MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「アグネス論争」と幻想としての「アイドル」

2023-08-11 20:08:59 | Weblog

 かつて日本に「アグネス論争」というものが勃発した。1987年頃から約2年間続いたそうである。当事者である歌手のアグネス・チャンを中心に巻き起こった論争をコンパクトにまとめるのは容易ではないので、ここではアグネス・チャンと小説家の林真理子の議論を整理してみたいと思う。
 この議論が勃発する頃というのは1986年に日本において男女雇用機会均等法が施行されたことを忘れてはいけない。男女の不平等な労働のあり方について転換点だったのである。
 事の発端は1987年に、第一子を出産していたアグネス・チャンがその乳幼児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことがマスコミに取り上げられたことである。当時の経緯をアグネス・チャンの著書『終わらない「アグネス論争」』(潮選書 2020.1.20)から引用してみる。

 「アグネス論争」は、私の「子連れ出勤」が発端となって、一九八七年に起きました。といっても、オフィスへの出勤ではなく、仕事先のテレビ局に赤ちゃんだった長男を連れて行ったことが問題視されたのです。
 これは当時、すごく誤解された点なのですが、子連れ出勤は私の個人的な事情から始まったことでした。「子連れ出勤が私のポリシー」というわけではなかったし、「働く女性の代表」のような顔をした覚えもありません。また、「女性たちよ、子連れ出勤しましょう」という運動を行ったわけでもないのです。
 「個人的な事情」とは、第一に、長男は初めての子どもで、私にとっては不慣れな育児だったこと。第二に、母乳育児だったため、子どもをそばに置いておきたかったこと。第三に、私の親や姉などはみな香港に住んでいたため、子育てに関して親たちを頼れなかったこと。
 そしてもう一つ、当時の私が十二本ものレギュラー、準レギュラー番組を抱えていて、長く育児休業しにくかったことが挙げられます。テレビ局側からは「できるだけ早く番組に復帰してほしい。局に赤ちゃんを連れてきてもいいから」と説得され、不安を感じながら復帰したのです。
 ですから、そのことが問題視されるとは思ってもみませんでした。ところが、私の子連れ出勤が新聞や雑誌などで紹介されると、少しずつ、反発・批判の声が現れ始めたのです。
 作家の林真理子さんやコラムニストの中野翠さんなどが急先鋒となって、「大人の世界に子どもを入れるな」「周囲の迷惑を考えていない」「プロとして甘えている」などという批判を浴びました。
 そうした言葉の一つひとつに、私は傷つきました。マスコミで報じられたことの中には誤解も少なくありません。私は一度だけ、「アグネス・バッシングなんかに負けない」という反論を雑誌に寄せ(『中央公論』八七年十月号)、その中で誤解については説明しました。(p.17-p.18)

 それ以降、批判派と擁護派が様々な立場から論陣をはって大論争に発展していったのだが、社会学者の上野千鶴子が『朝日新聞』の「論壇」の寄せた「働く母が失ってきたもの」(一九八八年五月十六日付)でとりあえず決着がついた形になったように令和の今なら見える。

 アグネスさんが世に示して見せたのは、「働く母親」の背後には子どもがいること、子どもはほっておいては育たないこと、その子どもをみる人がだれもいなければ、連れ歩いてでも面倒をみるほかない、さし迫った必要に「ふつうの女たち」がせまられていることである。
 いったい男たちが「子連れ出勤」せずにすんでいるのは、だれのおかげであろうか。男たちも「働く父親」である。いったん父子家庭になれば、彼らもただちに女たちと同じ状況に追いこまれる。働く父親も働く母親も、あたかも子どもがないかのように職業人の顔でやりすごす。その背後で、子育てがタダではすまないことを、アグネスさんの「子連れ出勤」は目に見えるものにしてくれた。(p.19-p.20)

 全くの正論で、グーの音も出ないから日本の社会はこの方向で進んで行くはずだったのだが、保育所数が増えることはなく、まして付属の託児所を持つ企業などほんのごく一部であり、ついに2016年にはSNS上の「保育園落ちた日本死ね!!!」という投稿が話題となり、確実に日本の人口は減少しつつあるのが現状である。

