青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

追憶のスカーレット

2019年07月20日 17時00分00秒 | 長良川鉄道

(水清らかに鯉泳ぎ@長良川鉄道車内)

美濃太田11:34発の7列車は、特急ひだの続行でやって来た普通列車から乗り換えた乗客であっという間に満員。立ち客も出る状態で長良川鉄道の旅はスタートしました。美濃太田から関にかけては、半農半住、と言った感じの濃尾平野の風景が茫洋と続きます。近距離の客がちょこちょこ降りて行きますが、美濃加茂市から関市にかけての輸送ニーズはそこそこあるようです。幸いにもボックスシートにありつけた我々親子。掛けられた鯉のイラストのカバーがなかなかお洒落。

約20分で刃物の街・関に到着。長良川鉄道の本社と車庫があって、運用上の中心を成す駅でもあります。駅舎とホームの上屋が木造でなかなか渋くていいですねえ。瓦屋根の駅舎から伸びるホームのトタン屋根とか昔ながらの雨どいとか大好物です(笑)。よく見るとホームの上に通票閉塞機(赤いボックスみたいなの)とか置かれててまた雰囲気があるねえ。さすがに現役で使っている訳じゃなさそうだけど。

関で半分くらいの客の入れ替わりがありまして、そこから10分ほどさらに揺られてやってきたのは関市のお隣・美濃市駅。まずはここで途中下車をしてみることに。美濃市の駅は小高い築堤の上に立っていて、駅舎はホームから地下道を抜けた場所にありました。緑のスレート葺きの木造駅舎、一応駅員さんはいるみたいですが、市の玄関口の駅と言うにはあまりに鄙びていて、そのローカル感は否めません。駅前に申し訳程度に止まっていた1台のクラウンコンフォートのタクシーが、隠し切れない小都市の駅前っぽさに花を添えているようです(笑)。

子供と一緒に美濃市の駅前通りを歩く。お隣の関は刃物の街として栄えましたが、美濃市は美濃和紙の産地として名を馳せた街。ですが、最近は人口も2万人を切っており、ご多分に漏れず過疎化はじわじわと進んでいるようです。そんな雰囲気が如実に表れた駅前通り、子供からも「何にもないねえ」という正直な感想が口を突いて出るのだけど、中京圏はクルマ社会ですからねえ。たぶん栄えてるのは国道とかインターのほうなんでしょう。そもそも駅があまり町の中心部に寄った場所にないというのもあるかもしれないが。

美濃市の駅から歩いて5分。交差点の一角に、あれれ、何やら赤い電車が止まっているのを子供が見つけましたよ。

そう、美濃市の駅で降りたのは、この名鉄旧美濃駅を見学するためでした。ここ美濃駅は、軌道線を中心に岐阜県内に広がる「名鉄600V区間」の一翼を担った旧名鉄美濃町線の終着駅。子供の頃に図鑑で眺めた名鉄電車は、パノラマカーや特急北アルプスもさることながら、路面電車の岐阜市内線を中心としたネットワークに活躍する車両たちにも心惹かれたものです。ここ美濃駅から、関を通って新岐阜まで走っていた美濃町線ですが、末端区間だった関~美濃間が平成11年に、残った新岐阜~関の区間も、平成17年の名鉄における岐阜県内600V区間からの全面撤退により、岐阜市内線・揖斐線と同時に廃止となりました。

旧美濃駅跡地は、当時の美濃町線時代の雰囲気をそのままに有志の方々によって保存され、往年の名鉄600V区間の名車がこれも丁寧な管理の元に保管されています。特に流線型の優美なこと甚だしいモ510型512号がひときわ目を引くね。正直モ510は美濃町線の車両って言うより揖斐線のイメージ(「伊自良川を渡る2連の急行」って言えば名鉄ファンには分かってもらえますかねえ)なんだけど、デビューは美濃町線なんだそうで。美濃町線っぽさと言えば真ん中のモ600型のほうかもしれないね。オカンがケチって切ったカステラなんじゃねーかってほどのペラッペラな細身の車体、これ乗ってるほうも窮屈でしょうがなかったんじゃないかなあ。

「新岐阜」「徹明町」のサボ板を出して並ぶ600Vの老雄。名鉄らしいスカーレットの鮮やかな赤が、どんよりとした梅雨空の下で輝きを放っています。どちらも前から見ると細身の車両なんだなという事は分かりますが、モ600の方が前を絞り込んでいるだけに余計に細く見える。モ600型は600V/1500Vのどちらにも対応する複電圧対応の車両で、新岐阜の手前の田神から各務原線に入り、岐阜市内の道路混雑を避けて新岐阜に直通する事が出来た車両でした。美濃町線は近年まで続行運転(同じ方向に複数の電車が続けて走る路面電車特有の運行方法)を行っていて、新岐阜駅前から市内線を走って来た車両と、新岐阜から田神経由で市内線をショートカットしてきた列車が、競輪場前からはひとくくりのペアの列車として2台続けて走っていました。

モ510を横から。半流線型のフェイス、丸窓、窓周りに打ちぬかれたリベット、紅白の塗り分け、インターアーバンの電車らしい電停用の乗降ステップ。見飽きる事のない造形美ですね。こんな車両がついこの間まで岐阜の駅前をゴロゴロ走っていたのだから恐れ入る。

600型が登場するまでの美濃町線のスタンダード・モ590型は、スカーレットではなくその昔のベージュとグリーンのツートンカラーで保存されています。名鉄の600V区間は、部分廃止はありながらも平成17年までは現役で存在していたので、社会人になってからでも行こうと思えば乗りに行けたんですよね。正直笠松競馬でも行った帰りに、そのまま帰らずに岐阜まで出てぶらりと乗って来れば良かったと今更ながらに思う。子供の頃にさんざん本で見た事に満足してしまったのか、こんなに豊穣な鉄道遺産が現役で残っていた事に気付くのが、あまりに遅すぎたという事なのかもしれない。いつだって消えてから人は昔を有難がり懐かしむのだから、進歩のない生き物ではある。ちなみに美濃町線を始めとする600V区間で最後まで活躍していた車両たちは、今でも福井や豊橋で元気に走ってはいます。

駅舎の中には、往時の時刻表も残っている。どのくらいの時期のダイヤか分からないけど、ラッシュを抜かせば1時間に1~2本程度だから運転間隔は閑散としていたようだ。それでも美濃町線には急行運転があって、美濃を出ると神光寺・新関・赤土坂・白金・下芥見・岩田坂・日野橋・野一色・北一色・競輪場前・市ノ坪・田神・新岐阜と停車していたようだ。下芥見(しもあくたみ)とか野一色(のいしき)みたいな駅名に非常に情緒があって良いねえ・・・国道の脇の砂利混じりの軌道を、ガタゴト揺られながら真っ赤な電車が走っていた北美濃の風景を想像してしまう。

富山市内での富山ライトレールと地鉄軌道線の結節や、福井でのえちぜん×福井鉄道の相互乗り入れ、宇都宮市のLRT構想が実現に向けて動き出すなど、都市計画の中での新しい交通の考え方として路面電車の持っていたポテンシャルが再評価されている昨今。岐阜市内線と600V区間に関しては、新しい方法での活用を模索する流れが出来る前に全廃されてしまったのが返す返すももったいなく思う。その要因は、当時の岐阜市を始めとする行政の消極性だったり、バブルがはじけて以降の名鉄の合理化の一環だったり、色々要因はあったのだろうけど。軌道を高速化して雑多な駅を整理し、LRT方式で岐阜駅前まで乗り入れる未来はあっても良かったんじゃないかなあ。

コメント (1)
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