(里山の駅を発つ@深戸駅)
瑞々しい稲がすくすく伸びる深戸の集落。山を背にした家々と水田を見晴らす様に駅があります。国道から一本入った駅に昔ながらの木造駅舎があって、毎週日曜日の午前中には「ふかど朝市」という催し物が行われるらしく、朝早くから地元の方々が準備に精を出していました。こういう地元密着の朝市みたいなの、結構掘り出しもんが安く売られていて楽しそうなんで時間があれば寄って行きたいけど、申し訳ないんですがスルーさせていただきます・・・。
大矢駅で下り北濃行き列車と交換。ここもなかなか雰囲気のあるローカル線の駅である。長良川鉄道の交換駅は、富加、関、美濃市、大矢、郡上八幡、郡上大和、美濃白鳥の7つ。全長70km超の路線で7個だから決して多いとは言えないのだが、ダイヤ的にはこのくらいで足りてしまうのだろうか。そして特徴としては、上下の列車の停車位置を挟んで、ホームの真ん中に切り欠きの構内通路があるタイプが多い。タブレット時代、駅員が上下列車の運転台を効率良く行き来して交換するための構造だったのだろうと思われます。
途中の駅からの乗客は僅かに席を埋める程度で、相変わらず日曜の朝の列車は静かなまま。郡上八幡から乗って来た女子高生も黙々と勉強を続け、車窓には長良川に育まれた森の路が続く。美濃市を過ぎて車窓はやや目線が開け、ようやっと濃尾平野に戻って来た感じ。天気予報通りに雨は小やみとなって、僅かに明るくなって来た。
関の駅で下り2番列車と交換のため、ここで5分程度の交換待ち。構内通路を通って改札に向かう僅かな乗客。関駅は長良川鉄道全体の主管駅で、ホームに駅員が常駐しています。美濃白鳥の駅でもそうだったですけど、きちんとフライ旗を持って駅員氏が列車を見送る風景。車両の進行方向にある構内踏切に遮断機がないので、その安全確認のために配置されているのでしょうね。どの駅も構内の有効長が長いのは、貨物列車を運行していた時代の名残でしょうか。
郡上八幡から乗ってきた女子高校生は、何人かの学生と一緒に関口駅で降りて行った。関口駅は関高校の最寄り駅のようだが、郡上八幡から関までの通学とはなかなかの長距離通学である。毎日1時間以上長良川鉄道に揺られているのだとしたら、その通学時間を勉強に充てるのも頷ける話であるなあ。そして関口駅はローソンが併設されている・・・どころか、ローソンが駅になっていてちょっと笑ってしまった。写真が撮れなかったのが残念だが、この記事に特集されているのでお暇な方はお読みになっては。という訳でこちらは最後の交換待ちとなった富加駅。こうして見ると越美南線開業当時からの駅舎は、ある程度共通の図面で制作されているような印象を受けますね。駅名からどっかにプラレールでも飾ってあるかと思ったけど、別にそんなことはなかった(笑)。
美濃白鳥から約2時間、美濃太田8:31着。長らくお付き合いいただいた運転士氏にお礼を述べて列車を降りる。北濃まで往復150km弱の長良川鉄道の旅であった。元々は国鉄の支線と言う出自から長良川鉄道のホームは駅の片隅に押し込まれたようになっており、起終点というには美濃太田の駅は情緒がないのが残念。高山本線への乗り換え時間が僅かなので、子供と急いで改札を抜けたのだが、朝から何も食べていないことに気付いて美濃太田の駅の売店でヤマザキのランチパックを買った。美濃太田では、今や地方の駅では珍しい駅弁の立ち売りが続けられていて、「向龍館のマツタケ釜飯弁当」って有名だったんですけどね。今年の5月いっぱいで販売を止めてしまったのだそうだ。
美濃太田8:37発、高山本線普通岐阜行き3708D。多治見から太多線を通って来た列車です。昔は太多線は太多線、高山本線は高山本線で列車の運用は独立してたと思うんだけど、どちらも美濃太田車両区の受け持ちということで、岐阜~美濃太田~多治見は朝夕を中心に一体化したダイヤが組まれているようです。東京でいうところの川越線と八高線のような関係、と言えばいいのだろうか。やって来たのはJR東海の快速用気動車キハ75。ボックス作るために転換クロスシートをバタン!と返したら、子供が「何この椅子かっこいい!」という激烈な反応を示した(笑)。確かに転クロって関東地区にはないシステムだよね。美濃太田を出ると、キハ75は濃尾平野の北端を時速120kmでかっ飛ばして行く。「快速みえ」にも使われている車両なので、さすがのハイパワーなのでありました。