 ということで「アグネス論争」はアグネス・チャンの圧勝ということになるのかと思ったらそうでもないということを今から書いてみようと思う。林真理子の「いい加減にしてよアグネス」は『余計なこと、大事なこと』というエッセイに収録されているので、検証してみようと思うのだが、林から見た当時の状況を林自身が『文藝春秋』(2022年6月号)で回顧しているので引用してみる。

 いったい何年前だろうとウィキペディアを開いたところ(全く便利な世の中になったものだ)一九八八年とある。今から三十四年前だ。
 タレントで歌手のアグネス・チャンさんは、あの頃ものすごい人気であった。憶えているのは、24時間テレビの司会をする彼女をグラビアでとりあげた『フォーカス』が、「善意の固まりみたいな」と表現していたことだ。驚いた。あの『フォーカス』がだ。そのくらいの存在だったということを知っていただきたい。
 そのアグネスが長男を生み、テレビ局や講演会に連れていくようになった。それを朝日新聞が誉めたたえる。私はげんなりした気分になったものだ。コラムニストの中野翠さんも同じ思いで、舌鋒鋭くあれこれ書いた。
 もし彼女が、
「迷惑なのはわかっている。だけど私はこの子と別れたくない。ずっと一緒にいたい」
 と言うのであれば、私はああ、そうですか、と引き下がったであろう。しかし彼女の、
「赤ん坊を連れていくと、仕事場がなごやかな気分になるって皆に喜ばれます」
 という文章を読んだ時、かなり強い反ぱつが生まれた。こういう鈍感さにかなうものは何もない、と私は思う。当時私は結婚もしていなかったし子どももいなかったが、赤ん坊を持つ母親の独特の価値観がやりきれなかった。
 私の可愛い赤ん坊は、誰にとっても可愛いはず。どこに連れていっても喜ばれるはず。
 アグネスさんには、マネージャーだの付き人だのが常時数人つき添っていたという。その中の一人に、うちでベビーシッターを頼めばいいではないかと思うのは私だけではないようで、週刊誌でも意地悪な記事が出始めていた。そして私の『文藝春秋』における「いい加減にしてよアグネス」になるわけだ。
 この長文を出した当時は、世間からは「よく言ってくれた」という反応が多かったと記憶している。そこへ上野千鶴子さんの、朝日新聞での反論となるわけだ。
「『働く母親』の背後には子どもがいる」
「女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった」
 これに世論の針が大きく傾く。
 そして論争の火蓋が切られたわけだ。(p.290-p.291)

 この文章に付け加えておきたい文章を引用しておく。

 さて、国会でも話題になった「中央公論の記事」というのは、昨年六月に行われた彼女の講演料に端を発する。この時、『フォーカス』と『週刊朝日』が、彼女の講演料が百七十万円という高額であること、子どもにベビーシッターを含め六人連れでやってくることなどをすっぱぬいたのである。その後の彼女の強い抗議によって「百七十万円は百万円」「六人はいつもは四人」と訂正されたのであるが、それにしてもかなりの優遇である。これほどまでに恵まれている女性が、どうして全国の働く女性の苦悩を一身に背負ったようにふるまうのか、どうしても合点がいかぬと『週刊文春』に私は書いた。(『余計なこと、大事なこと』文藝春秋 p.17)

 林は「いい加減にしてよアグネス」の最後を以下の引用で締めくくっている。

 最後に締めくくりを、曾野綾子さんのこの文章でさせていただきたい。いまから二年ちょっと前、アグネスはエチオピアの難民キャンプを訪ねた(注:24時間テレビの取材)。その時見たものを、彼女はまた例の調子で書いたわけだ。
「私が出会った人はみんな礼儀正しかった。いい人たちばかりだった。無表情で感謝の心がないと書いた曾野綾子さんは、いったい何を見てきたんですか」
 曾野さんの文章から、
「私が外国の紀行文を書く時のルールは、たった一つです。それは、ある日、私がそこにいた時、こうだった、と書くだけです。それがその国の普遍的な状況だという言い方は、私はしないことにしています。私は学者ではないので、普遍化ができないのです。しかし私は、自分の目に映ったことを、あなたから違うと言われると『ああそうですね、違っていました』と言うわけにもいきません。あなたは私の書いたものが、自分の見聞きしたものと違う、と非難しておいでですが、私は違う方が当然だと思います。僅かな時の差、運命に似て出会う人々が違うこと、それを見る人の心や眼や、それらすべてが違うのですから、見えるものが違うのも当然でしょう。(中略)しかし『どこそこの人は皆いい人です』という式の言い分は、あなたがおっしゃる分には少しもかまわないのですが、大人は少し困ります。なぜなら、そういうことはこの世にないからです」(『余計なこと、大事なこと』 p.30-p.31)

