「新・民族の世界地図」21世紀研究会
P31
「国語」には、他の民族語の存在を認めないという概念が含まれて、かなり国粋主義的な色合いが強い。(イギリスではただの「イングリッシュ」)
P34
ロシア語中心で国家統合を強行したスターリンその人は、グルジア出身であったのに。
P35
イギリスのウェールズはスコットランドやアイルランドと同様、ゲルマン系のアングロサクソン人より先住のケルト系民族の伝統が濃い地域である。
P72
インドネシアが国民の9割近く、1億8,000万人以上のイスラーム教徒をかかえるが、国教は定められていない。(中略)国民はイスラーム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教、それに近年認められた儒教のいずれかを信仰しなくてはならない。無宗教は共産主義を連想させるといい、憲法で信仰の自由は認められているが、なにも信仰しない自由は認められていないのである。(隣国マレーシアはイスラーム教徒5割で国教となっている)
P106
西洋の文化はヘブライズムとヘレニズムを2本の柱とするが、これら地中海地域の二大文化の基層に横たわるのが「ケルト」の文化である。
P112
「北の人」を意味するノルマン人は、おもにスカンジナビア半島に住んでいたゲルマン系の民族である。(中略)
デンマーク地方からイングランドに進出したノルマン人はイングランド人からはデーン人とよばれた。デーン人はアングロ・サクソン人を支配下におき、1016年にデーン朝を開いた。この王朝は短命に終わったが、1066年には、イングランド王家と縁戚関係を得ていたノルマンディー公ウィリアムがノルマン王朝を開く。世にいう「ノルマン・コンクェスト」である。
P171
アボリジニの子どもを親元から連れ去って白人家庭や隔離施設で養育するという乱暴な親子政策もおこなわれた。(中略)アボリジニがオーストラリア国民と認められたのは1967年のことだが、白豪主義による親子隔離政策は1971年まで続けられた。
【ネット上の紹介】
9・11以後、世界の枠組は変わってしまったのか?民族問題は「正義と悪」の二元論では割り切れない。民族地図から読み解けば、複雑な事件も全く新しい答えが見えてくる。
第1章 民族と言語
第2章 民族と宗教
第3章 民族の移動
第4章 先住民族・少数民族
第5章 民族対立・紛争
第6章 中東・アラブとユダヤ
第7章 エネルギー争奪戦