青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ステンレスは悠久の輝き

2019年07月29日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(北の終着駅@揖斐駅)

我々が乗り込んだ揖斐行きの元東急7712Fは、大垣を出ると大きく東海道線を跨ぎ越し、針路を北に向けます。とりとめもないような西美濃の郊外を走った後、北神戸あたりから段々と周囲に田園風景が開けて来て、そのまま終点の揖斐に到着しました。大垣から約25分の養老北線の旅は、取り立てての感想がないのが感想といったところ。揖斐の駅は棒線一本の終着駅で、到着列車はただ折り返すだけの仕組みになっています。

揖斐の駅は改修はされていますが、おそらくは開業当時からの古い木造駅舎。揖斐川町で唯一の鉄道駅であり、駅前からは町の中心部や谷汲山華厳寺行きのバスが出ています。町の中心部はここから揖斐川を渡った対岸にあり、かつては揖斐川町へは岐阜市内から名鉄の揖斐線に乗って本揖斐駅まで行くのがメインルートでした。あくまで養老線の揖斐駅は町外れにあるサブ的な扱いの駅だったのですが、平成13年の揖斐線の黒野~本揖斐間、谷汲線の黒野~谷汲間の廃止に伴って、揖斐川町内の交通はこの揖斐駅に集約されることになります。 

特に揖斐の駅ですることもないのですぐさま折り返しの電車に乗車しつつ、先ほどは眺められなかった車両内部をじっくりと観察してみる。東急→養老への譲渡時に、車内の改造を徹底的に行っていますので、座席や床板周りは新しいものに取り換えられているようでとてもきれいですね。改造については恩田の東急の工場で施工されたと思ってましたが、実際は近鉄の塩浜工場での整備という事だそうで(読者の方からご指摘をいただき訂正させていただきます)。そして中間車にはわずかなスペースですが、転換クロスシートが設けられていて、これが東急時代との大きな違いになっています。伊豆急に行った8000系的な改造かな。

そう言えばこの7712Fを東急時代に撮影してなかったっけかな、と思い立ってHDDを漁っていたら、平成27年頃の蒲田の駅で撮影したカットがあった。マニアの愛称的にはいわゆる「歌舞伎柄」の編成であったようだ。この時は、静かに池多摩線内でその生涯を終えるものとばかり思っていたのだが、事実は小説より奇なりである。何よりきっと7712F本人が第三の人生があるなんて思っていなかったに違いないのである。養老鉄道という名前自体が年寄りに優しそうな職場という字ヅラの雰囲気を醸し出しているのだが、もうこうなったら製造100年を目指して走るしかないと思うよね(笑)。
 

車両の隅の銘板。昭和39年東急車輛製造、平成元年改造。いずれにしろ昭和39年って東京オリンピックの年ですし、新幹線が東京から新大阪まで開通した年ですし、西暦1964年→今年2019年ですから、養老線ではニューフェイスとはいえ御年55歳の超ベテラン選手。鉄道車両として二度目の2020年東京オリンピックを迎えるクルマって、路面電車みたいな長寿車両の多いジャンルを抜かすとなかなかないんじゃないですかねえ。養老鉄道では「別に車体もしゃんとしてるし、使えたら30年くらいは使いたい」みたいな話で導入しているらしいし、真面目な話実働100年越えは狙えるのではないかと思っている。昭和に生まれ、平成を走り、令和を新天地で迎え、そして伝説へ。ドラクエか。つーか令和の先の次の時代まで走っている可能性も、ないとは言えないよな。

2064年の養老鉄道はどうなっているのだろう。あと35年か。そこまで自分が生きているかどうか?出来ればこの目で見届けてあげたいものだが、どうだろうなあ(笑)。

コメント (2)
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