 以上のことを踏まえた上で、冒頭で引用したアグネス・チャンの言い分を改めて検証してみるならば、少々首をかしげたくなる部分が散見される。例えば、テレビ局側から「できるだけ早く番組に復帰してほしい。局に赤ちゃんを連れてきてもいいから」と説得されたと書いているが、急に12本のレギュラー番組を休まれても困るから内心嫌々ながらでもアグネスの機嫌を取って出演を要請するのがテレビ局の立場であろう。どうもそこがアグネスには分かっていないように見える。
 あるいは「私の親や姉などはみな香港に住んでいたため、子育てに関して親たちを頼れなかった」と書いているが、ところで夫の親には頼れなかったのだろうかとも思う。
 そもそもアグネス・チャンが「子連れ出勤が私のポリシー」で「働く女性の代表」で「女性たちよ、子連れ出勤しましょう」という社会運動家であったのならばこのような不毛な論争にはならず、まだ景気は良かったからもしかしたら今の日本の人口は増えていたかもしれないのだが、アグネス・チャンは香港出身のイギリス人だから日本に対してそのような義理はないのである。

 ここからは私見なのだが、アグネス・チャンは1987年3月31日をもって大手芸能プロダクションの渡辺プロダクションから独立して個人事務所「トマス・アンド・アグネス」を設立している。ちょうど「アグネス論争」が勃発した頃なのである。つまりアグネス・チャンは仕事を失うことを恐れて休めなかったという可能性は高いと思う。どのような経緯で事務所を辞めたのかは分からない。円満退社だったのかタレントとマネージャーがつるんで退社したのか。しかし個人事務所の社員が新規に募集した人たちだらけだったとしたら自分の子どもを任せられなかったと思うのである。

 しかしアグネス・チャンは林が既に指摘しているように、そのようなネガティブな発言は決してしないし、それは個人事務所「トマス・アンド・アグネス」がかつて怪しい健康食品を売っていて、批判されるとアグネス本人が自信を持って体に良いものだと喧伝していながら、薬事法に抵触することを知ると販売中止にしてしまった経緯を見てもアグネスは職業病かもしれないが自分の「負」の部分を決して明かそうとしない。「アグネス論争」とは「事実」を明らかにしない人(つまりアイドル)をどこまで信用できるのかという問題だったのだと思う。いまではガチのアイドルおたく界隈に事情をよく知らない人たちが介入してしか起こらないような議論を当時は日本人がこぞってやっていたのである。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-198398


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『65/シックスティ・ファイブ』

2023-08-10 00:56:13 | goo映画レビュー

原題:『65』
監督:スコット・ベック/ブライアン・ウッズ
脚本:スコット・ベック/ブライアン・ウッズ
撮影:サルバトーレ・トチノ
出演:アダム・ドライバー/アリアナ・グリーンブラット/クロエ・コールマン/ニカ・キング
2023年/アメリカ

ご都合主義たちに撮られた作品について

 時代設定は6500万年前だそうである。惑星ソマリスに住む主人公のミルズは凍結装置で眠っている乗務員を乗せた惑星探索船の操縦者である。しかし帰路で無数の隕石に襲われて見知らぬ惑星に不時着するのであるが、そこが当時の地球という話である。ミルズ以外の生存者はコアという少女だけなのだが、言葉が通じないものの、ミルズにはネヴィンという同じ年頃の娘がいたので、何とかしてコミュニケーションを取ろうと努める。
 しかしその後のストーリー展開はグダグダで何と最後は二人だけで次々と現れる恐竜たちを倒して脱出ポットでソマリスに戻れるのである。
 思い返してみるならば2人の監督が脚本家として制作された『クワイエット・プレイス』(ジョン・クラシンスキー監督 2018年)も怪物が反応する音のヴォリュームの設定がご都合主義だったことを思い出した。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fashionpress/trend/fashionpress-102215


