(再会の日を待つ@本名駅)
平成23年夏の新潟・福島豪雨以来寸断されたままとなっている只見線の会津川口~只見間。大雨で増水した只見川の溢水や、増水した水かさを受け止めきれなくなったダムの一斉放水などもあり、鉄橋は第五・第六・第七只見川橋梁が流失、第八只見川橋梁が損壊。軌道敷についても土砂流出や斜面崩壊、軌道変異など約30kmに亘って大きな被害を受け、現在も運休が続いています。もうあれから7年目の夏が来る事を考えれば、遅きに失した感が否めませんが、そんな只見線の運休区間を訪れました。川口から一つ目の本名駅、集落の中で駅はひっそり苔生して、植物に絡め取られていました。
踏切の部分だけを残して、あとはすっぽりと夏草にうずもれた線路。鐘の音を忘れた踏切警報機が、再び本名の集落に列車の接近を告げるのはいつの日になる事か…思えば平成23年と言えば東日本大震災のあった年で、福島県は地震被害、津波被害、原発災害に続いての奥会津の豪雨被害と、福島県は災厄続きの年でありました。
それでも足元を見れば、レールと枕木を繋ぐ金具の部分に真新しいペンキで書き残した数字が読み取れて、復活に向けての最低限の保守管理は日々行われているようです。しかし跋扈する夏草の勢いというのは物凄いものがある。保守の手が緩めば、バラストの間からにょきにょきと伸びて、あっという間に路盤を覆いつくしてしまうのであろう。
あの豪雨から7年を経た今、只見川流域では今も大規模なダムの浚渫や堤体の復旧作業が進められています。只見川とその流域に設置されたダムは電源開発や東北電力による水力発電事業のために作られたものであり、流域の市町村には「電源立地地域対策交付金」という名の迷惑料が振る舞われ、公共事業として優先的に配分される工事による雇用創出などの副次的な恩恵に与って来ました。本名ダムの大規模な復旧工事に囲まれ消え入りそうな第六橋梁のガーター。ここのトラスは豪雨によるダムの緊急放水によってあっという間に流されたと聞きます。
会津横田~会津大塩間に架かっていた只見川第七橋梁。横田側の町道から見ると、右カーブして行った先でスパッと何かに切られたようにレールがなくなっていて、その先には対岸の森が広がるのみ。虚空を掴むかのように消えた鉄路、銀河鉄道999ならば空に昇って行けるけど、キハ40じゃあねえ…重いからねえ…と冗談に逃げるしかないような景色。
第七も他の只見川橋梁同様、上路トラスの立派な焦げ茶の鉄橋が架かっていた。隣に架かっている町道の歳時記橋は、この橋を通る列車をいいアングルで収める事の出来る撮影地であった。川の横田寄りに残されたコンクリートの台が、トラスの橋桁の跡。
雪国仕様の高い位置につけられたキロポストと、僅かに夏草の中から見えるレール。よくよく注意して見なければ、ここが線路なのかどうなのかも危ういような見てくれだよなあ。頻発する地震や、豪雨、温暖化によって気象条件が荒ぶる昨今、全国各地で頻発する自然災害による交通網の寸断。道路はすぐ直すけど、鉄道はなかなか時間がかかる。インフラとしての優先度では後回しになるのはクルマ社会の自明の理なのかもしれないけど、ダム工事に頻繁にダンプが行き交う国道の脇で、何だか割り切れなさも残ったりして。
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