青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ちょっとワンブレイク

2010年03月18日 06時55分57秒 | 日常

(画像:事後購入)

えー、一週間以上に亘って同じ話題を続けていますので、もう飽きたとかいい加減話題を変えてくれとかそう言う声もあるかもしれませんが、もう少しお付き合いください(笑)。
と言うか、実質一泊二日でここまで引っ張るとは結構粘着質だよな>自分

どこかへ…まあどこでもいいんですが、だいたいの人は出掛ける前にネットで調べたりガイドを読んだりしてその行き先の情報を集めるものですよね。しかしながら、自分的には帰った後のアフターフォローと言うか、予習復習の部分で言うと「復習」の部分が大事なんじゃないかと思う訳です。ってこれは自己満足の部分だから、みんなにそうしろって訳ではないんですが(笑)。

帰ってから自分の行った場所、通ったルートをもう一度振り返ると、意外に見落としてた事や、旅先で見かけた「?」が「!」に変化してったりして、自分の中にその地域の風土であったり歴史であったりがよりいっそう染み込んでいくように思えるのだがいかに。

と言う訳で、帰ってからこんな本を買ってしまった。「熊本産業遺産研究会」ってトコが作った本だからあんまり一般書店では扱ってないと思うんだけど、さすがジュンク堂藤沢店って感じでしょうか(笑)。いかにも発行部数の少ない本のようなんで値段は2,100円とそれなりですが、行ってから読むと実に興味深い本で、頭の中の「?」をどんどん「!」に変えてくれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥薩にきっと、ほほえみを

2010年03月16日 18時00分00秒 | 日常

(画像:玄関)

「旅館伊藤」の玄関。
典型的な…と言っては失礼かもしれませんが、スタンダードな和風旅館でした。
特に目新しいものはなくても、トイレはきれいだったし、周辺の環境は静かだったし…
落ち着いた雰囲気の、すごく一人旅向きの旅館だと思います。
食事も広間じゃなくて別室だったしね。

翌朝は5時に起きて、旅館の前の道を矢岳高原へ向けて登る。
最近夜明けは早くなってきたとはいえ、朝5時はさすがにまだ真っ暗。
灯り一つない真っ暗の山道を車のハイビームを頼りに上って行ったのだが、
途中で野ウサギやカモシカが路上に出て来るのが怖い(笑)。
ライトがヤツらの目に反射してピカピカ光るのも怖いw

矢岳高原ベルトンオートキャンプ場からの展望。
時刻は朝6時、若干空も明るくなって来た。
条件はISO200、絞りF8で30秒露光。
夜明けの雰囲気を出したくてホワイトバランスを調整してます。
正面の霧島連山は雲の中ですが、川内川にかかる橋の灯りとえびの市の夜景を一望。
真ん中を貫くのが九州自動車道で、左側が加久藤トンネル方面。

 

ひとしきり撮影を楽しんで一時間ほど経つと、山を隠していた雲が下に降りて行く。
えびの盆地は雲海の中に入り、霧島連山が姿を現した。
吉松方面はとっぷりと霧に隠れ、山並みがあたかも霧に浮かぶ島々のように見える。
あ~、霧に浮かぶ島のように見えるから霧島なんだね。なるほど。

  

吉田温泉の朝。
吉田温泉のある昌明寺の集落は、南側に開けた里山の風景が続く。
山霧に朝陽がほのかに射すと、昨夜の雨に水を湛えた田園が朱色に染まる。
後ろは矢岳の山に向かって段々に棚田が伸びている。
まだ田植えには早いのだが、青苗の頃に来れば素晴らしい景色になっているんだろう。