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『トランスフォーマー/ビースト覚醒』

2023-08-09 00:58:06 | goo映画レビュー

原題:『Transformers: Rise of the Beasts』
監督:スティーブン・ケイプル・Jr.
脚本:ジョビ―・ハロルド/ダニエル・メテイヤー/ジョシュ・ピーターズ/エリック・ホーバー/ジョン・ホーバー
撮影:エンリケ・シャディアック
出演:アンソニー・ラモス/ドミニク・フィッシュバック/ルナ・ローレン・ベレス/ディーン・スコット・バスケス/ピーター・カレン
2023年/アメリカ

安易に乱用される「2つの鍵」について

 最近同じことでずっと驚いているのだが、本作でなによりも驚くことは、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(ジェームズ・マンゴールド監督 2023年)において主人公が探しているは2つの「アンティキティラのダイヤル」だったが、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』(クリストファー・マッカリー監督 2023年)でも2つの「鍵」を探すというストーリー展開で、本作においても2つに折られた「トランスワープキー(Transwarp Key)」の片方を敵方よりも早くペルーまで行って見つけ出そうというストーリーなのである。さすがに同時期にこうも被ると「マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)」の安易な乱用が鼻に衝いてしまう。
 因みに監督が前作のマイケル・ベイ監督から交代したこともあってか、より子供向けの雰囲気が濃くなっているように感じた。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/moviewalker/entertainment/moviewalker-1148346


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『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

2023-08-08 00:55:22 | goo映画レビュー

原題:『Spider-Man: Across the Spider-Verse』
監督:ホアキン・ドス・サントス/ケンプ・パワーズ/ジャスティン・K・トンプソン
脚本:デヴィッド・カラハム/フィル・ロード/クリス・ミラー
出演:シャメイク・ムーア/ヘイリー・スタインフェルド/ジェイク・ジョンソン/ブライアン・タイリー・ヘンリー/オスカー・アイザック
2023年/アメリカ

究極のアニメーションの「タッチ」について

 前作の『スパイダーマン : スパイダーバース(Spider-Man: Into the Spider-Verse)』(ボブ・ペルシケッティ/ピーター・ラムジー/ロドニー・ロスマン共同監督 2018年)は未見のまま本作を観て度肝を抜かれた。『スペース・プレイヤーズ(Space Jam: A New Legacy)』(マルコム・D・リー監督 2021年)を観て、そのリアルとアニメを組み合わせる絶妙な描写のレイヤーに感心したばかりなのに、もはや本作はこれ以上存在しないと思えるくらいのあらゆるアニメーションのタッチを駆使して描かれているからである。
 さらに本作は『ザ・フラッシュ』(アンディ・ムスケェティ監督 2023年)のように分かりやすくはない。主人公のマイルス・モラレスと友人のグウェン・ステイシーの物語は交錯し、そもそもマイルスはスパイダーマンになるはずではなかったというのであるが、その運命を受け入れないと決心するマイルスは『ザ・フラッシュ』のバリー・アレンに通じるものはある。しかしマイルスの決断の結末は来年の『スパイダーマン : ビヨンド・ザ・スパイダーバース』を待つしかない。
 メトロ・ブーミンの「ホーム」を和訳しておきたい。

「Home」 Metro Boomin 日本語訳

スパイダーマンが戻ってきた

俺はずっとそのままにさせておいた
そう、俺は
俺は家に帰りたいんだ
そう、俺は

ムキになるなよ
俺が誰だか分かっているだろう?
取り消し可能なものなんてないんだよ
だから俺は俺らしくいるんだ

俺は離れようと思う
立ち去るつもりなんだ
夕方には一人になると思う
独りで全ての対戦を戦って
故郷のようにしようと頑張る
故郷のようにしようと頑張る
故郷のようにしようと頑張る

