青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

九州サマードライブレポ No.10

2006年09月11日 23時19分42秒 | 日常
(写真:うにどんぶり)

ぷろでゅーすどばいつなしま。
日向路では、良質のウニが取れるらしいです。
「ウニは北の食い物」と言うイメージがあるんだけどね。
生ウニ丼2,500円には手が出ず900円の塩ウニ丼ですが、よく塩に漬かってこなれた味もご飯には合います。

●さかいだ温泉
長い長い一日を終えて、宿へ戻って来た。途中の「道の駅たるみず」で仕入れたキビナゴを手開きにして酢味噌で。つまみに買ったさつま揚げと、大分からずっとお供してきた焼酎で一献傾ける最後の夜である。飲んでしまえばもう何もする気が起きない。
ちょっと熱めのさかいだのお湯に浸かって目を閉じる。結局2晩泊まりで自分の他に宿泊客はいなかったみたい。ここの温泉地としての正式名称は「安楽温泉」ですが、屋号が「さかいだ温泉」と言うのが紛らわしいですな。鉄分と炭酸を多く感じるお湯が、泊り客がいようがいまいが四六時中物凄い量で流しっ放しになっているのがもったいない。なんか壁に貼ってある説明書きを読むと、ここは古くから療養温泉地として親しまれてきたみたいですね。とにかくこの湯に浸かると筋肉痛やら神経痛やら肩凝りやら糖尿病やら這いずり回っていた病人が立って歩くわ体の中の銃弾は出てくるわ、女の子からは告白されるわ宝くじは当たるわいい事ずくめみたいな事が書いてあった(笑)。
ただ、うっかりこの夜畳の上で野垂れ死ぬように寝てしまってダニに集中爆撃を食らってしまい、しばらく恐ろしく痒かった事は付け加えておきますw。どうやらこのお湯、痒みには効きません。

●九州最後の朝
交わした言葉はチェックインの時に一言、そしてチェックアウトの時に一言のみ。いずれもテレビを見ながら半分聞いてるんだか聞いてないんだか分からぬくらい適当に応対するさかいだのばあさんにお宿代6,000円を支払い、陽光差す新川渓谷を後にする。今日はこれからひたすらに東九州を北上して別府に向かうのみ。朝の霧島御池を眺め、南九州にお別れ。
途中、「tnsm氏抑留地の見学」などマニアックな作業をこなしつつwその抑留された本人からのクロスメールで宮崎情報を仕入れたりしながら宮崎市内はパスして佐土原~西都~日向と車を進める。意識的にR10は避け、一本内陸側の農道などを軽やかに結びながらのドライブである。都農市街でつなっしー情報のどんぶり屋で上記のうに丼。
あ、グルメと言えば宮崎を中心に南九州でポピュラーなチキン南蛮と言う食い物があるんだけど、結構気に入りましたね。どこが「南蛮」なのかは置いといて、パリッと揚げた大ぶりの鳥のモモ肉が香ばしく、上にかかるソースは甘酸っぱいタルタルソース。ミスマッチかなと思うのだけど、揚げた油っぽさがうまく酸味でさっぱりと緩和されて美味しいです。結構ボリュームもあるし。

●日豊の海は明るく
腹ごしらえをして、延岡からはちょっといたずらして真っ直ぐ大分には向かわずにこちらへ。388と言う数字はグリーンチャンネルを思い出すけどな。この道は、日豊リアスラインと言うニックネームの付いた海岸沿いの風光明媚なルートである。豊後水道の穏やかな入り江を眺めながらまったり走行。何となくR260的なイメージです。想像付く人ハギーさんくらいだろうけどw。リアス式海岸線のドライブは、複雑に入り組んだ湾の奥に漁港のある集落→小高い山越え→漁港のある集落→山越えの繰り返しと日本全国相場が決まってますね。小高い山の上から眺める漁港集落と日豊の海は明るく、広々とした景色。
あ、ちなみに途中、旧蒲江町内に至る峠越えの区間だけは、結構と言うかかなりな酷風味で肝が冷えましたねえ(笑)。路肩が崩れているのもあるが、急坂の上に路上の杉の枯葉の積もり方が凄まじすぎてタイヤが空転しておっそろしかったwこの画像でお分かりいただけますでしょーか。たぶん杉の木は垂直に近い角度で生えていると思いますけどね。
…結構長旅で疲れているのにこんな感じで調子こいてるから、こうなるんだが…

●佐伯事件(さえきじけん)
海岸線ドライブを終え、車は佐伯市街へ。ここで事件は起きる。
全くもって田舎のR388のロードサイドはコンビニ一軒なく、燃費のためにあまりクーラーを使わない私の喉は結構渇いていた。佐伯市街でようやく路肩に4~5台のビニールの屋根つきの自動販売機が固まった自販機コーナーを見つけ、その前に車を寄せてジュースでも買おうと思い車を寄せる。

