「のりたまと煙突」星野博美
星野博美さんのエッセイ。
もともと写真家であるが、文筆業のほうが有名になった。
それもそのはず、味わい深い文章だから。
日常の出来事を書いるのだが、小説を読んでいるようなドラマを感じる。
心理的な葛藤があったり、状況が劇的に変化したり。
これだけの出来事に出会って、それを表現する技術がある。
それが才能であり実力、と言うものなんでしょう。
もっと評価されても良い、と思う。
P162
私はどうしても猫を室内に閉じこめることができない。自由を好む猫を閉じこめなければならないくらいなら、飼わないほうがいいとさえ思っている。しかし自由にするとは、リスクを負うことだ。自由にしたために、しろは交通事故で左の後ろ足をつぶされ、ゆきは誰かにいたずらされて尻尾を折られた。
そして猫を自由にさせることの最大の皮肉は、飼い主を捨てる自由を与えるということだった。
【おまけ】
それぞれの小篇にどうしようもなく死の匂いがつきまとうのはどうしてなんだろう。
表紙の白猫が「しろ」、と思われる。
このエッセイの終わり頃から、著者は精神的に追い詰められ、
「島に免許を取り」に行き、実家の「戸越銀座」に戻ることになる、のでしょう。
そう思うと、文章の印象が変わってくる。
【ネット上の紹介】
すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか…。吉祥寺と、戸越銀座。著者はさまざまな猫たちとの出会いと別れを経験し、生と死、そして忘れえぬ過去の記憶へと思いをめぐらせていく。さりげない日常からつむぎ出される短篇小説のようなエッセイのひとつひとつに、現代への警鐘と内省がにじむ。
[目次]
第1章 木春菊
第2章 梅
第3章 桜
第4章 百合
第5章 萩
第6章 芒
第7章 彼岸花
第8章 柳
第9章 柊
第10章 松
第11章 雪柳
第12章 躑躅