俺はずっとそのままにさせておいた
そう、俺は
俺は家に帰りたいんだ
そう、俺は

ムキになるなよ
俺が誰だか分かっているだろう?
取り消し可能なものなんてないんだよ
だから俺は俺らしくいるんだ

取り消し可能なものなんて何もないのだから
俺はただありのままでいる
彼らが俺の魂を傷つけるためにそうするけれど
俺は奴らよりも強いんだ

俺には違う専門的方法があるから
ウェブを攻撃する
これらの建物から揺れて
ついに俺は自由になるんだ
俺がまるで頭のおかしな奴のように
誰もが見ていることに俺は我慢できない
俺に付いてきているのは俺の影だけ

俺は自分の正体を隠しながら
犯罪に対峙している
敵が見当たらずに目覚めたらいいと願っている
目覚めたら全てが夢だったらいいと願っている
俺は平穏と交じり合った真実の愛を探そうとしている

俺はずっとそのままにさせておいた
そう、俺は
俺は家に帰りたいんだ
そう、俺は

ムキになるなよ
俺が誰だか分かっているだろう?
取り消し可能なものなんてないんだよ
だから俺は俺らしくいるんだ

俺は離れようと思う
立ち去るつもりなんだ
夕方には一人になると思う
独りで全ての対戦を戦って
故郷のようにしようと頑張る
故郷のようにしようと頑張る
故郷のようにしようと頑張る

家に帰る機械(ゴー・ホーム・マシーン)を初期化する
次元の痕跡が認証された
申し訳ないけれど
俺は家に帰るんだ

やったよ
俺は家についたよ

Metro Boomin - Home (Music Video) Spider-Man Across the Spider-Verse Soundtrack MV

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/shupure_news/trend/shupure_news-119828


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『ザ・フラッシュ』

2023-08-07 00:57:07 | goo映画レビュー

原題:『The Flash』
監督:アンディ・ムスキェティ
脚本:クリスティーナ・ホドソン
撮影:ヘンリー・ブラハム
出演:エズラ・ミラー/サッシャ・カジェ/マイケル・シャノン/ロン・リビングストン/マイケル・キートン/ベン・アフレック
2023年/アメリカ

トマト缶の置き間違いで変わる未来について

 近年のDCコミックスやマーベルコミックの映画化された作品の中で久しぶりに分かりやすいと思った理由は、メインストーリーがフラッシュ(バリー・アレン)に関することのみで、母親のノラを殺されて父親のヘンリーがその犯人とされて苦悩するフラッシュのモノローグ(正確を期すると過去と未来のフラッシュのダイアローグだが)で構成されているからであろう。本作がアメリカでヒットしなかったことに驚いている。
 しかし当初は大事件の原因となった「トマト缶」を元に戻せば変化した過去は元に戻ると思われていたものの、実際はバリーが気付かずに下段に置かれていた「トマト缶」を上段に置いてしまっただけで未来は変わってしまったのであるが、これはキャスティングの妙もあるからネタバレせずに実際に見た方がいいと思う。
 そういうことでザ・ラカンターズの「サリュート・ユア・ソリューション」を和訳しておきたい。

「Salute Your Solution」 The Raconteurs 日本語訳

俺は微妙な立場に置かれたと思わないでもないから
俺の話を聞けよ
おまえならたぶん俺を助けられるから
俺の考えでは俺は多くの問題を抱えていると思うが
それは俺のせいではなくて
いつも他の誰かのせいのように思える

何故誰もがちょうど休暇中のように見えるのか?
俺はそこから何を得る?
俺は何一つ得ていないのに
俺は全ての情報が詰め込まれたゴミ箱みたいだ
毎回俺は2フィート高い感じにさせられる

おまえの解決方法を称賛しよう
おまえの解決方法を称賛しよう

俺は自分が自分の最高の意図よりも良く見えることが分かる
ある種の拍手を無視しながら
他の全ては受け入れるだろう
他の人々は誰でも満足までには程遠い道を見つけているように見える
俺は自分にとって全く気が滅入るような嘲笑を見つける

