(鉄道の栄華を残す施設達@下仁田駅)
白壁にマル通マークが鮮やかな白石工業の日通倉庫。白石工業は、下仁田の山中で石灰石を採掘して関連製品を製造している下仁田の地元企業。「白艶華」というブランドで、純度の高い生石灰を出荷する事でその業界では有名なんだそうで、かつてはこの倉庫にも鉄道貨物用の製品が大量に置かれていたのでしょうね。石灰っていうと、パッと思い付くところではセメントの原料だったり校庭のライン引きくらいのイメージしかないと思うのだけど、強いアルカリ性を持っているので、作物の取れない酸性土壌の改良だったり、多孔質の形状を活かして液体内の不純物の吸着や漂白だったり、はたまた発熱剤や吸湿剤など、意外に生活に身近な場所で色々な用途に使われている重要な鉱物資源です。
下仁田駅の北側にあるバラスト積み場。こちらにも元々は貨物ホームと倉庫があって、平成6年頃まで青倉工業から出荷された石灰が高崎経由で渋川まで運ばれていました。ここから出荷された石灰は、白根火山や草津温泉に起因する吾妻川の強酸性の水質を中和するための製品だったらしい。草津温泉の排水が流れ込む川の水に大量の石灰を混ぜ、ダムに湛水して反応させてから吾妻川に流すことで、水質環境の保全を図っているそうで。吾妻川の中和事業に関しては半永久的なものだろうから、貨物輸送の廃止は輸送形態が鉄道からトラックに切り替えられたって事なんでしょうね。出荷先はどこだったのかな。渋川で化学系の会社と言えば、関東電化工業向けなのかなって感じがするけど。
バラスト積み場の裏の倉庫群。三角屋根の倉庫が、かつての青倉工業の倉庫。今はひっそりと廃屋的な雰囲気になっていて、何に使われているのだろう。やたらと古びた木の棚のようなものが大量に積まれていたのだが、ひょっとして山中の石灰石工場で使われていた白艶華の乾燥棚のようなものなのだろうか。それとも、この地域で石灰石と同様に盛んだった養蚕事業で使われた蚕棚みたいなものなのだろうか。この地域は、当然ながら富岡製糸場のお膝元。近郊の農家では、畑作同様に養蚕が盛んに行われていた事は想像に難くありません。
駅の周辺を散策して、下仁田駅の待合室に戻る。高天井の木造駅舎は、土間が打ちっぱなしのコンクリートになっていて、流石に表にいるよりは涼しい。上信電鉄の駅は、駅員がいる駅に関しては結構頑なに列車別改札を守っていて、折り返しの電車が到着して、全ての客が下車してからでないと乗車客の改札は始まりません。外の気温は、おそらく35℃に近くなっていると思われる油照りの午後。冷えた缶コーラを飲みながら帰りの電車を待つ。
そうだ。「孤独のグルメ」の劇中では、松重豊演じる井之頭五郎は、この待合室のベンチでうたた寝をしてしまい、帰りの電車を三本も乗り過ごしていた。三本目の電車が発車するタイフォンの音で飛び起きた五郎さん、正名僕造扮する駅員に「何で起こしてくれなかったんですかっ!」て詰め寄るんだけど、駅員は「だって、起こしてくれなんて言われなかったし・・・とっても気持ちよさそうに寝てたもんだから」なんてトボけた返事で煙に巻かれていたっけ。まあ、寝過ごしたおかげで、夕飯も下仁田で食べる事になり、コロムビアの豚すき焼きにありつけるのであるが・・・
暑過ぎて五郎さんの様にうたた寝する気にもならず、帰りの列車は14時40分発の40レ。コーラルレッドでやって来た。下仁田に来るときに乗って来た6000形は側線に転線し、明日の朝までお休みモード。真夏の光線にコーラルレッドはギラギラして、西上州の暑さを余計に増幅させるような色使いである。
ホームでの撮影もそこそこに、エアコンの入った車内に逃げ込む。車端部のお一人様スペースに座ったら、ちょうど出入り口のドアから白石工業の日通マークと駅名標が見えた。下仁田の夏の空は青く青く澄み渡り、白い雲がほわりと浮かび、我慢ならんくらいに猛烈に暑い事を除けばまことに麗しい夏の景色だったり。街自体にも風情と雰囲気があって、少し肌寒くなったくらいの時期にまた歩きに来てみたいなあ。今度は名産のコンニャクで、味噌田楽でもつつきながら・・・
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