「昭和史をどう生きたか」半藤一利
半藤一利さんの対談集。
豪華メンバーである。
次の目次を見てみて。
ふたつの戦場ミッドウェーと満洲―澤地久枝
指揮官たちは戦後をどう生きたか―保阪正康
なぜ日本人は山本五十六を忘れないのか―戸高一成
天皇と決断―加藤陽子
栗林忠道と硫黄島―梯久美子
撤退と組織―野中郁次郎
東京の戦争―吉村昭
戦争と艶笑の昭和史―丸谷才一
無責任論―野坂昭如
幕末から昭和へ熱狂の時代に―宮部みゆき
清張さんと昭和史―佐野洋
戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)
P38
日露戦争が終わった時に、南満洲鉄道をアメリカと共同で経営しようという案がありました。鉄道王と言われたエドワード・ハリマンと伊藤博文との間で話が決まりかけたところに、ポーツマスから帰ってきた小村寿太郎が、強引にひっくり返して、日本が独占してしまう。私はこの瞬間に、日本の近代史の歯車が狂い始めたと思います。
皇道派と統制派の違い、権力闘争なのか?…基本の戦略が異なる、と。
2.26により、日本の大計まで狂ってしまった、と。
P51
戦略的に大きな違いがある。統制派には『中国一撃論』という思想があり、中国を叩いてからソ連に向かう。皇道派は直接ソ連に向かおうとした。
七三一部隊の内藤良一中佐
P89
ご存じのように、戦後、日本ブラッドバンク、のちのミドリ十字の初代社長になった内藤良一なんです。薬害エイズの血液製剤で問題が起きた時、ああ、こういうところに七三一部隊の生き残りがいたんだなと思いました。
軍人の戦前と戦後の生き方を見て
P93
気高く生きた人もいた。許すべからざる生き方を続けた人もいた。歴史とは人間学なんだとつくづく思えてきます。
昭和天皇が対英米戦を決意する場合の注意を述べておられる。
昭和16年10月13日、木戸幸一の日記より…非常にリアルな終末構想だ。
P127
いざという時のためにローマ法王庁に斡旋を頼めるよう、関係をつけておけと、すでにこの時点で言っています。
P140
戦争が始まる前からルーズベルトは、「今度の戦争は、無条件降伏以外に、一切の講話は認めない」と誇称しています。チャーチルが、「それでは戦争が終わらない。戦争は始めるのは簡単だけど、終えるのは大変なんだから、そんなことは言わないほうがいい」と止めても駄目だった。
映画「硫黄島からの手紙」について
概ねOKなんだけど、細かい間違いが指摘される
P148
それと体罰。ほんとは陸軍はビンタ、海軍は鉄拳なんです。でも、あの映画では、陸軍も鉄拳。それから兵隊は命令を復唱する義務があるのだけど、あの軍隊は日本の軍隊にしては珍しい、聞きっぱなしの軍隊で……と切りがないんですが、もう一つだけ、硫黄島の読み方は、当時は「イオウトウ」ですよね。
2.26事件と同年の阿倍定事件についての世相とジョーク。
P204
「お定は逃げるとき何を持っていたか?胸に一物 手に荷物」
鈴木貫太郎は銃弾を四発撃ちこまれ、二発が貫通したが、一発は心臓のそばに、一発が陰嚢に残っちゃった。(中略)
その時(手術した)東大の塩田(広重)先生が詠んだのが……
「鉛玉、金の玉をば通しかね」
【ネット上の紹介】
特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。