(在りし日の姿@まるみや旅館)
若い頃、いや今も一応気持ちは若いつもりでいるんだけど、休みになるとクルマで日本中を適当にブラブラして、風景を写真に撮ったりネタっぽい場所に行ってみたり酷道を走ったりなんか美味いもん食ってみたり…という事をやっていた。そんな折、東北地方を訪れる時に一時期よく泊まっていた東鳴子のお宿がとうとう宿を畳んだと風の噂で聞きまして、一抹の寂しさを感じているところではあります。平成も30年、来年は否応なしに新しい元号を抱かなくてはならないという節目に、決断して行く人と物事の何と多いことか。ご無沙汰したまま見送る事も出来ず、その行方を風の噂で聞くほど不義理なことはないなあと反省しきり。
ここは農閑期の農民の方であったり、三陸地域の漁業者の方々だったり、日々の骨休めとしての逗留客と、術後の回復や慢性疾病の改善を目指しての療養客など、ある程度の長期滞在を前提とした「湯治」のスタイルを貫いてきた宿でした。そのため基本的には宿泊料が安く抑えられていて、部屋代だけで安く泊まる事が出来ました。この宿を何で見付けたのかは忘れてしまいましたが、最初のきっかけは何だったっけかな。なんかあんまりその頃ココロもカラダも調子良くなくて、気晴らしに温泉でも行ってくるか!みたいな感じで調べたら出て来たんだよなあ。勢いで電話かけて予約しちゃった記憶がある(笑)。
部屋には台所や冷蔵庫があって、やりたければ自炊でメシを作って過ごすことも出来ました。今でいうキッチン付きのウィークリーマンションのようなものですが、1泊4,000円で六畳一間の温泉入り放題という分かりやすいスタイルが大いに気に入って、ここを根城に東北のあちらこちらを旅したものです。自炊もしたことあるけど、部屋から近所のラーメン屋に出前とか取れるんで結構楽だった(笑)。大学の時、雀荘からラーメンの出前を頼みながらマージャン打ってた事あるけど、あの感覚に近い事が宿で出来るというのも新鮮であった。
薬効の誉れ高い茶褐色の温泉。この茶色い味噌汁的な色の湯は運動器官系に良いと言われていたが、今行けば常に付きまとう肩凝りや腰痛に効いたろうか。いつ行ってもほぼ独占で、他の湯客と同浴になる事は極めて稀だったけども、たまに湯船で一緒になって話がはずんだりもした。話相手のおっちゃんが歌津(南三陸)の人で、風呂上がりに部屋に来なよなんて言われて余った刺身をいただいたこともいい思い出である。袖擦り合うも他生の縁というヤツですが、何と言ってもこの宿の良さは、ただただ広いウナギの寝床のような静かな館内で、誰に何を言われる事もなく布団を引きっぱなしにして、ダラダラと部屋と温泉の繰り返しで過ごすもよし、私のように連泊しつつ昼間は外で遊んでくるもよしという自由さ。常識の範囲の節度を守れば、やれ食事の時間は何時だとか風呂は何時までだと宿の都合に合わせなくてもよいというところであった。
こちらは透明な重曹泉の混浴大浴場。ツルツルして気持ちの良い温泉であった。ここのご主人はお話好きの快活な人で大変世話になったのだが、基本的には「お客様の自由にしてもらう」という方針の人で、チェックインとチェックアウトの間は放っておいてくれてそこが居心地よかった。チェックインもチェックアウトもあるんだかないんだかというような自由な宿で、厚意に甘えて帰る日なのに昼過ぎまで部屋でゴロゴロしてからやっとこ「そろそろ帰ります~」なんて帳場に声を掛けた事もある。延長料金など取られたこともなくて、それを聞いたら「ウチは基本『何晩泊まったか』だからねえ」とあっけらかんとしていたのを思い出します。
正直その頃仕事がクッソ忙しくて、休みを取ると何もかも忘れたくて、前の日に電話で予約を入れ、常磐道を北に向かって走っていたような気がする。あれから15年近く経ったけど、今思えば当時はずいぶんと無頼な生き方に憧れていたのかな。そういう世を拗ねたような気持ちと、一人になれる開放感にこの宿がマッチしていたのかもしれない。出来ればまた、今度は子供を連れて行ってみたかったけど、その夢は叶わず。
今となっては何も出来ないので、長年の営業ご苦労様でした、と感謝の気持ちだけ送らせていただきます。
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