(街灯りに冴えて@JR松山駅前)
高浜から松山市街に戻り、JR松山駅前のビジネスホテルに荷物を放り込みました。ひとしきり夕方の地元のニュースを眺めながら一服した後、改めて身軽になって街へ出ます。祝日の夜7時前、観光客もあらかた引いた街を路面電車で巡って行くナイトラム・タイム。電停で待っていると、石畳の軌道に乗って現れたのは午後の西堀端で見たモハ51号。最古参のエスコートで、夜の松山を徘徊する事にしましょうか。
それにしてもこのモハ51号、昭和26年の製造との事で実にクラシカルな車内である。アルナ車両の前身会社であるナニワ工機製造、外側が鋼板で車内が木造の半鋼製車。木造の古い車両にありがちな機械油の香りとニスの香りが混ざったような独特の香りが漂う車内は、新型のLRVでは決して出せない風格があります。ブルーのモケットも渋いですね。JR松山駅前から、宮田町、古町方面へ向かう環状線外回りの1系統。走り出せば重々しいツリカケの音が喧がしく、路面電車の情緒を存分に堪能するのであります。
古町から松山城の北側を通って上一万へ抜けて行く環状線外回り。官庁街・繁華街の広がる松山城の南側に比べ、城北地区は閑静な住宅街。この時間は市駅や松山駅方面から帰宅する乗客の下車が多く、生活に密着した路線という雰囲気。どこかでワンカット調達したく、清水町の電停で51号を降りてみる。電停の奥にある正林寺と言う大きなお寺さん。この電停は松山大学のキャンパスに近いようなのだけど、学生の利用はどれくらいあるのだろうか。
城北の裏路地をゴロゴロとツリカケ車が転がって来る清水町界隈。乗ったり降りたりでも、10分ごとに電車が回って来るので探索は楽である。路面電車ってのは、ちょっとの距離を気軽に均一料金でサクッと乗れるところに良さがあるんで、ある程度のフリークエンシーが確保されていないとどうにも使いづらい。個人的には20分に一本は欲しい。コロナ禍の中で、路面電車でも減便を余儀なくされているところも多いと聞きますけど、同じ四国のとさでん交通とか末端区間は40分間隔とか。
環状線を乗り進めて平和町一丁目。平和通りの中央分離帯にある銀杏並木が黄葉していました。この平和通りを西にまっすぐ行くと古町駅。宮田町からほぼ専用軌道を通っていた環状線は、ここで再び併用軌道に出て上一万で道後温泉方面からやって来た線路と合流します。
上一万で市駅からの3系統に乗り換えて、終点の道後温泉へ。道後温泉の駅はいわゆる大正ロマン的なモダンな駅舎に建て替えられていて、歴史ある温泉街の玄関口としての雰囲気を維持しています。アンカーを務めてくれたのは伊予鉄路面電車唯一の移籍組である2000形、廃止された京都市電からの譲渡車になります。同じ京都市電からの譲渡車でも広電1900形は京都出身であることが結構メジャーなような気はしますが、伊予鉄にもいたんですねえ。そんな雅な経歴を持つ2000形と、道後温泉の駅舎を絡めてパチリ。
1888年の伊予鉄道開業に続く事7年、1895年に道後鉄道によって開業した道後温泉駅。日本三古湯(道後・有馬・いわき湯本)に名を連ね、長い歴史と数々の故事や文学に登場する温泉地の玄関口です。国内でも超メジャーな温泉地ですから、温泉好きとしては一回くらいは浸かってみたかったのはあります。駅舎にはスタバが展開し、駅前には伊予鉄名物の「坊ちゃん列車」が留置され、浴衣姿の女性客がそぞろ歩く風景がバリバリの観光地って感じですね・・・
飲食店や土産物屋の並ぶアーケードを抜けて、道後温泉の本館にやって来ましたが・・・現在、道後温泉は約一年間に亘る大改修工事の真っ最中。国の重要文化財である道後温泉本館は、1894年に当時の道後町長が建設した木造3階建ての豪勢な湯殿建築ですが、本館南側は物々しい鉄骨のドームで覆われ、中の姿を見る事は出来ません。
道後温泉の大改修工事は休館の形を取らず、工期ごとに場所を分けて行われているため、北側の一部を使って営業は続けられています。但し、入場できるスペースが狭くなっているのと、いわゆるコロナ対策で人員制限が行われており、利用には整理券が必要との由。この日は祝日で、既に整理券の配布は終了しておりました・・・という事で折角の訪問なのに道後温泉の本館での入浴は叶わず、戦後に建てられた外湯のうちの一つである「椿の湯」で道後温泉の湯を楽しんだのでありました。こっちもでっかい湯釜から滔々とかけ流しになっているいい温泉でしたけどね。
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