(未だ青葉の貴船の森よ@貴船口駅)
宝ヶ池の駅でやって来た鞍馬行きに飛び乗る。京都精華大前駅あたりまでは、学生や沿線住民の乗り降りもあったものの、二軒茶屋の駅を過ぎたあたりからは乗客は貴船や鞍馬方面へ向かうハイカーたちが中心となった。車窓の風景も、それまでの住宅街から洛北の山並みの裾に取りつき、目に飛び込んでくる緑の木々が鮮やかである。叡山電車の駅は基本的に無人で、乗降は車内の運転台脇にセットされたICカードリーダーか、駅のホームに置かれたカードリーダーにタッチするのを車掌氏が目視するというスタイル。乗降扱いをしながら車内と車外を行ったり来たり忙しくしているのだが、「ここから先は山の中に入って参ります、電波が悪くなりますので、モバイル系の乗車券をお持ちの方、チャージなどは早めにお済ませください・・・」という注意喚起の声掛けがあったり。切符を売るような車掌の仕事はなくなってしまったけど、そーいう声かけの仕事が新たに加わっていたりして、現代風だなあと思ったり。
市原から二ノ瀬にかけてまだまだ青葉の紅葉のトンネルを抜け、二ノ瀬で下り列車と交換。貴船口を出るといよいよ列車の目前に山は迫り、小さなトンネルをひとつ抜けると列車はスピードを緩め、終点の鞍馬の駅に到着する。山深く見えて未だに標高は230m程度、出町柳の駅からは180m程度を登って来たことになる。鞍馬の駅は頭端式の1面2線。決して大きくない叡山電車の2両の車体がギリギリに収まる長さのホームは、鞍馬山と対を成す龍王岳の間を流れる鞍馬川(鴨川の上流)との間の谷間にあって、僅かに開けた平地に押し込むように作られた、小さな山の終着駅である。
ホームでゆっくり終着駅の雰囲気を味わいたかったのだが、列車別改札で乗降を区切っているようで、駅員氏から「早く出てください」と駅からの退去を命ぜられて、すごすごと駅の外に出る。鞍馬の駅は「近畿の駅100選」にも選定された由緒ある駅で、鞍馬寺の参詣駅として社寺建築を模した造りになっている。駅前は鞍馬寺への参詣客と、周辺の山々をトレッキングするハイカーたちで賑わっていた。ちょっと人の引けた隙にこの一枚を撮影しているのだが、好天に恵まれた三連休の午前中ということで乗客は多かったですね。そしてさすが京都、その半分くらいが外国人のグループでインバウンドの勢いがハンパない。そして、折角の雰囲気のある駅なのに、駅の脇には観光客が残していったであろう山と積まれたゴミがあって殺風景である。ここ鞍馬でも、オーバーツーリズムの問題は顕在化しているのかもしれない。
奈良時代に鑑禎上人によって開山され、1200年の歴史を誇る鞍馬山。駅前は、何軒かのお土産屋と喫茶店が肩を寄せ合う小さな門前町であった。鞍馬山自体が、京の都の遠く北にある深山の霊山として崇められていたためか、華やかさとは無縁の、ひっそりとした山里という趣だ。駅前からしてお土産屋さんの雰囲気がいい。華美ではなく、どっしりした瓦屋根の二階家。鞍馬名産・木の芽煮と松茸昆布。京都らしいお土産だ。松茸・・・なんて言われるとそれなりのお値段を想像してしまうのだが、店先を冷やかしてみるとそうでもなかった。どのくらい松茸が入っているのかは定かではないが、流石に輸入ものだろう。京都は丹波を中心に松茸が有名だが、そんなところの天然ものを使ったらそれこそ目の玉が飛び出るような値段になってしまうに違いない。
そうそう、鞍馬と言えば、「鞍馬天狗」の故郷。かの牛若丸こと源義経も、若き頃に鞍馬山にこもり、鞍馬天狗の手ほどきを受けて武術を学んだのだそうな。「♪京の五条の橋の上 大の大人の弁慶は 長い薙刀(なぎなた)振り上げて 牛若めがけて 切りかかる・・・」。童謡「牛若丸」に唄われた「京の五条の橋」は、現在の国道1号線の五条大橋のこと。鞍馬から五条大橋までは、今では出町柳で京阪電車に乗り換えて清水五条まで45分程度ですが、その昔の昔、京の都から鞍馬の山は、それはもう遠く離れた山奥の修験場というイメージであっただろう。鞍馬天狗の正体は、鞍馬山大僧坊と呼ばれた伝説の修験者であるとされますが、その正しいところはよく分かっておりません。
大きな鞍馬天狗のお面の奥、ちょっと目立たないところに、昭和の時代の叡山電車のエースとも言える「デナ21」のカットモデルが置かれていました。叡山電車と言えばこのモスグリーンにベージュのカラーリングですよね・・・。「京都の名車御三家」と言えば、個人的には京阪京津線の80形、京都市電の1900形、そして叡山電鉄のデナ21じゃないかと思っておるんですがどうでしょう。京都電燈時代からの歴史ある車両ですから、惜しむらくはカットモデルじゃなくて丸で保存しておいていただきたかったと思うのですけど、財政の厳しい中ではそれはなかなか難しかったのでしょうかね。
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