棚田を見守る「田の神さぁ(たのかんさぁ)」と呼ばれる道祖神。
鹿児島県から宮崎県の西部に多い、農村信仰の一つだそうだ。
「田の神は冬は山の神となり、春は里に降りて田の神となって田を守り、豊作の神様として信じられて来ました」
(えびの市ガイドブックより)
古くより霧島の噴火に悩まされた農民が、豊作を願って作り始めたものなんだって。
 どの田の神さぁもこんな感じの、適当に緩い感じのいでたちをしている。
あんまり石像に色を付けると威厳がなくなるように思えるのは気のせいか(笑)。
いかにもみうらじゅんとか「ワンダーJAPAN」あたりが好みそうなフォルムだと思うがいかに。

朝食を頂き宿を辞す。
別れ際に、今朝がたの矢岳高原からの雲海について話題に。
そりゃあ朝の5時から宿の玄関を開けて出て行くなんて何があったのかと思うよなw
申し訳ありませんでした(笑)。
「我々も見よう見ようと思うんですけど、なかなか時間がないですね」
一泊ゆっくり貸切で、お代は8,000円でした。

  

今日は昼までに宮崎空港へ戻ればいいんで、まずはのんびりと朝湯を楽しむこととする。
この宮崎県から鹿児島県にかけての県境付近は、どこを掘っても温泉が出るようだ。
国道268号線沿いはそれこそ温泉街道で、冗談じゃなく200mに1軒くらいのペースで温泉がある。
そのうちの一つがこの鶴丸温泉。
吉都線の鶴丸駅から徒歩30秒の好立地は、これからの時期18きっぱーにもオススメでしょう。
鹿児島県にはテイエム温泉もあれば、ツルマル温泉もあるのですね。

鶴丸温泉は、名前の通りに濃い茶色をしたツルツルの温泉が丸い湯船に引かれている。
常連同士が朝の挨拶と情報交換。
飛び交うお国言葉は、何言ってるか正直全く分からないがな(笑)。
だいたいの語尾に「~じゃ」とか「~っちょが」とか付いてるのが分かるくらいで。
話は分からなくても、「旅をしている」と言う非日常のアウェイ感が感じられていいものだ。
海外に行かなくても味わえる異国情緒だよなw

北の青森、南の鹿児島。
どちらも都から遠く離れた場所だが、
リーズナブルな街の温泉銭湯の充実と、そこに形成された温泉文化には共通点がある。
この鶴丸温泉も入浴料はたったの200円。
しかも最近350円から値下げをしたらしい…
儲け出るのか??

山はまだきの 春なれど 里は柳の 青めるを
ローカル気動車 薩摩路を トコトコ渡る 川内川

栗野~吉松間の川内川橋梁。
柔らかに柳が青く芽吹き始める様を詠んだのは、北上川を見た石川啄木でしたっけね。
 青める柳と川内川と、詠み人は私。

吉松駅近くの線路際をフラフラしていたら見付けた「田の神さぁ」。
豊作の神様らしく、しゃもじとご飯茶碗を持って微笑んでいるのが分かります?
「シキ(甑)を被り、右手にメシゲ、左手にはお椀」と言うのが、
えびの市や湧水町周辺の田の神さぁのスタイルなんだとか。
あ、こっちの方ではしゃもじを「メシゲ」と言うらしいです。

田の神さぁの横を、吉都線の都城行きが走って行きます。
田の神さぁが願うのは、きっと今年も豊かな実り。
おあとがよろしいようなよろしくないような、肥薩日向の境旅です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の雨に打たれて

2010年03月15日 18時00分00秒 | 日常

(画像:吉田温泉入口)

「いさぶろう4号」で吉松駅に戻り、今宵の宿へ向かう。
ちょっと時間は早いのだが、今日は朝が早かったものでねえ。
吉都線の京町温泉駅から北へ3km、吉田温泉と言うところに今日は投宿。
開湯天文23年(1554年)と言う、宮崎県最古の温泉場である。

 

