青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

最後の秋の小仏路

2017年11月26日 07時25分46秒 | 中央東線

(小仏峠を仰ぎ見て@八王子市裏高尾町)

撮影地の小山はリバーシブルな使い方の出来る便利な場所なので、金刀比羅宮の反対側の斜面からは新宿方面の上り列車を迎え撃つアウトカーブの構図が取れます。青空に浮かぶ小仏峠の稜線。高尾山口の駅から高尾山~小仏城山~小仏峠を通って麓の小仏のバス停から高尾まで戻るというのがお手軽なハイキングコースらしい。高尾山絡みでは裏高尾の蛇滝口から昇る登山道にも俯瞰ポイントがあるらしいのだが、行った事はありません。


一反インカーブ側から離れ、サブカメラを持ってアウト側へ。8時半過ぎのスーパーあずさ5号。ここから800mくらい先が東京都と神奈川県の県境を貫く小仏トンネルの坑口。当初は単線として作られた小仏トンネルが開通したのは明治34年、長さ2,574mというのは明治の時代のトンネルとしてはかなり長大なものではなかったろうか。颯爽と振り子車体を傾かせて小仏トンネルへ向かうE351系、最後の秋の小仏路。E351って増結車との連結面をどう表現するかってトコあるよね。


5号とはおそらく小仏トンネル内ですれ違ったであろうスーパーあずさ4号が矢継ぎ早に。平成も30年になるとJR世代のクルマでも鬼籍に入るものも出て来るワケですが、同業者の方があまりカメラを向けてないのが気になる(笑)。国鉄型の葬式とはまた違った感覚なのだろうか。まあベテランの撮り鉄さんにしてみりゃE351系なんてまだまだ新しい車両なのだろうし、そんなに感慨も湧かないのかもしれませんねえ。


気を取り直してインカ側に復帰。9時前の貨物はブルサン牽引のコンテナ列車2083レ。タキ中心の東線貨物では貴重なコンテナオンリーの編成です。東線のコンテナ便で言えば、夕方の89レとかロクヨンの重連時代は豊田の電車区裏のSカで西日に面ギラリの構図とか定番でしたけどねえ。ってマニア以外にはちょっと何言ってるか良く分かんないですね。とサンドイッチマン富澤さん的なセルフ突っ込み。


今日のお目当てでもあるM50編成のホリデー快速河口湖…じゃねえやホリデー快速富士山。勝田や上沼垂や仙セの485が消え、秋田の583が去り、いわゆる「国鉄時代の特急型車両」として普遍的なデザインとフォルムを持つのはいまやJR東日本管内では現在豊田(3編成)と長野(1編成)にいる189系車両の4編成のみとなっている訳なんですが、今回残った4編成の中からこのM50編成が正式に引退(平成30年1月)する事が発表されました。居並ぶ撮り鉄のシャッター音の雨の中、こちらも最後の秋の小仏路を行く。


「あずさ色」と言われる水色と白の爽やかなカラーリングのM50編成。個人的にですがホリ快河口湖はこの編成のイメージが強くって、それこそ富士急沿線に写真を撮りに行くとよく見かける馴染みの顔でもありました。同じあずさ色では幕張にいたM31・32とかね。まああまり細かく話しても189系のジャンルはお詳しい先達の方がたくさんいらっしゃいますので割愛(笑)。ちょっと前はJR東日本の山梨キャンペーンキャラクター「モモずきん」をオデコに貼り付けていたのが印象深いですね。富士急の月江寺駅にて。
コメント
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