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「戸越銀座でつかまえて」星野博美

2017年03月10日 20時49分05秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「戸越銀座でつかまえて」星野博美


先日、文庫本になったのを機に再読した。
忘れている箇所もあったし、読み直して改めて感慨深いところもあった。

P8
 自分はたった一つ、「自由」という小さな選択をしただけのつもりだった。
 しかしこの「自由」というやつはすごく強欲で、ストーカーのように執念深い怪物だ。ちょっと楽しそうな出来事が現れるたびに「俺とあいつのどっちが大事なんだ!」とわめき散らし、「おまえは最後には俺のところに戻ってくるよな」と耳元でささやき続ける。それにすっかり洗脳され、楽しみや喜びが罪悪のように感じられる。
 自由という名の暴君が、人生を食いつぶし始めたのである。

P72
 旅とは何だろう。一言で言えば、片っ端から出会い、片っ端から別れること、だと私は思っている。出会いと別れがひっきりなしに訪れるから、喜怒哀楽の起伏は日常の比ではなく、思春期真っ最中の人のように、泣いたり笑ったり怒ったりを繰り返す。

P198
 そしてハンガリーから帰国した日の翌日、しろは死んでしまった。
 その翌年は取材のために中国へ行き、帰国した翌日、のりの兄、たまを亡くした。
 私が海外へ行かなくなったのはそれからだ。海外へ行くたびに猫を失う。私には海外旅行が、もはや忌まわしいものにしか思えなくなってしまった。
 そしてそれから精神状態が落ちこみ、実家へ戻ることに決めたのはすでに述べた通りだ。
(こうして旅をする文筆家・星野博美さんはいなくなり、代わりに定点に留まる作家になったのだ…う~ん、感慨深い。でも、「みんな彗星を見ていた」でスペインに行ったから、多少とも「回復」したのかもしれない。いつかまた、「旅する作家」に戻るのだろうか)

【おまけ】
第4章「そこにはいつも、猫がいた」が泣ける。
山田詠美さんの「ベッドタイムアイズ」を思い出した。


【参考リンク】
「戸越銀座でつかまえて」星野博美

【ネット上の紹介】
40代、非婚。「自由」に生きることに疲れ、一人暮らしをやめて戻ったのは実家のある戸越銀座だった。変わりゆく故郷の風景、老いゆく両親と愛猫2匹、近所のお年寄りとの交流。そのなかで見つけた新たな生き方。“旅する作家”が旅せず綴る珠玉のエッセイ。
第1章 とまどいだらけの地元暮らし(二つの町
妻妾同居 ほか)
第2章 私が子どもだった頃(仔猫と旅人
えこひいき ほか)
第3章 あまのじゃくの道(負け猫と負け犬
時間よ止まれ ほか)
第4章 そこにはいつも、猫がいた(皆既日食
時差 ほか)
第5章 戸越銀座が教えてくれたこと(二〇一一年三月十一日
防災訓練 ほか)

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