ちょうど自販機コーナーの前が砂利になっていた。
ちょっと進入速度が速かったんだろうか…
そして運転が疲れで雑になっていたんだろうか…
ブレーキを踏んだらいきなり砂利の上でABSが「ガガガガッツ!」と作動し、
→車は砂利の上をズズズズッと滑り、
→自販機の前を通り越して、
→車道と歩道を分ける縁石に真正面から突っ込んで、
→「ガッツン!」と言うイヤーな音を立てて止まりました。
→…やっちまったorz

ABSが幸いして車が乗り上げて亀になった訳でもなく、縁石の高さがなかったせいでバンパーも無傷。しかしながらかなり嫌な音がしたので車を止めて車体の下に潜り込んで見ると、何やらトローリとした液体がバーモントカレーのCMのハチミツのよーに流れ出しているではありませんか…

うおおおおおやっちまったああああああorz

メカには疎いが、匂いといい粘度といいもうこれは間違いなくエンジンオイル。しかもここをどこだと思ってる。家の近所じゃねえんだぞ…
ドカンと体にのしかかってくるのは、
大分県の佐伯市と言う現実orzorz
ものの30秒でJAF救援→車乗り捨て→飛行機帰郷→来 週 ま た 大 分 かと言う最悪のシナリオを覚悟した。正月のかくし芸で堺正章がやる水芸のよに止まらぬオイル流出。次第に広がるオイルの香り。とにかくこうしちゃいられない、たぶんオイルは5リッター程度、半分以上漏れるまでは何とか自走可能だろう。ゴメン愛車!バカだ俺。幸いにしてまだ佐伯の市街、何とかならんか?マジで祈るような気持ちで車を再スタート。時間は、ない。
ここで動揺して事故を起こしたら二重の災難、と心に戒めを作り、慎重にハンドルを握る。一個一個の信号が物凄く長く感じる。信号を待っているその時間にも、オイルは間断なく漏れ続けている。窓の外からオイルの匂いがどんどん強くなって来る。気の遠くなるような時間だ。
本当に幸運だったのは、佐伯の市街であった事。5分と走らないうちに「スバル」の看板が見えた。おおおお!地獄に仏とばかりに車をガレージへ滑り込ませる。すすすすすいませええええーん!

はい?とばかりに出て来た30代の整備士っぽいツナギのお兄さんに一気に事情を説明。ふむふむ、うーん。あー、はいはい。事情は飲み込んでいただけたよう。おもむろにガレージの奥から石油缶を持って来て、とりあえずダダ漏れのオイルを受けるために床下へ潜った。
「あー、オイルパンがモロに引っかかっちゃってますねえ~」
オイルパンとは、エンジンのピストンを潤滑させるオイルを溜めておくケースの事。そこをモロにガツンとぶつけて、オイルパンに穴が開いてしまったらしい。
「どうですかねえ…直りますか?」
「…」
「直らなかったら、佐伯の市内にホンダのディーラーあったら教えてもらいたいんですけど…」
お兄さん、しげしげとナンバーを見て、一言。
「置いて帰るつもりですか?」
いやいやいやめっそーもない!何とかなるんだったら何とかしてもらいたいですマジで!と言う私の反応に、小首をかしげながらガレージへ向かう整備士の兄さん。もうオイルはすっかり抜けてしまった。いまさら自走も出来ないだろう。したってエンジンが焼けちゃってさらに被害が広がるだけだ。真夏の午後の焼けるような日差しと、不安と緊張が混じり汗だけがダラダラと流れる。そんな私の姿を見かねたのか、奥の母屋から整備士兄さんの母親らしき人が出て来て「まあ、こちらへどうぞ」と展示フロアへ招き入れてくれて、何だか知らんが麦茶が出て来た。そーいや自分、喉が渇いてたんだっけ…忘れてたわw
せっかくなので麦茶を飲むも、気になるのは車のサルベージが出来るかどうかのその一点。落ち着いて座ってる事も出来ないので車に戻ると、整備士兄さんがガレージからジャッキと何かの材料を持って来た。ジャッキで車を上げると、その横でボンドのようなものを板の上へチューっと盛り出し、シンナー系の溶剤をかけて練り始めた。

「これ、クラック補修用の硬化剤だから、これでやってみます」
専門用語は分かりづらいのだが、クラックと言うのは「ひび割れ」のことらしい。患部を溶剤とエアースプレーで洗浄し、床下に入って練ったパテ状の硬化剤を肉厚に塗りつける。しばらく待ってパテの硬化を確認すると、再びガレージへ戻って新しいオイルを持って来た。ボンネットを開けてオイル注入。真新しいオイルを満タンに満たしてから、「エンジンかけてしばらく待ってみましょう」と言う事でキーを回す。5分程度アイドリングした結果、漏れはなし。整備士兄ちゃんがもう一度床下に潜って確認したところ「大丈夫でしょう」と言うお墨付きが出た。やった!あんた神だよ!マジで!!

