青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

黒潮洗う熊野灘 ~伊勢志摩の旅二日目①~

2009年09月23日 10時07分28秒 | 日常

(画像:巨大船)

一泊目のお宿は、志摩半島の最南端である先島半島は越賀にある「活鮮旅館・志摩半島」
適当にネットで探して見付けたのだが、じゃらんとかでは結構人気のある宿らしい。
R260の旧道沿いにあって、ロケーションなんかには特筆すべきものはない普通の旅館だったんだが、
この宿はとにかく料理の量が凄かった。

お造り三種がアジ・イカ・ワラサ、カマス塩焼き、エビ塩焼き。
サザエのつぼ焼き、焼きホタテ、もずくに魚の揚げ甘酢。
サワラと野菜のせいろ蒸し、舟に乗りますお刺身は、イセエビアワビに活けヒラメ。
これで終わりと思いきや、次々出て来る魚たち。
アジのタタキに鯛塩焼き、ヒラメの縁側薄造り。なぜか甘エビボタンエビ、アオリイカまでお造りで。
刺身のアジは骨せんべい、タイのウロコは唐揚げに。
ヒラメのから揚げ最後には、アジの握りでようやくおしまい。
なぜかちょっと都々逸風。

最初の料理が運ばれてから終わるまで約2時間強に亘り、魚料理が出続けると言う恐ろしい宿w
私は決して食べない人ではないのだが、さすがに中盤以降は…(笑)。
舟盛りのヒラメがあまりに多すぎて食い切れなかったのが残念だが、ずーっと基本的に醤油味と言うのも辛いw
だいたい甘エビとかボタンエビなんて志摩半島で獲れんのかよ!

 

二日目の朝は、朝日を拝みに朝5時に起床。
先島半島の東側、大野浜と言う場所から見てみました。
大王埼の右側から、荒波の熊野灘を染めつつゆっくりと上がって来た朝日。
今日も天気は良さげです。

朝食を済ませ、宿を後にする事に致しましょう。
宿のオーナー兼板前らしきおいちゃんが出て来て、周辺の見所などを色々とレクチャーしてくれる。
とりあえず、一宿ありがとうございました、と挨拶して辞す。
何となく見付けた宿でしたが、暴力的な量の海鮮料理がお好きな方はぜひw
肉、食いてえ(笑)。

 

今日は志摩半島の南端を熊野灘に沿って走る国道260号線を中心としたドライブ。
先島半島の先端である御座港からスタート。
この国道、志摩市の鵜方からスタートするのだが、終点の紀北町紀伊長島には直接向かわない。
英虞湾を抱き込むように先島半島を回り、湾口を海上国道として飛び越えて旧浜島町から終点に向かう形になっている。
と言う訳で、スタート地点の御座港ですが正確に言えば途中なんですね。
以前は「奥志摩フェリー」と言うのが国道を代替していたようだが、現在は車の輸送はしておりません。
それでも対岸の賢島と浜島までの航路は残されており、港には船待ちの地元民が何人か。
写真のバスは近鉄系列の三重交通バス。サンコーバスの愛称でおなじみ。
御座と鵜方を結んでおります。

  

先島半島部分のR260は、南側と北側の2ルートが国道指定されており、
南側は熊野灘に面した小さな漁村集落を、1.5車線程度のよろよろ道が繋いでおります。
それに対し北側は、英虞湾に面した入り江を高規格橋梁でショートカットする志摩バイパス。
写真はR260バイパスにかかる「パールブリッジ」。平成17年に開通したニールセンローゼンアーチ橋。
首都高の五色桜大橋(王子線の荒川架橋)と同じ形だな。
橋の下では、のんびりと釣り糸を垂れる人々。
そして、碧き英虞湾。

 

R260の起点である鵜方の五差路
さすがに志摩市の中心地である鵜方は、結構店なんかもあって栄えている。
ガストが見えて、すっごく目玉焼きハンバーグとか食べたかったんですけどw
ぐっとこらえて、横山展望台へ向かう事とする。

  

横山展望台は、英虞湾を北側から俯瞰する展望台。
何を隠そう、宿の主人から強力に推薦されたスポットがここなのである。
確かに、入り組んだ英虞湾の姿がとてもよく分かる場所で、景観としては素晴らしい。
宿の主人曰く、南側に大きく伸びた先島半島が天然の防波堤の役割を果たし、
台風や高波から湾内を守っている事。
その常に穏やかな湾内環境と、密度の濃い森から流れ込む養分が豊かな事。
この英虞湾の地理的条件なくして、真珠王・御木本幸吉は生まれなかったそうだ。
そんな地理的要素が、ここから見ると凄く分かりますね。

さて、それでは改めて鵜方から旧浜島町に抜け、R260に戻ると致しましょう。
R260は整備と未整備の落差が大きく、
旧浜島町宿田曽~南伊勢町神津佐(こんさ)までの区間は上のような高規格道路と、
法面のダダ崩れた1~1.5車線の旧道が混在している。
旧道はかなりの酷風味でその落差には笑ってしまうのだが、それはそれで走り応えはある。
それでも旧道の脇には重機が入った工事現場も多く、改良工事は着々と進んでいるらしい。

  

五ヶ所湾沿いの路肩に車を止めて一服。南伊勢町内瀬地区にて。
R260の旅は、リアス式を堪能する旅。
湾のひだに沿って水際を走り、次の小半島の付け根にぶつかればゆるゆると山を登り、
下ればまた次の湾が見えて来て、湾のひだに沿って水際を走る。
その水辺には、申し訳程度の集落があって、一個一個に名前が付いている。
南伊勢町から旧南島町にかけては、迫間(はさま)浦、相賀(あいが)浦、慥柄(たしから)浦などの「ウラ」地名と、
棚橋竈、小方竈、新桑(さらくわ)竈などの「ガマ」地名が多い。
「ガマ」ってのは沖縄なんかだと珊瑚礁台地の中にある洞窟の事ですが、本土では珍しいですね。
集落がリアス式の海岸を山に向かって伸びている地域に「ガマ」地名が付いているので、
「奥まったような、すぼまったような」地形の特徴を表しているのだろうと推測は出来ます。

  

旧南島町・南島大橋からの風景。
志摩半島から、地域としては東紀州に移ったあたりでしょうか。
三重県内ですけど、この辺りから伊勢ではなく紀州の香りが漂ってくる。
目の前に広がるのは贄(にえ)湾。
海も黒潮の色なんだろうか、余計に深みを増してコバルトのようだ。
イカダの上で釣りを楽しむ家族連れ。

どこまでも続く碧き熊野灘の旅。
吉津港では、山から大きなベルトコンベアーで運ばれた石灰石が船積みされていた。
この住友大阪セメントの国見山鉱山には、以前石灰石積み出し用の専用鉄道があったそうです。
「国見山鉱山専用線」といい、ちゃんと1,067mmの軌道を持って、元南海の電気機関車が活躍していたらしい。
中部国際空港の建設に大きく貢献した後、ベルトコンベアーに使命を渡し廃線となったそうで…
本当なら廃線跡探しとかしたいんですけどw

舞台は志摩から東紀州に移り、さらに旅は進むのだが、
字数の兼ね合いもあり、ひとまず続く。

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