(浅電のとどのつまり@内灘駅)
浅野川線の終着駅・内灘。北鉄金沢からは20分弱。途中駅に有人駅と見受けられる駅はなく、全線で駅員配置があるのは始発の北鉄金沢と内灘だけの様子。駅前のバスロータリーはいかにも郊外電車の終着駅と言った感じの風情で、カマボコ屋根の二階建ての駅舎にはところどころアールがデザインされていて洒落ています。作りとか雰囲気からは、そう古い駅舎じゃないみたいですけど、年月を経たら味が出て来そうな感じ。内灘町は河北潟と日本海に挟まれた金沢市のベッドタウンで、海岸には手取川の砂が打ち寄せられて堆積した内灘砂丘が10kmに亘って続いています。砂地の水はけのよい土地を活かしての畑作が盛んで、らっきょうが名産品なのだそうです。
小ぶりな待合室は冷房が効いていて涼しい。北鉄は、有人駅に関しては完全な列車別改札で、これは浅野川線も石川線も共通でした。到着列車の乗客を全部出してからホームを締め切り、車内清掃や折り返し作業を行って、発車10分前くらいになったら折り返しの電車の改札をするスタイル。このタイプの出改札だと折り返し待ちの時間にホームをウロウロして見学とかが出来ないので、撮り鉄乗り鉄の趣味人には辛いところではあります。たまにあるよねえ列車別改札の地方鉄道。記憶にあるところでは上信電鉄がそうだし、あと養老鉄道もそうだったかな。まあ内灘の場合、改札内にトイレがありますし、職員の皆さんも暑いのか奥に引っ込んだままだったので、入って行っても怒られはしなかったのですけど・・・
改札外から内灘駅全景。ホームは1面1線、その他に留置線が2本と、そこに挟まれるような形で検修庫があります。外側の留置線には、この日にデビューを迎える8800系の井の頭線リバイバル塗装(アイボリーホワイト)が置かれていて、どうやら有志によるデビューイベントが行われているようでした。真ん中の留置線には、縦列駐車の形で元日比谷線の03系の2連が2本。この日の日中は8000系列の2編成による運用でしたが、既に浅電の次世代車両として、元営団03系の導入が進んでいます。
メトロ17000系の導入によって全廃となった営団03系は、18m3ドア車・アルミ車体と言う地方私鉄向きのサイズ感なので、最近になって地方私鉄への転出が進んでいます。既に熊本電鉄や長野電鉄で従来車を置き換えていますが、浅野川線でも現行の井の頭線車両を全部置き換える予定で、既に3編成が入線済み。北鉄入り後は、日比谷線時代のシルバーのラインカラーが北鉄カラーのオレンジに塗り替えられているのですが、平成初期の営団車のスタイルとも相まって、どことなく銀座線で使われていた01系を彷彿とさせる仕上がりとなっているのがポイントでしょうか。全国の地方私鉄で、既存の自社発注車を置き換えた大手私鉄の譲渡車両がそろそろ寿命を迎えつつあり、譲渡車の譲渡車による再更新が検討される時期に差し掛かっているようです。
そんなこんなで、長らく浅電の主力として頑張って来た井の頭線の3000系にも、そろそろお別れの時期が近付いているようです。初期の京王3000系の片側3ドア車ってのはよく見ると裾絞りもなくて、ドタッとスカートまで直線で降りて来るデザインが何ともクラシカル。伊予鉄やアルピコに行ったパノラミックウインドウの後期車と違い、正調湘南2枚窓というのもまた宜しいねえ。それこそ、小さい頃に下北沢の薄暗く小汚い通路を通って小田急から乗り換えて行った先のホームにいた井の頭線っつーかね。「次は何色が来るかな?」という井の頭線的楽しみ、何となく急行はサーモンピンクで各駅停車が水色の事が多かったような気がしますが、往時の「ステンプラカー」と呼ばれていた時代を懐かしく思い出すのであります。
細かいコルゲートを際立たせて、黎明期の東急車輛のクルマらしさを強調した一枚。昭和30年代後半に製造された東急車輛のステンレス三兄弟(東急7000・京王3000・南海6000)の堅牢性と長寿命は驚くべきもので、東急と京王の2系列は全国の地方鉄道に大量に放出されて未だに大多数が現役ですし、南海の6000系列なんかも高野線で未だにバリバリの主力なんですよね。ちなみに、個人的に北鉄に来る機会がここまで遅れたのは、その3つのうち2つ(浅野川線=京王3000・石川線=東急7000)を使ってるから・・・ってのがあったんですよねえ。どうしても自社発注車両が残ってる地鉄とか福鉄と比べると、車両の部分で後回しになってた。特に東急7000とか京王3000とか色んなトコで散々乗ったわ!というのがあったですからね。
内灘の街を出る古参車・8801編成。北鉄の車輛はどの車両もやや大きめでごっついスノープロウを付けているのですが、裾絞りがないタイプの片扉車にはこの大きめのサイズ感がぴったり。裾絞りがあるとスノープロウがはみ出してしまってバランスが取れないような感じになってしまうのでね。照り付ける白い日差しを避けながら、渋谷から吉祥寺へ、金沢から内灘へ。場所は変われど、郊外電車としての生涯を貫き通した60年。長きに亘りめでたく定年まで勤めあげた大先輩である京王3000片扉車の、残り少ない余生にエールを送ります。
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