「元々エンジンとか排気管とか、高温になる所に使う硬化剤だからオイルパンに使っても大丈夫だと思うけど、しばらくはちょこちょこ床下気にしながら走って下さいね。一応戻ったらディーラーに見せた方がいっかもね」
ありがとうございますありがとうございます。佐伯神。いや、佐伯の市民なだけでこの人は佐伯さんではないだろうけど(笑)。
ちなみに帰宅するまで何も問題は起こらず、ついでにディーラーに見せたら「今のところオイルは完璧に止まってるからオイルパン交換するのは様子を見たほうがいいです」と言われた事を付け加えておきます(笑)。完璧な仕事振りだったらしい。

あのー、お代は?と聞いたら「じゃ、5,000円で」…気分的には諭吉一枚置いてっても全然後悔しないんですが。結果的にオイルも新品のが入ってるし。ちょっと高いオイル交換程度の値段じゃないの。お茶も飲ませてもらったし…
いやあ、マジでお世話になりました。佐伯スバル。感謝してもしきれない。

九州ラストでとんだアクシデント。
ただ、マジで市街だったことが不幸中の幸い。
これがR388のあの山の中だったら…考えたくもないねw

いよいよ次が九州ラスト。
波瀾の旅も、ファイナル。
続く。
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九州サマードライブレポ No.9

2006年09月09日 09時51分58秒 | 日常
(写真:とこしえに)

やまとおのこのますらおは おほくにのみたまとともに…
戦争がいいか悪いか、特攻がいいか悪いかの「善悪の部分」はあえて論じる事は避けたい。
ただ、リアルとドラマの区別だけはしておきたいな、と思いました。

●開聞を後に
砂むしで汗だくになった私は、コーヒー牛乳を片手に休憩室でぼーっと。外は気温35℃の灼熱の真夏の太陽が待っている。この状態のまま即座にハンドルを握る事は結構きつい(笑)。窓の外はさざ波の東シナ海。受付のねーちゃんも暇そうだ。小一時間しっかりとクールダウン、そろそろ西大山の駅に枕崎行きの列車が着く頃だ。腰を上げてハンドルを握る。熱っ!真夏の放置された車の中では、たまに鍋つかみが必要な場合があるな(笑)。
13時21分発の枕崎行きを、さっきより灼熱度が増した西大山の駅で待ってみる。草むらの水分が日差しで蒸発し、むわっとした夏草の匂いが満ちている。誰も乗る人のいない駅に列車は静かに到着し、何事もなく午後の日差しにけぶる開聞岳に向かって消えていった。あ、この駅は午後が逆光になるみたいだから、山と絡めたいなら写真を撮る人は午前中に行った方がいいね(笑)。そうなると撮影対象列車は2本くらいか…まあ、ここを見ている人で行く人はそうはいないと思うがw

●知覧へ
列車は行ってしまった。再び何もない静寂に戻った西大山駅と開聞岳にお別れ。車を指宿スカイラインへ。これからの目的地は知覧町。品質の良いお茶の取れる、上品な武家屋敷の町並みが続く薩摩の小京都…と言う部分にはあまり興味はない。「特攻の街」としての知覧に興味がありました。太平洋戦争末期、沖縄に上陸した連合軍の手が本土に及ぶのを食い止めようと、命を張って戦艦に突入した壮大かつ無謀な作戦・特攻。昭和17年に現在の福岡県の太刀洗(たちあらい)にある陸軍飛行学校の分教場として作られた知覧の飛行場は、戦局の変化に伴いその姿を変え、特攻の最前線基地となった。この街におけるたった3年間の歴史が、これほど多くの人の訪問を集めるとは…と思うほど、夏休みとは言え平日の昼下がりに、駐車場はほぼ満車に近い状態であった。
激しい時には毎日、西南にある開聞岳の向こうに編隊が消えて行ったらしい。もう見る事のない本土の最後の風景が、あの開聞岳の秀麗な姿だったと言う。あの山に悲しい歴史あり。その山の上空で、両翼を左右に振ってお別れの挨拶をする、隊員の心の中いかばかりか。

知覧特攻平和会館
まず最初にお断りしておきますが、ここの展示物に関しては「館内撮影禁止」であるために何も記録しておりません。内部には特攻隊の命に殉じた年端も行かない若者の絶筆(と言うか、遺書)とその在りし日の姿が、事細かに出撃回数ごとに区切られて展示されている。まあ、引いてみれば施設全体には当然散華思想と言うか賛美系のフィルタがかかっている訳で、バランス感覚的には悪い施設なのだけれどもね。

