青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

切っても切れない縁だから

2019年07月31日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(ご当地イラスト駅名票@揖斐駅)

地元の名物をあしらった養老鉄道のイラスト駅名票。揖斐駅は清流・揖斐川の鮎がモチーフになっています。この「揖斐」という地名、ちょっと地名に詳しい人ならそこそこ簡単に読んでしまいますけど、実際どんな由来なのかというと、田んぼに水を通す樋である「井樋(いび)」から来たとする説が有力らしいです。揖斐川の周辺には古くから肥沃な土地に豊かな水を引き込んだ水田地帯が広がっていたんでしょうね。「いび」は「井樋」とか「衣斐」とかその時代時代によって当てられた漢字は変わったそうですが、現在は「揖斐」とするのが一般的になっています。「揖」には集める・集まるという意味もあって、この辺りで山々から流れてきた水が集まる場所との意味もあるらしい。ことに地名の謂れというものには奥深いものを感じてしまいます。

揖斐10:50発大垣行き1062レ。相変わらず車窓には西美濃の田園地帯が続く。大垣~揖斐間はラッシュだと20分間隔の高頻度運転を行っておりますが、日中は40~50分間隔になります。大垣行きの列車なので、途中駅からちょこちょこと乗客が乗って来ます。養老線は一応車内設備はワンマン運転に対応していて、運転台の後ろには運賃箱も用意されているのですが、この列車では運転士はハンドルとドア操作を行うだけ。無人駅での乗車・下車に関しては、アテンダント・・・と言うには年齢の行ったシルバーな方々が車内を巡回しており、その場で乗車駅の確認と必要であれば車内補充券を販売するシステムになっているようです。このような部門に従事しているのも近鉄のOBとかだったりするんでしょうかねえ。という訳で養老北線の往復行はそのまま大垣に戻ってはつまらないので、大垣の一つ手前にある室駅で下車。

そのまま大垣駅に戻って桑名行きの電車を待っても良かったんですが、室駅で下車したのは、大垣でスイッチバックをする養老線独特の線形を使って、西大垣の駅まで徒歩でショートカットしてみようというイタズラ心からなのでした。大垣で乗り換えに30分のインターバルがあるなら、先に西大垣の駅に行って駅舎でも眺めていようという魂胆。スマホのマップで調べたら15分くらいあれば着くみたいだしな。ただ、よく考えたらこの移動で大垣~西大垣間が未乗となる事に気が付いたのは帰宅した後でしたw

室の駅は、ちょうど揖斐方面と桑名方面に線路が分かれる場所にあって、駅前通りは連続して養老鉄道の踏切を渡るという奇妙な構造になっています。手前が桑名方面行き、奥が揖斐方面行きの踏切です。さ、先を急ごうか。と言って子供を急き立てたのだが、雨上がりの大垣の街は息を吸うのも嫌になるほどのむわっとする蒸し暑さ。思わず途中のファミマでアイスとか食って一休みしてしまった(笑)。

西大垣の駅に向かって歩くと、ひときわ目立つ立派で大きなビル。これがプリント基板やセラミックス製品の製造を中心に日本の電気化学メーカーの一角を担う株式会社イビデンの本社。東証一部上場企業で、売上高は3,000億円を超える大企業ですが、そのルーツは1900年代初頭に設立された揖斐川電力株式会社に遡ります。地元大垣の名士であった立川勇次郎は、揖斐川の豊富な水力に目を付け揖斐川電力を設立、揖斐川上流に東横山発電所を設置し、水力発電で生み出されるエネルギーで揖斐川電力(現イビデン)を中心に西濃地区の産業の発展に尽力しました。そんな地元の名士である立川翁が、揖斐川電力に先駆けて明治44年に設立していた鉄道会社が現在の養老鉄道。元々のオーナーが一緒という事で、イビデンと養老鉄道には古くからの深い関係があります。大垣ではなく西大垣の駅前に本社があるというのも、どちらの会社も根っこは同じという切っても切れない縁を感じますね。

木造平屋建ての西大垣の駅。どっしりとした存在感に、養老鉄道の主管駅たる風格があります。養老鉄道は揖斐川電力の供給する電気を使って電化され、一時は揖斐川電力をオーナー会社として運営されていた時代もあるそうです。沿線には次々にイビデン関連の工場が開かれ、従業員の通勤だけでなく、往時は鉄道を使っての原材料の輸送や製品の出荷も行われていました。大垣の街にはイビデンのみならず、揖斐川の電力と豊富な工業用水をバックに様々な業種の工場が進出。特にユニチカ、トーア紡などの紡績業は、戦後の大垣の基幹産業となりました。街には多くの企業の工場が立ち並び、沿線の工場には引き込み線が引かれ、養老鉄道は戦前戦後にかけての全盛期には貨物輸送がかなり盛業だったようです。

養老鉄道の本社が置かれている西大垣の駅。養老鉄道では唯一の車庫もあって、出入区を兼ねた西大垣~大垣間の区間運転なんかも設定されていたりする。ゆっくり車庫を見学しようと思ったんだけど、列車の発車時間前になんないと駅員氏が改札を開けてくれないという誤算。養老鉄道は基本的に駅員配置の駅は列車別改札のようですね。

西大垣11:51発桑名行き1152レ。今度は赤帯を締めた元東急の7903Fがやって来ました。東急時代には装備していなかったスカートを履いているので、前面の顔つきが精悍になった気がしますね。

 西大垣で交換の1053レ。近鉄の600系3連がやって来ました。東急車の導入でやや肩身の狭くなってきた感じもする近鉄勢ですが、やはりこの屋根に向かって丸みのある張り上げ屋根に赤茶色のべたーっとしたいい意味で野暮ったい塗装と言うのが近鉄っぽくて私は好きですねえ。あと、この顔つきだよね。電鉄会社に特有の顔つきがあるのだとしたら、このスタイルはまごうかたなき近鉄の通勤電車顔。昭和40~50年代生まれの沿線住民に「近鉄の通勤電車書いて」って言ったら、きっと100人中90人はこの顔を書くんでないかなあ。西大垣の駅は相対式ホームの間に中線があって、ここで回送された車両が留置されたりしていますけど、元々は貨物列車を中線に止めて上下線が交換するための副本線的な扱いをする線路だったのではないかな、これ。

 

近鉄顔を見てしまったら、ちょっとあちらが恋しくなった。連発で東急車では、ついこないだまで蒲田らへんで乗ってた車両ではあるだけに、養老鉄道に乗りに来た感が薄れて行くのは否めない(笑)。向こうのホームに止まっている近鉄600を見て、子供が「おとーさんはあっちの古いのがいいんでしょ?」とわりかし図星なことをおっしゃるのだが、古いか新しいかで言ったらこっちの方が古いんだよな。まあステンレスには時空をゆがめてしまう何かが宿っているのかもしれない。ここで近鉄の車両が来ないのでチェンジ!という訳にも行かないので、この列車に乗って先に進むことにいたしましょう。 

コメント
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