田んぼの中の田舎道を行った先にあったのは、温泉場…と言うにはあまりにも小ぢんまりとした集落。
「亀の湯温泉」と言う公衆浴場で、ここが温泉場だと分かるくらいのささやかな規模だ。
そんな吉田温泉唯一の旅館である「旅館伊藤」さんに今日はお世話になる事に。
年配の方が経営されているのかと勝手に思っていたが、迎えてくれたのは40代くらいのご夫婦。
早速部屋に通されると既に布団は敷かれ、コタツが入っていた。
荷を解き卓上のお茶セットでお茶を淹れ、ゴロンと布団で横になってみる。
今回は久々の一人旅。
久々過ぎて前がいつなのかも覚えてないんだが…
旅館の天井を見上げながら思ったのは、ホントに一人の時間ってのは貴重なものですねって事(笑)。
前はそれこそ腐るほどあったんだけどさw

一休みしてからひとっ風呂。
湯量が少ない温泉だそうで、温泉街の規模同様風呂も小ぢんまりしていたが、
鉄の香りを強く含んだ透明のお湯が、疲れた体に染みわたるようです。
大人二人で一杯になる大きさなんで、本来は部屋ごとに代わりばんこらしいのだが、なにぶん平日。
今晩の泊まりは私だけみたいなんで、気兼ねなくお湯を使わせてもらいます。

 めしを食っても一人。
夕食には、宮崎らしく地鶏や鹿肉の刺身、陶板焼きや川魚の塩焼きが並ぶ。
頭ごと焼いたうなぎのかば焼きが濃厚にうなぎ臭くて美味かった(笑)。
元々この周辺は「真幸米」と言われる良質な米が作られていた場所らしく、
この旅館のお米は、今でも周辺の棚田で自家栽培しているものだそうな。
ご主人も「ウチはお米が評判で」とアピールしておられました。

宿に着く頃からポツリポツリ降り出した雨が、夕方から本降りになった。
夕食を終え、それでもカメラを持って宿を出る私。
この旅館のある昌明寺集落から車で10分程度の位置に、日中訪れた真幸駅がある。
最終列車を狙って、ちょっとバルブ撮影でもしようかなあって思ってね。
3年前に九州まで車で行った時も、夜の嘉例川駅でバルブやったんだけど、
肥薩線の古い駅舎は、夜に撮ると昼間よりもさらに雰囲気出るんじゃないかなあって感じてました。
そのために家から重い思いをして三脚も持って来ましたからw

  

雨は激しさを増す中、闇夜に浮かび上がる真幸駅。
予想通りと言ってはなんだが、ナトリウム灯の明かりに照らされた駅の雰囲気は実に幻想的。
雨音以外何の物音もせず、駅以外に何の明かりもない、山間の峠道の小駅。
待合室に並べられた椅子や机は、付近の小学校のものなのだろうか。

最終の吉松行きが、雨を衝いてやって来た。
昼間は列車の着くたびにホームの鐘の音が響いた真幸駅も、今は雨音だけが響き渡る。
行く先を照らす最終列車のヘッドライトが、叩きつける雨を照らして光る。
誰も乗り降りする人のいないホーム。
運転手が車内で運転席を移動すると、短い汽笛だけを一発鳴らして最終列車のドアが閉まる。

去って行く列車を駅舎越しに眺める。
どんどん強くなる雨。雨が激し過ぎてレンズに水滴が付着してしまったのだが、
そのままシャッターを切ったらプリズムみたいに妙な味に(笑)。
漆黒の闇の中を、列車の光の帯は放物線のようなカーブを描いて、吉松に向けて下って行きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥後の結び輪・半周り

2010年03月14日 18時00分00秒 | 日常

(画像:きょうはえんそく)

吉松駅から乗り合わせた遠足の幼稚園児御一行様。
撮って撮って!とせがまれたので一枚。
最近は肖像権だとか個人情報だとかうるさいんで一定の配慮をw
いい笑顔だったんで普通に乗せたいんだけどねえ。
正直どこの幼稚園の子か分からんのだが、希望すればプリントして送ります(笑)。

矢岳第一トンネルの人吉側坑口が山線のサミット。
サミットを抜けて一転下り勾配になった列車は、春の香りほのかな雑木林の中を快走。
エンジンの音も、ジョイントを叩く音もリズミカルに滑って行きます。
付近は大野渓谷と言う人吉の紅葉の景勝地だそうだが、車窓からは見えず。

