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「戦後史の中の英語と私」鳥飼玖美子

2017年04月08日 22時20分11秒 | 読書(昭和史/平成史)


「戦後史の中の英語と私」鳥飼玖美子

みすず書房なので、注釈がついて学術的な体裁になっているが、
内容は興味深く、面白かった。
戦後史の中に、英語教育や同時通訳者としての体験が織り込まれて語られる。

「ラブ・アンド・ピース」について
P38
文字通りには「愛と平和」だが、隠れた意味として「性の開放と反戦」

「ニクソン・ショック」について
ニクソンは繊維輸入の自主規制を佐藤首相に求めた。
佐藤首相は、「善処します」、と。
著者の調査では、次のように(通訳者=赤谷源一氏が)通訳したのではないか、と。
“I understand what you mentioned, so I will make my best effort”

外務省の赤谷源一審議官の言葉
P100
「いずれにせよそれは英語でははっきりYESを意味している印象だった」ので、佐藤首相に「互いの思惑が行き違って大変なことになるのでは」と進言したところ、「佐藤氏は急に不機嫌になった」という。

P102
自分の方は約束通り沖縄を返還したのに、見返りとしての繊維自主規制について日本政府はいつまで経っても何もしない。日本国内では繊維業界からの強い反発で動きが取れない状態になっていたのだが、ニクソン大統領は「日本人は信用ならない」と憤慨したとされる。その後は日本の頭越しに1971年7月の米中関係改善の決定、8月の関税追徴金を含む経済政策など、日本を苦境に陥れる政策を相次いで発表し、二度にわたる「ニクソン・ショック」で日米は冷え切った。

著者と大野晋先生との会話
P119-120
私が「は」と「が」の違いについて質問すると、「その説明をちゃんとするには一年間の授業をする必要がある」と言いながら、「要するに未知と既知との違いだ」と、「昔々、おじいさんとお婆さんいました。おじいさん山へしばかりに……」の例を挙げ、ポイントを教えてくれた。

福沢諭吉の英語力
P140
「(前略)和文英訳の方はてんでダメで、彼の訳文はとても公用文として使えるものではなかった」というさんざんな評価で、「使節団のお荷物」だったようだ。

【誤植】
P38
プラック・パワー
 ↓
ブラック・パワー(濁点、である)

P244
「適正語」
 ↓
「敵性語」

【ネット上の紹介】
同時通訳者としての華々しいキャリア、英語教育最前線での奮闘、研究者としての情熱。新たな挑戦、葛藤、決意の舞台裏が明かされる待望の自伝、書き下ろし。


第1章 英語との出会い
第2章 一九六〇年代とアメリカ
第3章 アポロ宇宙中継と大阪万博、そして沖縄返還
第4章 偶然の積み重ね 通訳から大学英語教育という世界へ
第5章 「通訳者」という存在
第6章 教育そして教師というもの
第7章 生涯学習を実践する
第8章 メディア英語講座と私
第9章 言葉へのこだわり
第10章 思い込みからの脱却