もしもこの複雑な問題に対するちょっとした答えがあるのなら
俺を助けるためにどこかの誰かが
俺の心の中のものを解決する
俺だけが選んで得て受け入れる人は一人だけいる
俺が選ぶ人は一人だけいる
俺が選ぶ人は一人だけ

俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ

俺はおまえがいるにも関わらず手に入れたもの全てを手に入れた
俺はただおまえをいじめるためだけに手に入るものを手に入れる
俺はおまえがいるにも関わらず手に入れたもの全てを手に入れた
俺はただおまえをいじめるためだけに手に入るものを手に入れる
俺はおまえがいるにも関わらず手に入れたもの全てを手に入れた
俺はただおまえをいじめるためだけに手に入るものを手に入れる

俺は自分が自分の最高の意図よりも良く見えることが分かる
ある種の拍手を無視しながら
他の全ては受け入れるだろう
他の人々は誰でも満足までには程遠い道を見つけているように見える
俺は自分にとって全く気が滅入るような嘲笑を見つける

もしもこの複雑な問題に対するちょっとした答えがあるのなら
俺を助けるためにどこかの誰かが
俺の心の中のものを解決する
俺だけが選んで得て受け入れる人は一人だけいる
俺が選ぶ人は一人だけいる
俺が選ぶ人は一人だけ

俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ
俺が選ぶ人は一人だけ

The Raconteurs – Salute Your Solution (Official Music Video)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jocr/entertainment/jocr-raditop-511912


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『ベネデッタ』

2023-08-06 00:59:20 | goo映画レビュー

原題:『Benedetta』
監督:ポール・バーホーベン
脚本:ポール・バーホーベン/デビッド・バーク
撮影:ジャンヌ・ラポワリー
出演:ビルジニー・エフィラ/ダフネ・パタキア/シャーロット・ランプリング/ランベール・ウィルソン/オリビエ・ラブルダン
2021年/フランス・オランダ・ベルギー

信念の強弱による運命について

 17世紀のイタリアのペシャで6歳で出家することになった主人公のベネデッタ・カルリーニは修道院へ行く道中でも「奇跡」を発揮することで盗賊たちから家族を救うことになるのだが、18年後に彼女の身に現れる聖痕に関しては陶器の破片によって自身でつけたという噂は絶えることがなかったようで、確かに証拠となる陶器の破片は「恋人」であるバルトロメアによっても糺されたりしているが、ベネデッタは最後まで聖痕は本物だと言いはる。しかし結局はこの信念によってこそテアティン修道院のフェリシタ修道院長やジリオーリ教皇大使の弾圧にも耐えられたように思う。逆に言うならばフェリシタ修道院長やジリオーリ教皇大使は世俗に染まり過ぎてイエス・キリスト対してベネデッタほどの強い信仰がなかったということであろう。
 あまり共感してくれる人はいないと思うが、本作の画質がなんとなく1950年代から60年代の増村保造監督作品のような大映映画に似ていると思った。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/moviewalker/entertainment/moviewalker-1102469


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『ナイフ・プラス・ハート』

2023-08-05 22:10:40 | goo映画レビュー

原題:『Knife + Heart』
監督:ヤン・ゴンザレス
脚本:ヤン・ゴンザレス/クリスティアーノ・マンジョーネ
撮影:シモン・ボーフィス
出演:ヴァネッサ・パラディ/二コラ・モーリー/ケイト・モラン/ジョナサン・ジェネット/フェリックス・マリトー
2018年/フランス・メキシコ

