青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

四方津秋模様

2014年11月23日 06時24分20秒 | 中央東線

(ヤマのオトコよ115@中央本線四方津駅)

前の日に長瀞で紅葉を見たものの、鉄道関係はかなり消化不良に終わったアタクシ。翌日はちょっと午前中はいないと家族に言い残して朝早く家を出て来ました。願わくばもう一度秩父でデキ貨物を紅葉とともに合わせたかったんだが、さすがに二日連続の秩父詣では出来ない話。お手軽なところで中央東線の紅葉はいかがなもんかいな?と言う事で、この日は上野原にクルマを置いて隣駅の四方津まで出てみました。1駅だけですが115系(長野色)に乗れたのはラッキーね。

 

わざわざクルマを置いて電車で出てきたのも、この日の撮影地はちょっとクルマだと停め場所に難儀してしまう撮影地に行こうと思っているからなんですね。四方津の駅を降り、坂を下って桂川の谷を渡る橋の上から。この谷はいい紅葉ですね。橋を渡ると線路とは対岸の山を登る坂道、この辺りは桂川を挟んで大きな河岸段丘になっとりまして、結構な急坂。


やって来たのは、中央本線の大呼戸沢橋梁を俯瞰する有名撮影地。あまり有名撮影地にコダワるほうじゃないんで、何度も近くまで来ていながらこっから撮影するのは初めてね。下り線の赤いアンダートラスの大呼戸沢橋梁を挟んで、奥のコンクリートアーチは上り線の新大呼戸沢橋梁、そして手前は甲州街道の大呼戸沢橋。対岸のハイキングコースから、桂川に流れ込む支流の沢を渡る橋が三つ並んで俯瞰できます。山の色づきは思ったほどではなく、ピークは先かなと言う雰囲気ですが、そのハイキングコースの一角に…やはりいますな、お鉄がウジャっと(笑)。

 

ほのかに色づいた秋の大呼戸沢界隈。ここでは鉄橋を中心に切り出す構図が定番と言う事でさっそく三脚をセッティングして長玉で狙ってみますが、いきなり右へ左へ山スカ115系のお出まし。感覚的なもんだが、朝と夕方は山スカの運用が多いような気がしますです。最近は鉄ヲタから「絶滅危惧種指定」されているこの車両、色々な車両が走る中央東線ではありますが、最近は山スカのみを好んで撮影される方も多いですね。

 

朝方の四方津の山は晴れたり陰ったり。色味が異なるのはWBを試行錯誤しているからとご理解ください(笑)。中央東線のエースE351系「スーパーあずさ」、現在の東線最速ランナーですが、高速バスの戦いから将来的にはリニアとの戦いに晒される事になるのでしょうか。当然JR東日本には新型車両を投入しての対抗策が求められるのですが、高尾~甲府の線形が良くないせいで速度的な限界はあります。

 

115系長野色。この界隈では一番多く見られた安定の車種ではありますが、最近は高崎や宇都宮から余剰となった211系が転属しておりその数を徐々に減らしております。同じ115系でも山スカは豊田、長野色は長野の所属なんですが、長野方面から先に211系のシェアアップが始まっているようです。ちなみに豊田区には投入がないようなんですが、山スカを置き換えるのはE233の山スカ色(5両補助編成)とかなんじゃないだろうか。

 

並んで撮影している御仁は同じレンズで同じように切る方が多いようなのだが、太陽も高くなって見晴らしが効くようになって来た。同じ構図で切ってても面白くないのでタテ位置で山の奥行きを出してみる。山の奥に山の連なる峡東の道、現在の甲州街道は桂川沿いを走っていますが、旧甲州街道はこの山の向こうの中央道に沿って犬目宿のある小盆地を抜け猿橋に抜けています。横浜から松本に向かう185系特急「はまかいじ」。

 

レギュラーの列車たちに混じり、臨時列車が常時設定されているのが土休日の東線。今日は485系「華(はな)」を使ったなにがしかの臨時電車が走りましたね…ってかあんまりネタものを調べないので列車名がわからんwたぶん富士山目指して河口湖へ行く臨時電車なんじゃないの?(適当)。


光も上がり切った大呼戸沢の谷を189系の「ホリデー快速富士山号」が通過して行きます。東線の土休日ではおなじみの列車ですが、所属こそ違え最近は一貫して国鉄型特急車である189系が使用されているためファンも多いですね。この日は1往復のみの運行ですが、連休なんかには複数設定されたりもするんで、ヘタすりゃ河口湖の電留線が189系だらけになるなんてこともしばしば。波動用の立場に置かれてもなお、国鉄特急車ってのはある意味別格の風格があります。

 

一番最初に架橋された(と思われる)トラスの下り線、そして現在の上り線は昭和41年に増設された新線となります。中央東線の高尾から勝沼にかけては平地に乏しいこともあり、複線化の際は既存線に並行して敷設することが出来ずその大半を山側に迂回した形で増設されました。特にこの四方津から梁川にかけては旧線がトンネル4つで抜けている狭隘区間を新線は大きく山側に1本のトンネル(新巌山TN)を掘る形でクリアしており、上り線と下り線はここで大きく離れる事になります。甲州街道も現在の上り線と同じようなコンクリートアーチですが、たぶん上り新線の敷設と同じ時期に架け替えられたのではなかろーかと。昭和30年代後半から40年代前半に作られた山岳橋梁にはこの形が多く、有名なところでは信越本線の碓氷峠新線にもこの形のコンクリートアーチが採用されていたはずです。


撮影を終え静かな里山を歩いて20分、四方津の駅に戻って来ました。大月方から新宿行きの特急「あずさ」が通過して行きますが、この構図でも左側の旧線は石積みの重厚なポータルの坑門、右側の新線はコンクリートのシンプルな坑門とその表情が全く違います。この旧線が開通したのは甲武鉄道時代の明治35年と言う事なので、ひょっとしたらその時代から変わらぬ佇まいなのかもしれませんね。


帰りの電車も長野色の115系。上野原までの一駅だけですが、ボックスシートに足を投げ出すオッサンや山登りを終えたザックを背負った集団を乗せ、東線らしい断面の狭いトンネルを轟音とともに走り抜ける。トンネルの壁に反響するモーター音、ビリビリと震えるドアやサッシ。昔の国鉄の電車ってみんなこうでしたよねえ。103系がバリバリだった時代の武蔵野線の西国分寺から新秋津の間とか、隣の人と会話すらままならなかったもんな…ノッチを切った時の断流器のカッコン!って音とかも久しく聞いていなかったサウンドではあります。

この日は午後にばんえつ物語用の客車を使ったロクヨン牽引の臨客もあったらしいのですが、ネタがなくてもビジネスユース、観光輸送、都市間輸送と普段の顔で十分に面白い撮りごたえのある路線です。プラスして平日なら甲府の先の竜王までタキ貨物での石油輸送もあったりするのですからねえ。このバリエーションの豊かさが続くことを願っています。
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