青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

山裾の 祠昔を 語りおり。

2021年07月27日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(夏色の踏切@千平)

夏空が広がる千平の集落。この小さな踏切は、中山道の脇往還であった下仁田街道の踏切です。千平から先は、下仁田の小盆地を囲む山が鏑川に迫り、深い深い渓谷を形成しています。上信電鉄はこの深い谷を避けながら、渓谷の桟道をしがみつくように下仁田へ下って行きますが、下仁田街道は盆地を囲む前山を大きく登って、峠を小さなトンネルで越えて行きます。ちなみに千平の踏切から先の山越えルート、街道と言ってもなかなかの隘路で、あまりお勧めしないですね(経験者談)。

千平~下仁田間の地形図。吉井、富岡と続いて来た鏑川の河岸段丘上の台地が千平付近で終わり、ここから線路は鏑川と西上州の山の縁に沿って下仁田へ向かって行くのが分かります。上信電鉄の前身である上野鉄道がこの地に鉄路を敷設したのは1897年(明治30年)のこと。全国の鉄道の中でも、この地域に鉄道が通ったのは相当に早かったんですけど、1872年(明治5年)に富岡製糸場が官営工場として開業してるんですよね。外貨獲得のための生糸の輸出は日本の重要な産業だったそうで、国策としての要請もあったのではなかろうかと。

このお社は小さいながらも金毘羅宮の名前があり、集落の人々が五穀豊穣や鏑川を往く船の安全を祈願していたらしい。金毘羅さんは船の神様ですからねえ。昔はもう少し先の下仁田寄りの山の中にあったのだけど、上野鉄道が通るルートの上にあったもんだから、移設してここ千平の集落に祀り直したんだそうな。この金毘羅宮、今でも上信電鉄が管理している旨が銘板に書かれており、周りもこざっぱりと調えられていて、紫陽花がきれいに咲いていた。

千平の踏切の脇のお社を抜けて行く、元西武新101系。少し前の上信は、自社発注車と西武から持って来た電車の2グループで構成されていたような気がしますが、JR107系の一括購入(6編成)により、旧来の西武401系やら701系の種車はだいぶ駆逐されてしまった感じがします。今も元西武で残ってんのはこの新101系が2編成くらいというのだから時代は変わりましたな。側面の緑ストライプはそのままに、「ぐんまちゃん号」としてラッピングされた11レ。小さなホーンを軽やかに鳴らして、千平の集落を走り去って行きました。


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