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「 江の生涯を歩く」桐野作人

2018年03月30日 23時22分30秒 | 読書(小説/日本)
 
 


「 江の生涯を歩く」桐野作人

信長→秀吉→家康、と生き抜いた方なので、
そのゆかりの地をたどると、戦国時代から徳川の時代の重要な足跡をたどることになる。
重要な史跡が写真と地図で紹介されている。

玉造の玉造稲荷神社
P98
文禄二年(1593)、秀頼が誕生したとき、淀殿の胎盤を埋めたのがこの地だったと伝わる。
(中略)
小さな祠で、「秀頼公供養」と刻まれた脊柱が立っている。(子どもの夜泣きに霊験あらたかだそうだ)

太融寺について
P196
境内には明治期に東成郡鴫野村から移された伝・淀殿の供養塔がある。
(昔、地下鉄谷町線が出来るまで、大阪市バスを利用して梅田に出た。バスのアナウンスで「太融寺~」、と。淀殿のファンの方は押さえておくべきお寺)
淀殿というと悪女のイメージがあるが、それは後の徳川政権のイメージ操作の影響もある。
大坂城落城の際、於茶々は出来る限りの者を逃がしている。
以下、「茶々と家康」(秋山香乃)より。
このとき於茶々に助けられた者たちはみな、豊臣のいなくなった徳川の世で、毎年集まっては死ぬまで於茶々の供養を行った。謀反人への供養は命がけだったにもかかわらず、それは一世代だけに留まらなかった。ずっとその後も子孫へと受け継がれ、幾百年と於茶々の冥福を祈り続けることになるのである。

*お江についての本なのに、淀殿の事ばかり書いてしまったが、他意はない。



高野山には、織田信長、明智光秀、石田三成、伊達政宗、上杉謙信、武田信玄、そうそうたる顔ぶれの戦国武将の墓がある。

【ネット上の紹介】
戦国の世に生まれ、織田、豊臣、徳川家の興亡を見守ってきた浅井家の三女・江。実父と兄、母と養父、そして姉までが自害するという悲劇に見舞われながらも、江はしたたかに、しなやかに生き延びて、江戸の二代将軍・徳川秀忠の御台所として輝かしい生涯を送った。しかしながら、江に関する史料は非常に少なく、その生涯には謎が多い。本書は、著者が江ゆかりの地を一つひとつ訪ね歩き、史跡を紹介しながら波瀾に満ちたその生涯を描き出す。

第1章 浅井家の江―北近江・浅井家ゆかりの地を歩く(プロローグ―浅井家の成り立ち
小谷城―江誕生の地なのか ほか)
第2章 織田時代の江―尾張・岐阜・伊勢・越前を歩く(プロローグ―織田家の庇護の下へ
岐阜・伊勢から尾張へ―織田信長の庇護の下で ほか)
第3章 豊臣時代の江―京都・大坂・伏見・大野・丹波亀山を歩く(プロローグ―江の三度の結婚
織田から豊臣へ―時代の移り変わりを歩く ほか)
第4章 徳川時代の江―江戸を歩く(プロローグ―秀忠の御台所として
江戸城を歩く ほか)
第5章 江ゆかりの人々の墓碑を訪ねて(徳勝寺
大徳寺総見院 ほか)