見れば見るほど、戦局悪化の物資困窮時に急ごしらえで作った精度の悪い戦闘機に、300kgからの爆薬を積んで、わら半紙に定規で書いたような地図だけで沖縄に飛んで行って敵艦に体当たりして「お前ら国のためになれ」と言う計画には無茶がある。のだが、そのような無茶に、平然と対峙していた当時の若者(みんな17歳からハタチそこらだったねえ)の精神性と言うのは…出撃前に美味しそうに恩賜のタバコを吸うヤツもいれば、最後の食事を楽しそうに女学生と食べるヤツもいる。何をしてそこまで心の安寧を保っていられるのかが、今となっては理解しがたいやるせなさがありました。それでも、皆勇ましく「皇国のために」「銃後を案じて」飛び立って行った事、人間の盾となって本土を守ろうと本気で信じていた純粋な気持ちと使命感がしたためられた各々の絶筆を見るに付け、それがどうにもリアルに思えず理解に苦しむ。死に際に当たってにしては恐ろしく達筆な字であり、怖くないのか?辛くないのか?逃げたくないのか?…と思ってしまうのだが。モノの本に寄れば「あれは弱い心の吐露を見せてしまうと示しが付かないから、意図的に上官が書かせたんだ」なんて言う人もいますけどね。
うーん、自分には、昔のような何も情報のない社会で、ハタチもない歳の子が純粋に皇国教育を受けたらそうなってしまうだろうな、と理解する事にした。疑うべきを知らない無垢の青年だったからこその爽快な絶文であったのではと思う。中途にオトナだと、いろいろな事が理解出来過ぎて文章に雑味が出てしまうんじゃないかな。
1,000人を越える特攻に殉じた青年たちの顔、顔、顔。これがまた皆一様に凛々しい。ゲートルを巻き、ゴーグルを付けて、落下傘を十字たすきに巻いた姿。単純に言って「お前らカッコイイ!」と言う感じなんですよ。ちょうど早実のエース齋藤が「ハンカチ王子」なんてアホなニックネーム貰っていたが、そう、みんなあんな感じの齋藤的顔立ちだね。紅顔の美少年と言うか。男と生まれたならば、大空を駆け回る事が全ての子供の憧れだった時代。そんな時代が故の誇りと優越感が表情に滲み出ているように思えた。
艦砲射撃とグラマンの銃撃の嵐の中を、照準を敵艦のみに絞り、翼がもげようが機体が火を噴こうが、ただただ真っ直ぐに操縦桿を握って突入する事。精神一統ならざらん、効果の割に大変な集中力を要する難儀な作戦だろう。自らに対する見返りのなさからも、割に合わないことこの上ないのだが、この顔と目を見たら…
彼らはそれを厭うような事はしなかったでしょうね。
日本人って桜が好きじゃないですか。
瞬間に華麗に咲き誇りはかなく散る姿が、日本人のDNAに強烈に訴えますよ。
物事の是非は置いといて、この精神性は伝え残すべきものでしょうね。

…以上は会館を見ての感想。
実際は、心の安寧を保っていられるはずもなく、鳥浜トメさんの話に残るように、心の中の葛藤はそりゃあ凄まじいものがあったらしい。それが、この特攻平和会館からは余り伝わっては来ない。そう言う風に伝えたいから、そうしているのでしょう。会館の物語はドラマで、トメさんの話がリアルなのかな、と。
沢田研二の歌で「サムライ」ってのがあるんだけど、この歌の世界観が何となくリンクするね。

●桜島へ
どすん、と重いものが胃の腑に落ちたような気分で、結構な山間ワインディングである指宿スカイラインを鹿児島市内へ。桜島フェリーで鹿児島市街から桜島へ渡ってしまおうと言う訳。朝も濃霧で全然その姿を現してくれなかった桜島。開聞岳よりある意味鹿児島のシンボル的な山は、まだその姿を雲の中に隠している。どうも桜島には嫌われてしまったらしいなw。錦江湾を15分の船旅。かなり利用者がいる様子で日中15分ヘッドの24時間運行。しかも日中は2隻連なってのピストン輸送みたいですね。
桜島港到着。一応このフェリーもR224指定されているようですが、道に入るとさっそく無茶な注意書きが火山活動の活発さをアピールしているwどうせいっちゅーねん(笑)。道の間際まで溶岩がゴロゴロ。道の到る所に分厚いコンクリートの防空壕みたいな避難所がある。時刻は夕暮れ時。晴れの天気ならば夕日に映える桜島を眺めつつ一服、と行きたいところだが、何だか空は夕立でも一発来そうな怪しい雲行き。これが不気味にガスに煙る南側からの桜島です。

続く。
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九州サマードライブレポ No.8

2006年09月07日 22時52分29秒 | 日常
(写真:正装)

鉄道シリーズはちょっと休憩。つか、ネタが尽きたw
何の変哲もない浴衣ですが、正装です。
まあ、カンのいい人は何のアレかはすぐ解ると思いますけどね(笑)。

●開聞岳の指定席
開聞岳を見ながら農道を真っ直ぐ走り、国道へ戻りしばらく進むと西大山駅がある。鉄道ファンの最果ての地、北は稚内東は根室、西はたびら平戸口(松浦鉄道)そして最南端はこの西大山駅。厳密に言うと、沖縄県に「ゆいレール」と言うモノレールが出来ているため、軌道系交通機関の最南端はゆいレールの赤嶺駅と言う駅に譲っている。しかし、開聞岳を独り占めする指定席のようなこの駅の風景は、今でも最南端にふさわしい風情と旅情を保っているように思う。
…駅前のイモ畑の真ん中でスプリンクラーがシュンシュンと音を立てて水を撒いている。細いホーム一本の駅のベンチに座って物思う我在り。実家を出てからめっきり連絡も取らなくなった家族の事、あの人の事、ほったらかしの仕事の事、戻ったら立ち向かわなければいけない現実の事
…全て一瞬、面倒くさい事は止めてしまえ。
駅のはじっこに立つ真新しい記念碑の向こうに、秀峰を望む。今、目の前のこの風景に、何の不満も持つ事はなかった。

