青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

「鐡」の城下町を往く

2016年05月13日 19時00分00秒 | 山陽電鉄

(いつもあなたのそばに@山陽そば飾磨店)

飾磨駅のホームの神戸方にある山陽そば飾磨店。駅の立ち食いそば文化ってのは関東のイメージがありますけども、どっこい関西でも阪急そばとか南海そばとか民鉄系列の立ち食いそば屋さんってのはポピュラーなもんらしいです。そして山陽電鉄も数は少ないですが立ち食いそば店を経営してまして、普段使いのお店として根強い人気があるんだとか。この山陽そば、「スルKAN」の割引券を使うと1割引きで食べられたりします。


山陽姫路から戻り時刻は15時少し前。正直お腹は空いてましたのですが、旅を進める上で食事が後回しになってしまうのがアタクシの悪いクセ。暖簾をくぐった店内は逆L字型のカウンターで、案外と広い厨房の中でおばちゃん2人がキビキビと働いていました。注文したのは「ぼっかけ丼セット(520円)」。牛のスジ肉をこんにゃくと甘辛く煮込んだ神戸長田の名物「ぼっかけ」、ご飯の上に甘辛い牛スジ肉と温泉卵の取り合わせはまずかろうはずがなく、付け合わせのソバは袋入りのふやふや茹で麺でコシもへったくれもありませんが、なぜか麺の主張のなさが関西らしい薄口のツユに合ってそこそこ美味しかったり(笑)。


飾磨駅は、本線の上下線が真ん中の頭端式の網干線ホームを挟み込む形の配線。中線の網干線車両は両側の扉を開け放って停車するので、上下どちらの電車からもスムーズに乗り換える事が可能になっています。網干線に入っているのは3000系列の3連ですが、ワンマン対応になっています。3210とはカウントダウンのような車番だ(笑)。


走り出した網干線の山陽網干行き。北に向かう本線と分かれる場所には飾磨車庫があって、山陽電車の姫路方の電留線として機能しているようです。3000系列のパノラミックウインドウから眺める網干線の車窓風景。最近は使われなくなったデザインですけど、国鉄の113系なんかに代表される1960年代の鉄道車両の典型的な流行でした。


飾磨から2つめの夢前川駅の手前で、電車は夢前川の鉄橋を渡ります。河口方面に見える大きな煙突群は新日鉄住金の広畑製鉄所。新日鉄が住金と合併する前の「新日鐵広畑」と言う名前のほうが通りがいいでしょうかねえ。新日鐵広畑と言えば社会人野球の名門チームでして、個人的にはロッテに来たキャッチャーの定詰と薮田の二人の印象がとても強いですね。定詰は「雅彦」と言う名前だけで応援歌が「ギンギラギンにさりげなく」だったねえ。マッチかよ。

 

鉄鋼生産の縮小により全盛期に比べれば大きく規模を落とした広畑の製鉄所ですが、往時は大勢の工員さんがこの駅を使って工場へ勤めに出ていたんだろうな。そんな事を思い起こさせるような夢前川駅の駅舎は、大きく広い駅の出入口が印象的。駅の裏には「製鉄記念広畑病院」という新日鐵系列の大きな病院があり、今でもこの地域は一企業によって地域住民のインフラが支えられるといういわゆる「企業城下町」が形成されていることが分かります。

 

飾磨の駅から約15分で電車は終点の山陽網干駅に到着しました。播州平野の西端を流れる揖保川の河口に開けた街で、明石市から始まる播磨臨海工業地帯もこの辺りで終わりになります。地図で見ると網干の街ってのはもう相生の手前くらいまで来ているので、だいぶ西まで来てしまったんだなあと言う感じ。街の南にはダイセル化学の大きな工場があり、街の産業を支えています。この駅は関西圏の大きな私鉄のネットワークの西の端に当たる駅で、もちろんスルKANで訪れる事の出来る最西端の駅でもあります。


網干線は、太平洋戦争に向けて国際情勢が風雲急を告げる昭和15年に開通した路線ですが、やはり国防の観点からも広畑の製鉄所を中心とした沿線の工場への工員輸送は重要視されていたようです。昭和14年に日本製鉄によって開設された広畑製鉄所は、戦後は富士製鉄広畑製鉄所として高度経済成長期の日本のインフラを支えました。今や粗鋼生産は安価な中国製に取って代わられる時代となり、日本の鉄鋼業界も合従連衡を繰り返し縮小再生産の時代が続いています。正直鉄鋼が産業を牽引する時代はとうの昔と言ったところでしょうが、網干線は今日も単線15分ヘッドでゆるゆると「鐡」の城下町を走り続けるのであります。
コメント
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