大野第四、第三、第二、第一と四つの連続トンネルを逆順でくぐり抜けると、
列車は次の大畑駅を俯瞰するポイントで停車しました。
目指す大畑駅はループ線の途中にあるスイッチバック駅。
「ループ線+スイッチバック」と言う鉄道の希少要素を贅沢に二つも持っている、全国唯一の駅でもあります。
この俯瞰位置は、ちょうどループの輪っかの交差点付近に当たるのかな。
国土地理院の2万5千分の1地形図を見ると、ループ線の構造がお分かり頂けるかと。
と同時に、この地形図だけでご飯3杯くらい行けると思うんですがどうでしょうか(笑)。

 

山腹に付けられた大築堤のループ線を、ぐんぐんと右カーブして大畑駅へ降りて行く。
地図で見るとループ線の交点で上が標高335m、下が標高285m程度かな。
旋回一発で約50mの高度を稼ぐ訳だ。
前方に見える大谷トンネルを出ると、まずは大畑駅の引き上げ線に入り、そこから後進して大畑駅に入って行く。
駅への進入は、進行方向と逆向きになる訳だね。

駅のホームから見た、大畑駅のスイッチバック配線。
同じスイッチバック駅でも篠ノ井線の姨捨駅みたいに通過線を備えてはおらず、
この駅はどの列車も一回は引き上げ線と大畑駅のホームに入らなくてはならない。
山中の平地部分を切り開いて作った駅ですから、通過線を作るスペースがなかったんでしょうねえ。

  

列車は次の人吉まで向かうのだが、大畑駅で列車を降りる。
人吉の折り返し時間があまりなかったんで、一個前の大畑駅で降りて返しの「いさぶろう4号」を迎え撃とうと言う訳だ。
これなら、この駅で昼食を兼ねて約50分の滞在時間が持てる。
この駅でも停車時間を取って見学タイムはあるのだが、自分は荷物をまとめて園児とお別れ。
「しんぺい2号」が大畑駅を離れ、ループの残り半周を人吉に向けて下る。

  

肥薩線・大畑駅。
ここまでの真幸駅も矢岳駅も木造平屋の激シブな駅舎ではありましたが、ここもご多分に漏れず。
この駅の標高は294m、矢岳駅からは180mほど下って来た事になる。
駅舎の中は閉じられた改札口があり、待合室の部分には夥しい数の名刺が張ってある。
この駅を訪れた人が残して行ったものらしいが、なんか旧広尾線の幸福駅みたいだね。
ホームには「蓮華水盤」と呼ばれる噴水状の手水鉢があり、
蒸気の時代は人吉からあえぎあえぎ登って来た機関士や乗客が、煤落としと喉の渇きを癒していた。
離れた場所の山の湧水を引いたこの手水鉢。
開業当時は「九州一の洗面器」と新聞に紹介され、肥薩線の名物の一つだったそうだ。

人もそうだが、蒸気機関車にとっても水は大事なもの。
人吉で溢れんばかりに給水しても、断続的な登り勾配で大量の水と石炭を消費した機関車は、ここ大畑で再度給水を行う必要があった。
この石造りの塔は当時の給水施設の土台部分で、この上に鉄製の巨大タンクを置いて機関車に給水を行っていたそうだ。
一説によると矢岳越え一回で約1トンの石炭を消費したらしいのだが、凄い量だよな。
人吉~吉松の肥薩山線部分は、連続勾配と断続的なトンネルが続き、苛酷な運行を強いられる区間。
この区間を受け持った人吉機関区の中でも、山線は腕利きのベテラン、俗に「甲組」と呼ばれるエリート機関士達が担当しており、
機関区の中でも一番いい蒸気機関車と一番いい石炭が与えられていたそうだ。

