は終生、武道家・格闘家として韓国で活動することはなかった。その理由について、大山は《極真空手が韓国に進出したらテコンドーがつぶれてしまうよ。韓国進出を「考えたこともあるが、弟が兄さん、波風をたてるのは止めてくれ」というんで、何もしなかったんだ》
P336
大山の著書は、すべてがライターによって書かれた。これは関係者の間では公然の秘密になっている。
P344~345
大山倍達が宮本武蔵について語っている。これは意外な内容だ。吉川英治版より司馬遼太郎版を誉めている。
「吉川先生の武蔵は酷い。いつも女性に慕われて、なのに指一本も触れないのよ。おかしいじゃないか。真実の武蔵は山師だよ。弱い相手としか戦わない。いたいけな子どもを斬り殺したり・・・・・・。そんな武蔵を尊敬できるはずないじゃないのよ」
P397
「私の武勇伝は数知れずありますが、みんな真実なんてことはないんです。ひとつの話が大きくなり、メダカがいつの間にかクジラになってしまう。いつしか話が誇張されてしまうんです。『空手バカ一代』はその最たるもので、実際はあんなにカッコいい人間じゃないよ。なのにみんなが寄ってたかって私をスーパーマンにしてしまうんだ。だから、戦後初の全日本選手権優勝というのいは間違いなんです。あれは梶原一騎の作り話です」
(さらに・・・山籠りの「伝説」に欠かせない「眉を剃った」逸話は明らかに山口剛玄の体験談の借用である。P414)
P484
《(前略)私の一撃で、牛は口や鼻から血を出したが倒れない。物凄く暴れるんです。二回目はもう殴れないです。(中略)以来、牛を倒すのは諦めてしまった。だから、私が牛を殺すというのはウソですよ》
P509
「力道山と木村が練習しているのを見たが、力道山は木村に歯が立たなかった。足払いだけで力道山は立つことも出来ない。それくらいの差がありました」
P511
「大山さんが力道山に挑戦状を突き付けて何度も試合を迫ったのは本当です」
「正直、民団関係者のほとんどが実際に二人が戦えば確実に大山さんが勝つし、力道山はプロレスラーとして活動が出来なくなってしまうと信じていました。ただ、そうなると今度はプロレスを興行するヤクザ関係者まで巻き込んでしまいます。ヤクザと揉める方が問題だと小浪さんが言い出して、(中略)二人を仲直りさせなければならないということになったのです」
P514
「力道山はヤクザに対していつも低姿勢で媚びるようなところがありました。町井先生に対しても同様でした。力道山が正座し、両手をついて謝ったので、大山さんも応じて頭を下げ、一切を水に流すということになったのです」
P538
少年時代、世界に蹂躙される朝鮮半島の農村地帯で過ごし、常に「世界一」「ナンバーワン」を夢見てきた大山倍達は、極真会館を設立することで、「世界一の空手家」になった。その背景に大山が自ら創作し、メディアで喧伝した「大山倍達伝説」があろうとも、大山が自らの実力をもとに世界の歴史に名を残す武道家に成り上がった事実を、誰も否定することは出来ない。
第一部を塚本佳子さんが担当して、歴史的背景とともに大山倍達氏を描く。
第二部を小島一志さんが担当して、空手家としての大山倍達氏を描く。
補完関係にあるので、どちらが欠けてもいけない。
ただ、ほとんどの方が知りたいのは、第二部の空手家としての伝説の真偽かもしれない。
『空手バカ一代』のあのシーンは実際にあったのか、とか・・・。
そんな方にとっては、第一部は退屈に感じるかも知れない。
(私は両方とも良かった、と感じている)
「空手バカ一代」が好きな方は、ぜひ読んでみて下さい。
・・・興味深い新事実がわんさか出てくるから。
また、昭和史、日韓史に興味のある方も、必読。
・・・もちろん、格闘技の歴史に興味のある方も。
【参考リンク】
小島一志 - Wikipedia
【ネット上の紹介】
資料五〇〇点、証言者三〇〇人余、渾身の取材で驚愕の新事実続出!同胞同士の抗争に明れ暮れた戦後、アメリカ遠征激闘の真実、祖国のもうひとつの家庭に求めた最後の安息…。伝説の空手家の真の人生が、いま初めて明らかになる。あまりにも衝撃的なノンフィクション超大作。
[目次]
第1部 人間・崔永宜(塚本佳子)(極真空手と「大山倍達伝説」;誕生―世界のなかの朝鮮;少年時代―「虎の骨」と臥龍山の咆哮;渡日―翻弄された時代;民族運動―激闘の日々 ほか);第2部 空手家・大山倍達(小島一志)(原点「力なき正義は無能なり」;伝説と虚飾の原風景;剛柔流と松濤館―修行時代1;第一回全日本大会と山籠り―修行時代2;謎に包まれたアメリカ遠征 ほか)