●丸い開聞を丸く一周
さて、しばし物思いにふけるのだが、さっき朝9時の指宿行きが行ってしまったらしい。次にこの駅に来る列車は、13時半の枕崎行き。夏の日差しの刺すようなホームは、小さな屋根が一つだけで熱の逃げ場がない(笑)。ここでいつまでもボーっとしているのもアリなのかもしれないけど…手元のツリマプには、山の裾をぐるりと回る「開聞岳一周道路」と言う細い道が記されている。とりあえずエンジンのスタートキーを回して、まずは開聞岳を一周してみようと思う。
開聞岳の山麓にある自然公園の入口からその道はスタートするのだが、だが…
何やらのっけからかなりキてるんですがw…何この坑口。雰囲気あり杉。つか、私では用が足らなそうだから川口宏呼んで来ましょうか?(笑)。一応周囲を確認するが、通行止めの標記もなく、廃道でもないらしい。つか、出し忘れてるだけかもしれんけど。
トンネル突入。はいはい不気味不気味(笑)。いや、トンネルの中で外に出るのも怖いんですけど。なんか中途に開いた天穴と垂れ下がるシダ&無機質なコンクリ壁の落書きが雰囲気を盛り上げています(笑)。「もんすたあさぷらいずどゆう」なんてのはなかったが。このネタがわかる人はオッサン認定。どうも地図上では開聞岳山麓公園の下を通るトンネルみたいですけどね。のっけからこんなんが7~800m続く。連続する圧迫感に発狂しそうになるんですが(笑)…
しかし、抜けたときの開放感は素晴らしかった。あの不気味なトンネルはこの風景のための前菜だったのでは?と思わせる開聞岳南麓からの東シナ海は、空と海が混じって溶け合ったような一面のブルースクリーン。南海の果ては水平線すら溶けて混じって定かではないような、そんなベッタベッタのベタなぎの海が広がっておりました。
全くの静寂の海と草むらの中を無心に30分のドライブ。こんな道もあったんだねえ。だからドライブは止められない。

●別アングルから
開聞をぐるっと一周した後は、アングルを変えてみる事に。山の東側の海に突き出た岬は長崎鼻(ながさきばな)と言われていて、開聞岳のビュースポットとして有名である。岬の周囲はちょっとした土産物屋が立ち並び、ブーゲンビリアやフェニックスが植えられた公園になっているこんな感じのいかにもな観光地然とした佇まい。
灯台のある岬に続く階段を降りて、ハマボウフウが生い茂る岩場から開聞岳を望む
…美しい事には変わりないんだけどね。何と言うか、風景として出来過ぎているように思えたりもして、長崎鼻だけにちょっと鼻に付いて来た(笑)。足元でチャプチャプと音を立てる波。この海の色も、東京じゃ出ないよなあ

山川砂むし保養施設
開聞岳を余すところなく目に焼き付けた後、クロスメールでやりとりをしていた東京のKenshin氏から「砂蒸し風呂は指宿より山川の方がいいよ」…あ、あなたに言われたから行くんじゃないんだからね?最初から行くつもりだったんだから!ツンデレウザスwww
まあ、初っ端の画像はこの「砂むし風呂」の入浴のための正装=浴衣だったんですね。簡単だったか。地熱のほこほことした砂の中にうもって汗をかくという原理はいつ誰が始めたのか分からん天然サウナ。浴衣を着て外に出ると、こんな感じで砂浜にビニールのよしずが掛けられており、この下でまあリアル生き埋めになる訳ですw
よしずの下には砂掛けババア×1。控えの野球部員か晩年の浦和での澤井か、砂馴らしのトンボを持って砂地をシャーコシャーコと馴らしている。

「はいお兄さんそこへ首にタオルを巻いて寝転がってくださーい」
あの…僕初体験なんですけど…と言う間もなく、私の手からデジカメが取り上げられ寝かされてシャベルで砂をドカドカドカ!
おい!ちょwwwやめwwww
どこに隠れていたのか、いつの間にか砂掛けババアが4人に増殖しており、そのパワフルかつ熟練のマットテクで骨抜きにされたアタシ(何でここだけ宇能鴻一郎?)、熟女4人に好きなようにもてあそばれちゃったの(はぁと)状態。

「写真、撮りましょか?」
熟女のポラ撮影まであるとは…これは追加料金を払わ(ry
そんなオノレの下らぬ妄想をよそに、観光客の扱いは手馴れたものであるババアはきわめて事務的に作業をこなすのであった。

「撮りますよ~」
はいはい生き埋め生き埋め

感想…砂って重いのなw
あと、顔がかゆくても足がかゆくても身動き取れないというのは辛いですw
ほんの15分でグダグダに汗だくになりましたとさ。

続く。
この一日は長いな。
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九州サマードライブレポ No.7

