MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』

2017-06-14 00:36:27 | goo映画レビュー

原題:『Demolition』
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
脚本:ブライアン・サイプ
撮影:イヴ・ベランジェ
出演:ジェイク・ギレンホール/ナオミ・ワッツ/クリス・クーパー/ジューダ・ルイス
2015年/アメリカ

壊れてわかる「当たり前」の存在の重要性について

 ロマンティックな邦題に誘われて観に行ったら、全く正反対の作風で、原題が「破壊(Demolition)」ということで納得した次第である。
 主人公のディヴィス・ミッチェルは義理の父親の会社に就職し、投資銀行の社員として何不自由なく暮らしていたのであるが、妻のジュリアが運転している車に乗っている際に交通事故に遭い、ディヴィスは助かったのであるが、ジュリアは亡くなってしまう。ところがディヴィスは妻が亡くなっても思ったほどに悲しみが湧かないことに自身が戸惑うことになる。それは事故の際にディヴィスが見た「走馬灯」の中に巨大なカエルがいたことからも想像がつくし、病院でも妻の安否よりも自動販売機で買った「M&M'sピーナッツ」が取り出し口まで出てこなかったことに気を取られてしまうからである。
 ディヴィスは妻を愛していない理由を探すために、冷蔵庫や電灯やパソコンなど次々と壊していき、ついには他人に家を壊して予行演習をした後に自分に家も壊し始める。そんな時に見つけたものが「胎児」の写真である。自分が知らない間にジュリアは堕胎をしていたのだと思ったディヴィスだったが、それは浮気相手の子供だったとジュリアの母親に教えられる。
 そこで見つけたのが邦題にもなったジュリアのメモである。「もしも雨ならばあなたは私(=ここでは車のサンバイザー)を見ることはないし、もしも晴れているならばあなたは私のことを思い出すでしょう。(If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me)」と書かれているのだが、さらに敷衍するならば、人は本当に必要とする時になって初めてそれまで目立たない存在だったものの重要性を思い知るのである。例えば、ケイトの息子のクリスは自身のセクシャリティーに悩んでいるのだが、そのように苦悩するからこそ一般的には当たり前のように扱われる性の同一性が深刻な問題になるのである。
 それまで投資という刹那主義的に物の価値を判断してきたディヴィスはようやく「当たり前」の中に愛が存在することに気がつき、自身にとってのジュリアの存在の重要性を思い知らされる。「当たり前」に価値を見いだしたディヴィスはラストで身寄りのない子供たちに「当たり前」を提供することにしたのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする