化身(1986)
1986年/日本
白い肌の女
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
主人公の文芸評論家で、女子大学で世阿弥の能楽の講義なども受け持っている秋葉大三郎は、田部史子という恋人がいたのであるが、北海道出身の八島霧子と出会ってからすっかり彼女に魅了されてしまい、出版社に1800万円以上も借金をして洋服のリサイクル店「アンティーク・ブティック・秋」の出店をサポートするのであるが、やがて大人になった霧子に愛想を尽かされてしまうというたわいのない話ではある。タイトルバックの背景に映された絵はポール・デルヴォーの「最終列車(Le Dernier Wagon)」であるが、『最強のふたり』(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督 2011年)のダリの絵のように深い意味を与えられることはなく、最終列車に乗っている真っ白い肌の女性は、やがて秋葉のもとから去っていく、肌がきれいな霧子を象徴しているのであるが、悪い演出ではない。
ラストシーンは霧子に捨てられた秋葉が公衆電話で天気予報を聞くのであるが、「晴れ、時々曇り、ところによりにわか雨」という予報は、全く予報になっておらず、自分の立ち位置が分からず、‘渡し守’として途方に暮れながら、霧子と史子を乗せて上昇するエレベーターをただ見上げるしかないというシーンも素晴らしい。
秋葉の著書がニューヨークでは定価の3倍で売られていると秋葉に教える、ニューヨーク在住の商社員マンである室井達彦の発言は、それだけ秋葉の著書に価値があると言いたかったのであろうが、日本の本はアメリカへ輸入されるのだから、秋葉の著書に限らずどれも定価より高いのであるが、そのようなケアレスミスはあるものの、秋葉の娘と霧子のプレゼントが同じベルトでかぶるというギャグなど、この頃の那須真知子の脚本は、ストーリーが単調であるが故に、大きな瑕疵はまだ見当たらない。『寒椿』(降旗康男監督 1992年)辺りから怪しくなってくる。
乙武氏「著名人は無断撮影OK?」(R25) - goo ニュース
作家の乙武洋匡が提起した、「著名人なら勝手に写真を撮っていいのか?」という議論は
前提が間違っている。そもそも「勝手に写真を撮っていいのか?」という議論が必要であり、
もちろん素人も含めて勝手に写真を撮ってはいけないはずであるが、携帯電話にカメラが
付属している以上、昔と違って片手で写真が撮れてしまうという気軽さは、写真を撮る
ハードルを確実に下げており、必然的に倫理も変化せざるを得ないだろうし、作家とは
いっても“五体不満足”が、本人は不本意ではあっても“売り”になってしまった乙武洋匡は
被写体として格好のターゲットになりやすい。同様の経験談として乙武が挙げている、
「私がラーメン食べてるところを盗撮してるガラスの向こう側のサラリーマンボッコボコに
するよ」というきゃりーぱみゅぱみゅの発言はファッションモンスターのネタだと思うけれど。