2006年09月06日 22時47分02秒 | 日常
(写真:最南端の昼下がり)

朝9時に列車が着いてから、13時まで列車が来ない…
指宿枕崎線の山川以西は超ド級の閑散線区だな。
開聞岳の周辺をフラフラして、結局列車が来るまで待っている自分もスキモノだが(笑)。

●100年の歴史
夕飯を終え、風呂にも入り、カメラを引っつかんで外へ出る。
嘉例川(かれいがわ・リンクはウィキ)と言う駅を知っている人はいますか。この何の変哲もないJR肥薩線の小駅は、肥薩線の開業当時である明治36年1月15日に開業した当時のままの姿で残っており、その歴史はおよそ100年。鉄道文化遺産と言うべき非常に貴重な駅でもあります。
時刻はとっぷり日も暮れた午後7時。嘉例川駅は、さかいだ温泉から車でほんの10分程度の場所にある。田舎の駅らしく駅前に玉砂利が引かれた集落の中の小駅が、夜の闇に静かに包まれながら佇んでおりました。白熱球の明かりがぽうと照らす駅名板…うーむ。その佇まいは非常に郷愁を誘う。

駅の中に入ってみる。色褪せた銘木の作り、駅員の消えた出札口には昔を偲ぶ写真が飾られて、花や駅ノートなども置かれておりしっかりと小さな観光名所となっている様子だが、もうこの時間には誰もこの駅から乗る乗客はいないのだろう。駅の外の集落も、ひっそりと窓の隙間から明かりをこぼすのみの静寂である。
ホームに出てみる。いかにも「改札口」と言う形をした木の格子が印象的だ。柱の一本一本、梁の一本一本が頑丈に出来ている。ある程度レストアはされているのだろうけど、時と風に洗われたらしい風合いが出ているように思う。
この路線は、現在こそ肥薩線としてローカル線に成り下がっているが、開業当時はこのルートが「鹿児島本線」であり南国への主要幹線であった。「海回りは列強の艦砲射撃の目標になる」と言う軍の要請で、まずこの人吉経由山回りのルートが敷設され、八代から出水・川内を通って海回りで鹿児島に至る鹿児島本線が建設されたのはだいぶ後なんだそうな…まあ、そんな鹿児島本線も九州新幹線の開業でJRから捨てられてしまっているのだけれど。歴史は流れる。

ホームの隅で三脚を立てて列車を待ってみる。
夕立で列車のダイヤは乱れているらしいのだが、夜の無人駅には案内放送など何もない。それでも集落のはじっこにあるのだろう踏切の「カン・カン」と言う警報機の音が列車の接近を知らせてくれた。おもむろにファインダーの中を覗き込んで、バルブで長時間露光をやってみる。

単行の列車は宵闇の駅に滑り込み、ドアが開く
ファインダーの中を覗いていた自分には、なぜか何も音が聞こえませんでした。

●ふるさとを遠く離れて
翌朝、やっぱり朝5時にこっそりと宿を出る。いよいよ最南端へのアプローチである。溝辺鹿児島空港ICより九州道へ入り、桜島SAで給油。スタンドのおっちゃんに「どこまで行くの?」と声を掛けられる。そう言うナンバーで走っている事が何となく満足でもある(笑)。薩摩吉田ICで降りて鹿児島市内へ。ひどい朝霧で全く視界が利かない。桜島の眺望すらない。この朝に鹿児島と川薩姶良(せんさつあいら)には濃霧警報が出ていた。あ、「川薩姶良」ってのは鹿児島に来て始めて知りましたね。例えば青森の「三八上北(さんぱちかみきた)」とか、こう言う気象上の地域区分にはもの凄く旅情を感じるのだが。
鹿児島市内に突入。西郷どんがお出迎え。そして、リアル神ステージへの誘いなどを眺めつつ(笑)、まずは市内で行ってみたいトコがあったので行ってみる事にしましょう。
※…R58と言うのは鹿児島県鹿児島市から種子島、奄美大島を経て沖縄本島の那覇に至るれっきとした幹線国道で、島と島の間はフェリーで一応繋がっていることになっています。俗に言う「海上国道」ってヤツですね。まあ、R58の海上区間は日本で一番長いでしょう。

●黒歴史を紡いで
鹿児島県営鴨池球場
ロッテの黒歴史を知りたければここへおいで。カネやんが桜島大根をかついで高らかに選手をランニング地獄に落とした鴨池。古川と西村と横田が練習もせずにミス鹿児島ゲットにいそしみまくった鴨池。紅白戦で3本ホームランを打って「桜島打法完成!」と珍しく新聞の記事になった古川がシーズンでは8本しかホームラン打てなかった鴨池。落合がサブローに「30本は堅い」と太鼓判を押した鴨池。バリーが「アラスカより寒い」と言った鴨池。ローズが途中で野球に自信がなくなった鴨池。ああ、思い出すのは黒歴史ばかり。現在の千葉ロッテマリーンズと言うより、ロッテオリオンズのイメージが濃い。要するに暗黒臭にまみれたそんな鴨池球場に、生まれて初めて来てみる。何となく匂いがなつかしいのは、結局私も川崎暗黒礼賛主義者なのか。
ナイター用の照明の柱によじ登ってグラウンドを覗いてみる。あ、左側の一塁側ベンチの横に「LOTTE」の広告がありますねw

