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「戦跡巡礼」中津攸子

2020年04月16日 21時16分26秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)

「戦跡巡礼」中津攸子
 
中津攸子さんが戦跡を訪ね、歌を詠み、エッセイが添えられている。
訪問地は中国、サイパン、シンガポール、沖縄、広島など、アジア諸国、日本各地。
例えば、ハルピンでは次のような歌を詠まれている。
 
西日照る七三一の部隊跡
 
尾崎秀樹さんとの会話P26(ちなみに尾崎秀実は尾崎秀樹の実兄)
「七三一部隊は終戦後どうなったか知っていますか」
とあの艶のある声で私に聞かれた。
「よく知りませんが、石井四郎部隊長は天寿を全うしたと聞いています」
と申し上げると、
「そうなのです。それまでの研究した資料をアメリカに渡して戦犯をまぬがれたのです」
「下取引があったのですか」
「そうです。研究資料を渡すことで、七三一部隊の全員が無事に帰国し、官公庁や国立大学、医学研究所、ミドリ十字や自衛隊に再就職したのです」(ご存じのように、ミドリ十字は「薬害エイズ事件」を起こし、甚大な被害を与えた・・・元々のネガティブな「社風」が受け継がれていたのだろう、現在は救済合併により消滅)
 
P28
旧満州から多くの人が引き揚げて来た時、七三一部隊の人が何の苦労もなく、証拠隠滅のため頑丈な建物を破壊し、無事に帰国したことが釈然としないのだ。
 
石井部隊長について
戦後、新宿の若松町で陸軍の建物を旅館とし、女郎屋を営み、昭和34年に喉頭がんで死んだという。
 
P123
長崎には「長崎原爆死没者追悼平和記念館」「長崎原爆資料館」などがあるが、私は、永井隆博士の住んでいた「如己堂(にょこどう)」をまず訪ねた。(中略)亡き博士を偲びながら、仏教に帰依した聖徳太子の子山背大兄王は戦うなかれとの戒律を守って滅び、釈迦族も同じく滅び去ったことを思えば、この身が滅びようとも争ってはならない、滅びることを恐れるのでなく、戦うことを恐れなければならないと思っていた。
 
【感想】
著者の人柄が偲ばれる佳作だ。
なお、本作は英語バージョンもある。
世界中の人に読んでもらいたい、という配慮からだ。
 
【参考リンク】
丸木美術館
(埼玉に行く機会があれば訪問したい・・・東京も行ったことないけど)
 
【ネット上の紹介】
1章 大陸・巡礼(秋天の悲しきまでに白き雲
二〇三高地さざんか揺らす風
乃木坂の思はぬ蟇に逢ひにけり
秋風の僅か流るる盧溝橋
伏牛の辺より白蝶翔ちにけり ほか)
2章 太平洋諸島・巡礼(拳強く握る真夏の真珠湾
バンザイ岬海上に湧く雲の峰
夏草やモンテンルパの観世音
水牢をのぞき込みたる暑さかな
逝く夏やB29の滑走路 ほか)
3章 東京・広島・長崎・巡礼(飛行雲夏草の果て暮れ残る
小舟漕ぐ人新樹光あふれゐて
亡き父の真意に気付く今日の花
灯消し正座して聞く花火音
蜻蛉や水草揺るるままにゐて ほか)
4章 特攻兵士・巡礼(天炎えて特攻の碑の影深し
白雲の映るがわびし夏の川
海に向く特攻の碑や寒雀
人間魚雷錆びひとひらの山桜
逃げ水や霞ケ浦に浮く帆船)
5章 沖縄・巡礼(海原の沖へ沖へと白き蝶
秋の空墓石声なく群がりて
激戦の跡紫のすみれ草
獅子を誘ふに似て黄水仙
とかげの子瞬時石垣に隠れたる ほか)
6章 戦後・巡礼(藁馬に水を供へる敗戦日
一枚を文庫にはさむ渓紅葉
消防車幾台通る雪の夜半
色なき風白衣の人の会釈して
若夏や江田島に寄る波の音 ほか)
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