(並走区間@山陽塩屋駅)
西代から東須磨で地上に出た山陽電車は、月見山から山陽須磨までは須磨の市街をくねくねとカーブしながら走り、山陽須磨からは海岸線に出ます。特に須磨浦公園から山陽塩屋にかけては車窓に明石海峡の海が広がる風光明媚な区間。そんな山陽塩屋駅で下車して、須磨浦公園までの線路沿いをぶらりと歩いてみることにします。調べたら1kmくらいみたいですね。
駅を降りてJR塩屋駅を跨ぎ越し、海側に出て歩き始めると山手のほうに「グッゲンハイム邸」という洋館が見えて来ます。いかにも神戸らしい風景ですよねえ。海に向け開けた高台に建つコロニアル風の赤屋根の洋館は、ドイツの貿易商の方の所有だったそうで…神戸ってーと生田の異人館が有名ですけど、知られてない中でもこんな建造物があるんですね。1909年に建てられたって事だからもう100年以上経ってるのか。洋館からさらに山手に繋がって行く街並みの姿も素敵です。
洋館の前を山陽3000系アルミカーが駆け抜けて行きます。今でこそ珍しくなくなったアルミボディの鉄道車両ですが、子供の頃から「京阪電車=テレビカー」であるのと同様のレベルで「山陽電車=アルミカー」と言う印象がとても強いですね。それもそのはず、日本のアルミ製車両の嚆矢となったのが現在の川崎重工車輌カンパニー(当時は川崎車輌)が山陽電鉄に納入した2000系なので、これが山陽=アルミカーと言うイメージを決定付けているのだと思われます。鉄道車両の歴史的にも重要な車両だけに、平成14年に廃車された後は東二見の車庫で保存されてるんだそうな。
この「グッゲンハイム邸」の入口にある塩屋東第1踏切が、山陽電車の名撮影地である塩屋のSカーブになります。初代から数えて3代目にあたるアルミカーの5030系直通特急…阪神梅田~山陽姫路間の「直通特急」の幕下には、阪神タイガースの球団旗を掲示するのがお約束です。
Sカーブってのは長い編成の被写体を魅力的にくねらせてナンボだと思うので、正直6連が最長の山陽電車でSカーブと言うのは迫力を表現するのになかなか難しい部分はあったり…色々と試してみたところ、後ろに下がってズームで詰めてあまり手前に引っ張らないくらいがまとまって来るかな。バックのトンガリ屋根のお家も良いアクセントです。このあたり、グッゲンハイム邸をはじめとする洋館が多く建ち、通称「ジェームス山」と呼ばれているとか。
3000系アルミカーの普通電車須磨行き。6連でも苦労するところに4連ではくねらせようがなく、ここはグッゲンハイム邸を入れてスナップ的な感じにしてみました。お屋敷に繋がる人道用の小さい踏切と、古石垣に絡まるツタがアクセントかなあ。グッゲンハイム邸自体は現在でもイベントや展覧会、ウエディングなんかに使われているようなので、結構この日も人の行き来がありましたね。
阪神9300系の直通特急。やっぱり種別幕下の球団旗はお約束。尾灯の部分を切り欠きにしているデザインが凄くシャープな印象を受ける車両です。直通特急を運用するにあたり、クロスシートの山陽車に比べてロングシートの阪神車があんまり評判がよろしくなかった事を踏まえて阪神が直通特急用に投入したクロスシート車のため、たった3編成しかない小所帯の形式でもあります。直通特急って山陽車と阪神車で6:4くらいの比率で山陽車のほうが多く充当されてますもんねえ。
須磨の海岸を行く山陽電車。普通姫路行きは5000系のトップナンバー5000編成。5000系グループには4連・6連の5000系と6連固定の直通特急用5030系がありまして、見た目はそんなに変わりませんけど車内設備は転換クロスだったり固定クロスだったりと作られた時代により結構バラバラしてますね。驚いたのはクロスシートでも山側1列海側2列とかの変則配列になってるのがあったりするんだよね。八高線のキハ110みたいだなと(笑)。
鉢伏山が海に迫るこの辺りは、昔から関所が置かれるなど交通の要衝でもありました。「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守」って歌が百人一首にありますけれども、今でも山陽須磨駅の北側には「関守(せきもり)町」と言う地名が残っていたりしますね。