「孔子さまへの進言」楊逸
毛沢東、蒋介石、始皇帝、魯迅、武則天、孔子、李 煜が取りあげられている。
P53
父の紇(こつ)が母である顔(がん)氏の女と「野合」して孔子が生まれた――今時の言葉で言えば不倫による私生児である。(これがトラウマとなり礼儀にこだわる思想を生んだ?孔子は180cm以上あるイケメンだったとか。しかし、妻が弟子を誘惑して駆け落ちしたという話もある。ソクラテス曰く「良妻をもてば幸せになり、悪妻をもつと哲学者になる」)
P65
科挙の出題範囲である四書(大学、中庸、論語、孟子)五経(詩経、書経、礼記、易経、春秋)とは全て孔子に由来するものである。(儒教を中興し、朱子学を創始した朱熹によって、より男尊女卑が極められたとか)
P118
窅娘(ようじょう)という踊り子は、白い絹で足を三日月状に縛って李 煜(り いく)の前で踊って見せた。(中略)足が「三寸(約9cm)金蓮」と称えられたこの窅娘(ようじょう)こそ、中国纏足の発明者で、以後千年もの間、中国女性を苦しめた張本人である。
P135
唐の典制によれば、皇帝には、一皇(皇后)、四妃、九嬪、七世婦(婕妤、美人、才人各九人)、そして八十一名の御妻がいて、総じて「後宮佳麗」と呼ばれている。才人である武則天は二十七世婦に属し、「正五品」の官僚に相当する。(後宮佳麗三千人と言われるが、一年に千人としても一巡するのに3年かかる。現実問題として、3人でもしんどいように思うけど)
P40
陽明山――台北の郊外にある山。もともとは「草山」と呼ばれていたが、毛沢東に敗れ、台湾に逃げた蒋介石は「落草為寇」(草山に落ちて山賊になる)というジンクスにはまることが忌まわしく、「陽明山」と改名した。「知行合一」思想の王陽明を尊敬する思いからだという。(中略)草山行館は、園林、竹山と池に包まれた伝統中国建築である。(草山行館は、蒋介石の住居で、現在は応接室がレストランとなっている)
↑ 陽明山・・・麓に無料の温泉もあるけど満員御礼状態。
【「後宮」に関連した参考故事】
盛り塩:合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。この塩を盛るという故事が、日本の料理店などで盛り塩をするようになった起源とも言われている。Wikipediaより)
【ネット上の紹介】
毛沢東・蒋介石から孔子・魯迅まで、中国4000年の歴史で重要な役割を果たした7人が登場。教科書には載らないエピソードが満載。
毛沢東―太陽の陰で目を擦る
蒋介石―見果てぬ大陸への帝王夢
孔子さま―人間から離れつづけた二千五百年
始皇帝―善も悪も全てがそこから始まった
李〓(いく)―亡国帝の千古絶唱の人生
武則天―性と姓に囚われた女皇
魯迅―絶望から絶望へたどった闘士