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「ポエムに万歳!」小田嶋隆

2014年02月27日 21時12分45秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「ポエムに万歳!」小田嶋隆

小田嶋隆さんの新刊書籍。
現代日本に起きる、様々な社会現象、数々の事件。
これらを分析、評論する方は多い。
でも、分かりやすい言葉で説明出来る方は少ない。
(著者は、解析力トップクラス、と思う)
いくつか文章を紹介する。

P30
詩の言葉が、情報を伝達するための言葉ではないからだ。詩の言葉は、発言者の内部でただただ反響している。だから、その響きに感応しない人間には、何も伝わらない。逆に、意味が正確に限定されていなかったり、きっちりとコースに投げ込んでいない言葉だからこそ、異様に共鳴する人が現れたりする。

P 38
日本の女性の社会進出に一番貢献したのは、男女雇用機会均等法でも、中ピ連でも、田嶋陽子でもなく、ユーミンだろう、という見解で一致した。ユーミン出現以前の歌の世界では、結局のところ、男にとって都合のいい女ばかりが描かれている。

P116
ちなみに「B層」とは、小泉内閣のブレーンとなっていた広告会社がその報告書の中ではじめて使った言葉で「IQが比較的低く、構造改革に中立的および肯定的な層」を意味している。
なんとも無遠慮な言葉だ。
(中略))
政治家が「衆愚」の扱い方を戦略的に考えることは、半ば常識として容認されている。というよりも、「衆愚論」は、「ポピュリズム批判」」と名を変えて、様々な場所で、人々の耳を楽しませている。

P120
(前略)昭和50年代ぐらいまでは、学生運動と言わず、街頭テレビの観客と言わず、人々が集まれば、自動的に連帯感が醸成されたものだったのである。
ところが、メディアが発達し、情報収集と発信の手段が多様化したことが、かえって連帯感のためのハードルを上げることになる。皮肉な展開だ。われわれは、目の前に集まっている群衆を「自分とよく似た人間」だとはなかなか思えない。彼らはより素直に「衆愚」に見える。というよりも、われわれは、他人を「衆愚」とみるタイプの自意識をデジタルのガジェットを通じて自らのうちにはぐぐんでしまったのである。

P149橋下徹氏の喋り方について
「自分の側に有利な条件だけを並べ立」て「論敵の非をどこまでも執拗に追求」し「藁人形論法や誇張といった詭弁に近い手段を辞さ」ずに、「ただひたすらにオノレの正しさを述べ立て」るタイプの答弁法だ。(中略)
が、政治家として見るなら、このしゃべり方は「妥協できない」意味で、半人前であり、「相手の言い分を聞けない」という面で失格になる。

P162
原発推進派の言論に似ている。
「きれいごとを言うなよ」
という声に対して、有効な反論を返すのは、実はとても難しい。
本当のことを言うと、ナマな議論では、この種の「現実主義者」には勝てない。

P173食品偽装やブランドの偽物がでる問題について
たとえば、シャープの液晶テレビだとか、トヨタのカローラだとかには、ニセモノが発生しない。なぜかといえば、そもそもそうした本物の一流品は、贋造業者みたいな連中の手に負える代物ではないからだ。そう、作れっこないのだよ、追随者なんかに。仮によく似たニセモノを作ったにしても、トヨタが200万円で売っているカローラをフェイクで業者が作ったら、どうやっても500万円はかかってしまう。本当にまっとうな商品というのは、そういうものなのだ。

【蛇足】
言葉の表現で気になったことがある。
“smooth”をスムーズと表記せず、「スムース」と書かれている。
小田嶋隆さんほどの方が、どうしてだろう?
・・・これは間違い、だけど。(単に誤植?)
でも、私もbedをベッドと言わず、ベットと言ってるから、同じようなもの、か?

【ネット上の紹介】
自分自分自分……自分語り大好き! 日本は“鳥肌もの”ポエムであふれてる。北朝鮮ばりのニュース朗読に説教くさ~い五輪招致コピー、野放図な自分語りはもはや私生活ストリップ……現実を直視したくない人たちの間で、意味より雰囲気重視で成り立つポエム・ワールド。個性って素敵だよね。でも演出過剰、感情過多は、邪魔くさいよね。名物コラムニストが斬る、社会の隙間の埋め草、ポエムとは?