青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

時の河を越えて

2014年07月08日 23時46分09秒 | JR

(思い出のオレンジバーミリオン@青梅鉄道公園)

先週開通した圏央道相模原区間、出来たからにはトコトン利用してやろうっつーことで日曜日は東京都青梅市にある「青梅鉄道公園」まで行ってみました。今までであれば自宅からヨユーで2時間以上はかかっていたエリアに1時間ちょっとで来れる快感は開通効果サマサマであるのだが、休日50%割引に慣れ切った体に海老名~青梅の47.2kmで通常料金1,960円ってのはちと高すぎるような気がする。ETC割引がほとんど効かないのも痛いねえ…快適さをカネで買ってると思えば仕方ないんかもしれないが、NEXCOよ、どうにかなんねえもんか?


ブチブチ文句を垂れてみた私を、青梅鉄道公園は入場料夫婦で一人100円ずつ(子供達はタダ)、駐車場無料というやさしいプライスで迎えてくれたのでありました(笑)。実はここに来るのは初めてではありませんで、小学校に上がるか上がらないかの頃、オヤジに連れられてここに来た事を覚えている。たぶん約30年ぶりくらい2回目の訪問。


この公園は日本国有鉄道90周年を記念して1962年(昭和37年)に開設された鉄道公園なんだそうで、既に開設から52年目を迎えている歴史ある鉄道公園です。一応国鉄→JR東日本直轄の施設なので、働いてらっしゃる方は元国鉄OBっぽい雰囲気の方々ばかり。入口で「いらっしゃ~い、小学校以上の方は100円でおねがいしまーす」なんてのんびりと客寄せを行っている。入口にほど近い場所に鎮座するD51452、その横に鎮座するのが当時の国鉄総裁である十河信二翁の揮毫された銘板。もう「国鉄総裁」って言葉が懐かしいよね。十河信二は新幹線の父と言われた四国の鉄道王。十河信二と島秀雄の名前くらいは鉄道ファンじゃなくても知ってる人がいるんじゃないのかなあ。


「いま展示室でジオラマ動かしてるから見てって下さいねえ~」なんてモギリのおっちゃんに誘われるままにまずは展示室の中に入ってみる。まあジオラマ自体はこの手の博物館ではさして珍しいもんでもないので割愛しますけど、E6系やカシオペアなんかに混じって583系とかキハ58のHOゲージが堂々と走っているのが何とも匂い立つような国鉄臭を感じてしまう(笑)。よく見ると模型の運行システムもどことなく古めかしい…

  

ジオラマを囲むように大型の鉄道模型が鎮座するホール。電気機関車の代表として登場するのが関門型のEF30とか泣けます(笑)。「EF65に牽引されて東京駅を発車したブルートレインはやぶさは、九州に入る直前、下関駅でこの区間専用の機関車であるEF30にバトンタッチ。海底の下を走る関門トンネル用に、塩水でも錆びないステンレスの車体を持つこの機関車が牽引するのは下関~門司の一区間だけ。門司駅でED76にはやぶさを引き継ぎ、一路西鹿児島へ向かいます」なあ~んて、子供の頃に「ブルートレイン大百科」で学んだ知識がくっきりと浮かび上がって来ますな。ちなみに息子はキハ81を見て「あ!カニカニはまかぜのしゃりょうだ!」と言っていたが案外間違ってはいないw


この「列車ヘッドマークのいま・むかし」の前に30台後半以上の鉄ヲタを集めたら、きっと半日は喋っていられるだろうと思われる(笑)。Q.ブルートレインで一番運行距離が短いのは?A.紀伊!みたいなwそして「いま・むかし」と言っておきながら「いま」が一枚しかない件…

 

場所柄、旧型国電にも造詣の深いこの施設。今のコーポレートカラーに分かれる前、国鉄時代も旧型国電には地方によってさまざまな塗り分けがあった事。これは文献でしか知らないけど、飯田線や身延線のスカ色はともかく大糸線や富山港線のスカイブルーとか、可部線の黄緑とオレンジってのは実物を見たらおったまげるカラーリングであった事でしょう。外には青梅線を走っていたクモハ40が展示されとりますが、稲中卓球部を思わせるアニマルカートに囲まれたその姿は何ともw

 

屋外の展示物に関してはSLが中心となってるんですが、それは昭和37年と言う開設時期がちょうど国鉄が無煙化に向かい始めた時期と重なってるからなのかもしれませんね。板谷峠対策用の5軸動輪のタンク車E10が保存されてるのは全国でもここだけ。このE10、日本最大のタンク型機関車として相当な馬力があったようなんだが、動輪の数が多いせいかレールへの粘着力が出なくて思ったほどの結果が出せなかったんだとか。曲線通過時のレールへの抵抗を落とすため、3軸4軸の動輪にフランジがないのが変わってます。


屋根の下できれいなキューロク。保存されてるのはハチロクとかキューロクとか大正生まれの機関車が多いですね。もちろん運転台まで上がって中を見る事が出来ますけども、いい子供の遊び場になってしまっていて写真は割愛w

 

青梅線ゆかりのED16。本来は清水トンネル越えを目的に上越国境の守り神として山岳路線に投入された電気機関車ですが、晩年は奥多摩からの石灰石輸送(奥多摩工業株式会社)に従事しとりました。自分が子供の頃はもう主力は八王子のEF64に移っていたけど、たまーにED15やこのED16が牽く貨物列車を見る事があって、ベンガラ色のホキを引き連れながら中野島あたりの梨畑の中を走っていた事を思い出す。なんか展示物にも思い出が語れる世代になって来たんだなあとしみじみw

 

階段下の広場には0系新幹線。子供を運転台に乗せて記念撮影なんかしてやったりしましたが、0系ってスピードメーターが260km/hまでしかないんだねえ。この車輛だけ屋根が掛かってないせいか傷みが激しくて、車内は雨漏りしちゃってましたがw


オヤジに連れられて来た時は、たぶん登戸から南武線と青梅線を乗り継いで来たんだろうなあ。もう覚えてないけど、そん時の車両は当然101系だったと思われる。確か青梅の駅の電留線にオレンジの101系がゴロゴロしてた記憶があるからな。帰りにその当時、青梅の駅から公園まで歩いた道を車で通って青梅の駅に出てみたんだけど、構内を見たらE233系がゴロゴロしてたよ。

時代は流れ、30年の空白を経てやって来た青梅鉄道公園。
オヤジが自分にそうしたように、自分も子供を連れてやって来た事実は、妙に感慨深い(笑)。
ノスタルジーを感じさせる国鉄色豊かな展示物は、あの頃のままでした。
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