作品のテーマの不明瞭さについて

 なかなか評価するのが難しい作品だと思うのだが、時代背景は考慮されるべきだと思う。1979年のパリで、主人公のアンはゲイ映画の監督とプロデューサーを兼ねている。アン自身も同性愛者で何故か元恋人だったルイスは今でもアンの作品の編集を手掛けている。
 よくよく考えるならば、1979年のゲイ映画に携わる人間は、優秀な人材ならば自身がゲイであることを隠してメジャー作品に出演するはずだから、実質、ゲイ映画はゲイの人たちが作りゲイの人たちだけで観賞する「内輪ウケ」するものになりがちである。言い換えるならばメジャー映画が大学院の映画学科で制作されるものであるとするならば、ゲイ映画は映画同好会、あるいは映画サークルで制作されるようなもので、そのクオリティには雲泥の差が生じるであろうことは想像に難くないし、実際に、周囲で殺人事件が起こっているにも関わらず警察が動こうとしないのは偏見によるものであろう。しかし一見グダグダに見える映像ながら上手く撮れていると思う理由は、ゲイ映画であるにも関わらず一度も陰部が見えないことで、それが本作のクオリティを保証しているはずである。
 ストーリーは明瞭ではないが、犯人はアンの前回の作品に出演していたガイという男性で火事で顔全体を火傷していたのであるが、おそらく誰にも助けられなかったことに対する恨みが男根をナイフに変えさせたように見える。
 ところでラストにアンとルイスが和解したように見えるのだが、カメラマンのフランシスに撮影に集中するように促されたアンは消えていくルイスを目撃する。ルイスが実在する人物なのかよく分からなくなるのだが、それは本作が、あるいは映画内映画が本当に「編集」されているのかという疑問を生じさせもする。
 また日本語字幕に関することなのだが、アンが現在撮っている作品は『Homicidal』で、これは『怒りのアナル』と訳されていたと思うが、元々「ゲイ殺し」という意味だからこれは悪くはない。しかしアンが1977年に撮った作品は『De Sperme......et D'eau Fraiche』で、これが『精液と孤立した田園』と訳されているのであるが、これは『精液と冷たい水』という意味で、熱い液体と冷たい液体を対照させたはずなのである。ところが英語版のウィキペディアを見ると英語で『Spunk and the Land Alone』となっており、これならば『精液と孤立した田園』で良いのである。そもそもタイトルからして英語では邦題と同じ「ナイフ・プラス・ハート」なのだが、フランス語では「心の中のナイフ(Un couteau dans le cœur)」で微妙に違っており、この不明瞭なタイトルのつけ方からして、テーマをはっきりさせない監督の作品意図が感じられるのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-148166


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『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』

2023-08-04 00:57:44 | goo映画レビュー

原題:『Fast X』
監督:ルイ・レテリエ
脚本:ジャスティン・リン/ダン・マゾー
撮影:スティーヴン・F・ウィンドン
出演:ヴィン・ディーゼル/ミシェル・ロドリゲス/タイリース・ギブソン/ジェイソン・モモア/ジェイソン・ステイサム/シャーリーズ・セロン
2023年/アメリカ

告知無しの「パートワン」について

 本作でまずなによりも驚いたことは『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』(クリストファー・マッカリー監督 2023年)同様に前編後編と分かれていることで、それならせめて『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』同様に「PART ONE」と記しておいて欲しいと思う。
 これまでのシリーズに見られなかった演出としてドミニク・トレットと行動を共にしているリトル・Bの視点から描かれていることで、子供目線だからアクションもより派手に見えるのかもしれない。
 ヤングボーイ・ネヴァー・ブローク・アゲインとベイリー・ジンマーマンとデルモット・ケネディの「ウォント・バック・ダウン」を和訳してみる。

「Won't Back Down」 NBA YoungBoy, Bailey Zimmerman, Dermot Kennedy 日本語訳

俺の世界は降下している
俺は膝を屈して
両手が震えているのを感じる
俺がまた息をする保証はないが
俺が後に引くことはない

俺の家族のために
おまえは俺を解放することができる
家族を持つことは困難で
それで俺は精神的に参ってしまった
そばにいなければ俺の後を継いだ誰かのように
俺を荒れ狂わせる
俺のガールフレンドは俺の心だけを受け止め
俺の友人たちは俺を呼び戻して
俺たちはお金を得ようと努力し
嵐であろうと晴れていようと
俺たちは一緒にいる

奴らは俺に後に引くことを期待している
それが俺の運命で
それが俺にとって最善策であろうと
俺はおまえを俺たちの先頭に立たせたままにはできない
俺は席までおまえをエスコートしなければならないだろう
その全てにおいて俺たちは失敗できない
計画は目的を達するために練られたのだから
俺はただ本当にすぐに痛みが引くように思いながら
束の間の平穏を必要としているんだ