●いざ、南国の陽光へ
個人的には暗黒臭を嗅いでおおいに満足(笑)したので、さらに南へ車を走らせる。余計な寄り道をしたせいで鹿児島市内の朝のラッシュにガッツリつかまり、なかなか車が前に進んでいかない。燃費もみるみる下がって行く。ガソリン高騰の折、一本くらいはボトルキープさせていただきたい喜入の国家石油備蓄基地(笑)なぞを右手に見ながら、車は指宿市街へ。無駄に植えられたフェニックスが南国をアピール。

●南海の秀峰を目指して
今回の旅の目的…まあ、九州を愛車で走る事がまず目標だったのだけれど、じゃあどこまで行くのよと言うランドマークを設定するに当たって、ピンと閃いたのがとある山の存在。それが、薩摩半島の最南端に当たる「開聞岳(かいもんだけ)」であります。
開聞岳は、山としては924mの小規模の山ではあるんですが、「薩摩富士」と言われるその山容の美しさ…特に夕日の開聞岳は、昔何かの写真集で見た事があるのだけれど、息を呑むほどのものであった事を強烈に記憶している。
そして、等高線でこの山の形を見てみて欲しい。「誰ですかここにバームクーヘン置いたのは?」と思わずにいられない、実に不思議な山の形をしているのである。くじゅうも、阿蘇も、霧島も、その道中の色々な景色もとりあえず素晴らしかったのだけれど、締めにはそれに相応しい風景をこの目に焼き付けて、そこから引き返そう…、と、そう思ってここまで車を走らせて来た。

指宿の市街を抜けると、山川町。もう開聞岳まで僅かの距離なのだが、まだ山は見えない。山川の漁港を抜け、開聞の台地に上がる坂道を登ると、ぽかんと視界が開ける。イモ畑の真ん中を真っ直ぐに農道が続いて、そして視界の左手にあの山が飛び込んで来た。

開聞岳キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!!

南国の朝の日差しを浴びて、すっくと立ったその山の形の秀麗な事。
専門用語で言うと「円錐火山」なんだけど、そんな言葉では無粋過ぎる裾野の広がりの美しさ。
上から見るとバウムクーヘンだが、横から見ると甘食パンのようでもあるw

結構、今年一番の感動でした。

続く。
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九州サマードライブレポ No.6

2006年09月03日 15時45分01秒 | 日常
(写真:特急はやとの風4号)

JR九州にまだ残るDC特急が隼人路を駆ける。
最近まで「急行えびの」とか「急行くまがわ」とかが駆け回っていた気動車王国の南九州に、人吉~鹿児島間の短い距離ではありますが、その面影を残しています。
こげ茶色の被写体は撮るの難しいなあ…

●今日のお宿
阿蘇の山を越えて南阿蘇盆地に降り、白川水源などを見学しようと思ったのだが、暑くて体力を消耗したのか猛烈に疲れが出て来た。一枚南阿蘇鉄道の写真を撮影した後、早々に今晩の宿・地獄温泉清風荘へ。午後3時に宿へ入り、早々に部屋で扇風機をかけて昼寝を決め込む。2時間程度の昼寝で体力回復。南阿蘇の山腹にある宿は、起きるとすっかり夕暮れ時。下駄を突っかけて外へ出ると、西の空には物凄い色の火の山の夕暮れでした。
今回の旅行の中で、この日だけが夕食付き。自炊は苦にしないが、それでも上げ膳据え膳は楽だわなあ。一泊7,500円の宿なのに担当の仲居さん付き。間仕切りの付いた食事所でキジ鍋なんぞの夕食をつついたりしてみるのだが、キジの肉は固くて食えたもんではなかったw。フツーの鶏肉でいいよ。
食後はこの宿の名物である「すずめの湯」と言う露天風呂でマターリ。湯の底からプチプチと気泡混じりに湧いてくるお湯のはじける音が、チュンチュンとスズメのさえずりに聞こえるからなんだとか。まあ、言われてみりゃそーとも聞こえるね…すっかり帳が降りた清風荘の夜。酒を飲む事もなく早々に熟睡。明日も早い。

●カルデラの朝
早々に就寝してしまうと、早々に起きてしまうのが自分の体(笑)。翌朝はバッチリ5時起き。前日に夕立があり、グッと夜に温度が下がった状況は雲海が出るには絶好の気象状況と睨む。車を少し走らせて登山道の中腹に登ってみると、果たせるかな予想通りに外輪山と阿蘇の山の間にはきれいに雲海が出ていた

●いざ、南九州
バイキングの朝飯を早々にかっ込み精算。阿蘇の山を駆け下りて熊本r28阿蘇高森線で益城熊本空港ICへ急ぐ。何としても朝割タイムにETCレーンを通過したい。7:45に宿を出て、8:40にレーンに滑り込んだ。ここからはしばし九州道。宮原SAにて給油を行い、肥後トンネルを通過して一気に南九州へ。