俺が落ちぶれているように聞こえるならば認めるけれど
俺は自分の家族のために立ち上げる
全てのミッションを完遂させる計画を
俺の人生が終わる前に全てを
この車の中で俺は戻る
ただ俺のモーターの調子が上がるのを見ている
俺が愛する者たち全てを守りながら
この害悪に俺たちを盲目にさせるわけにはいかないんだ

俺の世界は降下している
俺は膝を屈して
両手が震えているのを感じる
俺がまた息をする保証はないが
俺が後に引くことはない
俺が後に引くことはない
両手が震えているのを感じる
俺がまた息をする保証はないが
俺が後に引くことはない

俺の両手が冷たくなると
俺は一人で
暗闇の中を這って行く
俺の骨が脆くなっていても
俺は炎の中を走り続けるだろう
俺が後に引くことはない

両手が震えているのを感じる
俺がまた息をする保証はないが
俺が後に引くことはない

FAST X | Won't Back Down (Official Music Video) - NBA YoungBoy, Bailey Zimmerman, Dermot Kennedy

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/moviewalker/entertainment/moviewalker-1138569


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『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』

2023-08-03 00:56:21 | goo映画レビュー

原題:『Mission: Impossible – Dead Reckoning Part One』
監督:クリストファー・マッカリー
脚本:クリストファー・マッカリー
撮影:フレーザー・タガート
出演:トム・クルーズ/ヘイリー・アトウェル/ヴィング・レイムス/レベッカ・ファーガソン/サイモン・ペッグ/ヴァネッサ・カービー
2023年/アメリカ

ハリウッド映画で流行するマクガフィンのあり方について

 まずなによりも驚いたことは『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(ジェームズ・マンゴールド監督 2023年)において主人公が探している2つの「アンティキティラのダイヤル」を組み合わせるという同じ構図が本作においても2つの「鍵」を組み合わせるということでストーリーの要である「マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)」が被ってしまっているのである。
 ここでも日本語字幕に関して書こうと思ったら本作の字幕も戸田奈津子が担っていた。何度も出て来る「それ」というのは最初は「It」と言われているが、それが意志を持ったAIだと分かるにつれて「Entity(存在物)」と呼ばれるようになるのだが、これは意訳するならば「生命体」ということだと思う。しかし日本語字幕ではずっと「それ」のままで通してしまっているのだが、確かにこれは悩むところではある。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/motormagazine/trend/motormagazine-24c343521e436fed7ef30e1299e9f1e3a6e44000


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『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

2023-08-02 00:59:16 | goo映画レビュー

原題:『Indiana Jones and the Dial of Destiny』
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド/ジェズ・バターワース/ジョン=ヘンリー・バターワース
撮影:フェドン・パパマイケル
出演:ハリソン・フォード/フィービー・ウォ―ラー=ブリッジ/マッツ・ミケルセン/トビー・ジョーンズ/アントニオ・バンデラス
2023年/アメリカ

字幕の限界か翻訳者の限界か

 ストーリーとしては「アンティキティラ島の機械」という実在の遺物を基にした「アンティキティラのダイヤル」でタイムトラベルものにしたことで、世界で最も有名な考古学者であるインディ・ジョーンズが5作目にして「本当に」過去までさかのぼっていったという展開が上手いと思う。
 誰も書かないと思うので、本作で戸田奈津子が担っている日本語字幕に関して記しておきたい。舞台背景は1969年ですったもんだの末に、インディたちはナチスの元物理学者であるユルゲン・フォラー(シュミット博士)たちに捕まった際に、記憶があやふやで申し訳ないのだが、「ナチスでも冗談を言うのか」というインディのセリフが字幕で出ていた。原文はおそらく「Try not saying a joke」だったと思うが、この文意は「(ナチスのくせに)ふざけたことを言おうとするな」であろう。自身に従軍経験があり、戦争で息子を亡くしている主人公の気持ちがどうも感じられないのである。観賞しながらでも不備を感じたので他にもあると思うのだが、戸田奈津子の日本語字幕が作品を例え少しでも本作をつまらなくしてしまっていないか心配している。


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jocr/entertainment/jocr-raditop-515405


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