●鉄も、車も
益城熊本空港ICから朝割の100km圏内だと最遠ではえびのICまで走れるのであるが、まともに走るのもつまらないので一つ手前の人吉ICで降りる。どうでもいいが人吉ICを出たところの青看板は情報量詰め込みすぎだと思いますwかえって混乱するっちゅーの。
人吉市街を抜けて道はR221へ。並行するのはJR肥薩線。人吉市とえびの市の間に横たわる矢岳の山並み。この区間の肥薩線は、大畑(おこば)ループ線を含める通称「矢岳越え」と言われていて、日本三大車窓風景の一つらしい。あと二つはどこなんだと言われると知らないのだが(笑)。
で、道路の方にはサミットの堀切峠を挟んで人吉側が人吉ループ橋、えびの側が加久藤ループ(トンネルループ・画像なし)があり、道と鉄道がともにループ線で越えて行く交通の難所でもある。標高はそれほど高くないのだが、かなり急峻な山並み。道路は高速道路を通過出来ない特殊車両が多く、スピードはなかなか上がらない道でもありました。

●最後の山越え
車は加久藤トンネルを越えてえびの盆地へ。堀切峠を下る頃から車窓には霧島の山々が見えて来る。由布岳、くじゅう連山、阿蘇と九州中央部の火山帯をクリアして来たが、これが最後の山。「みやまきりしまロード」と言う広域農道で山の裾野に取り付くと、いよいよその山容もくっきりと見えて来る。右が韓国岳(からくにだけ)、左が新燃岳(しんもえだけ)。話は飛ぶが、自分が競馬始めた頃の小倉競馬の芝1000mレコード(旧3歳)を持っていたのがシンモエダケ。成績見たら結構強いやん。

●えびのスカイライン
宮崎県小林市~鹿児島県霧島市までの霧島山系横断ルート。くじゅうや阿蘇の道とは違い、森林に囲まれたタイトコーナーが続くので意外に眺望がない。走りに集中と言う感じでコーナーを攻める。見所はスカイライン最高所付近の出口池くらいでしょうか。火山性の硫酸の強い水に鉱物が溶けた見事なコバルトブルー。ってーか、昔の国電常磐線(上野~取手)の色だね(笑)。それと、賽の河原くらいかな。つか、この手の風景は山岳系スカイラインではそんなに珍しいもんじゃないような…くじゅう阿蘇の印象が強かったのと、ちょうど山越えの時に曇ってしまったのが良くなかったのでしょう。ただ、ドライブルートとしては、やまなみを横綱クラスとすればやっぱり「霧島は大関止まり」って感じがw。車を走らせているとこんな看板がやっぱり霧島は大関止まりだった事を裏付けてくれる(笑)。嘘でも横綱って言っとけよ。

●そんなこんなで
北側から霧島山系を登り切るととうとう鹿児島県。よくぞここまで。結構感慨深いものが。車も下り坂に勢いが付いて、一気に霧島南麓を駆け下りる。それにしても新湯・栄之尾・明礬・地獄谷・丸尾・湯之谷・関平・祝橋…とホント温泉街道ですね。このあたりは。
道はR223に代わり、今日の宿泊場所である新川渓谷温泉郷へ入って行く。せっかくだからどこかでひとっ風呂、と言う事でこの付近では屈指の高級旅館に泊ま…るにはカネがないから立ち寄りで高級感を味わってみる。立ち寄ったのは「妙見石原荘」。フツーに泊まるとお一人様25,000円からだとさ(笑)。今回の旅の総宿泊費より高けーじゃねーかw。つか、車で入っていったら車番が、玄関から入ってったら下足番がいちいち慇懃に応接してくれるのが異様に落ち着かない。放置プレイが大好きなの。私。
まあ、それでもさすが高級旅館、天降川の渓流に面した露天風呂は素晴らしかったっす。文句言ったけど接客も全然嫌味がないしねえ。これが高級ってもんなのか。

●身分相応
プチブルな気分を味わって、本日のお宿「さかいだ温泉」へ。妙見石原荘から車で3分の間では気分が切り替わるはずもなく、思わず自分を納得させるために「ね、ねだんのもんだいじゃないんだからねっ!」とリアルツンデレ気分になる素朴な佇まいです(笑)。いや、値段の問題です。ハイ。こちら一泊3,000円です。つか、ツンデレの「デレ」の部分がないな(笑)。しっかし看板もねーし見た目がどう見ても共同住宅だし、最初は目の前を素通りしてしまいましたよw。受付で名前も電話番号も聞かれませんでしたw信頼されているのか何なのか。まあ、常連しか泊まらない湯治宿では良くある事なので気にしないのだが。

宿に荷物をぶち込んで、車が軽くなったところで周辺散策。
天降川(あもりがわ)の渓谷美を眺めたり、「はやとの風」を撮りに行ったり、夕飯のおかずの買出しをしに行ったりしながらバタバタとしていると、あっという間に夕方になってしまいました。

続く。
コメント
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