時間はお昼を少し過ぎた頃合い。
吉松駅前「たまり」謹製の駅弁で昼食。
時刻表にも載ってますが、正式名称が「御弁当」と言う駅弁です(笑)。
何の飾り気もない幕の内風の弁当ですがね。
味付けのやたらと甘じょっぱいのが九州風味です。

弁当も食い終わり、駅のベンチに腰掛けつつホームの手水鉢を眺めて過ごす。
線路脇には菜の花もポツリポツリ咲き始め、南九州にもそろそろ春の気配。
大畑駅のホームの脇には桜の古木が並んでおり、あとひと月もしないうちに花見の駅となりましょう。

春の山を渡るぬるい空気にうらうらとしていると、あっという間に帰りの時間。
キハのエンジン音が人吉方から聞こえて、手水鉢のホームに「いさぶろう4号」が入って来ました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天下睥睨の地

2010年03月13日 18時00分00秒 | 日常

(画像:愉悦の時間)

肥薩線の「山線」と言われる吉松~人吉間のガイドを肴に。
あ、一応レンタカーなんでアルコールは飲めませんけど…
車内販売のビール、飲みたかったなあ(笑)。
平日の昼間って、むしょうに飲みたくなりません?

肥薩線山線区間にはいくつものハイライトがありますが、
その最たるものは「日本三大車窓」と言われる矢岳越えの展望の良さでしょう。
日本三大車窓と言えば北海道の狩勝峠、長野の姨捨、そしてこの矢岳越えなんですが、
一応狩勝峠も見た事あるし、姨捨には何回も行ってるしで、これでフルコンプとなる訳です。
真幸駅を出てから勾配はさらに厳しさを増し、1000分の30をフルパワーで登り詰める「しんぺい2号」。
後平、中竹、踵蔓(かがつる)の三つのトンネルを抜けると、矢岳山の南側中腹に登りストレートが開けて、そこが展望地。

 

これが(私的には)最後の日本三大車窓、矢岳越えの景観です。
列車はこの展望地で一時停止。

♪肥後と日向の境なる 矢岳トンネル出でこれば 
雲居に望む霧島の 峰は神代のままにして
(鉄道唱歌51番)
 
眼下に広がるえびの盆地、盆地をたゆたう川内川。
向正面には左から高千穂峰、新燃岳、韓国岳の霧島連山!
…と、大仰には語ってみたものの、やっぱ展望モノって天気次第の採点競技ですよねw
韓国岳が見えるから、GOEは高いはずなんだけど(笑)。
曇天なら曇天でしょうがないんだけど、春霞と言うか空気もモヤっぽいしね。
若干視界の中で樹木がうざったいのだが、恐らく「日本三大」に選ばれた頃と比べて木が伸びてるんじゃないかなあと。
ま、それでも広がりのある風景である事には間違いはない訳ですけど。
晴れた日には右手奥に桜島、空気が澄めば開聞岳まで見える天下睥睨の地なんだって。
これは晴れの日にもう一度真価を問いたいところですねえ。
いつ来るんだかわからんがw

日本三大車窓を眺め、列車は矢岳越えのサミットを為す「矢岳第一トンネル(全長2096.17m)」に入る。
(写真は人吉側坑口)
ドラクエのお城を思わせる立派なレンガアーチの坑門を持つこのトンネルは、肥薩線の全通と同じ明治42年に開通した訳ですが、
明治の時代に2000m級のトンネルを開通させるのって結構凄い事ですよね。

このトンネルにより、青森から鹿児島までの鉄道網(関門海峡は航路)が完成の運びを見るんですが、
そう言う意味でもこのトンネルのもたらすものは大きく、当時の最新技術を投入し国策に近い形で建設が進められたそうな。
トンネルの坑口には双方とも扁額が掲げられていて、
人吉側には着工時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫による
「天嶮若夷」
(てんけんじゃくい…天下の難所を平地のように越える事が出来る)
吉松側には完工時の鉄道院総裁・後藤新平の揮毫による
「引重到遠」
(いんじゅうちえん…重い荷物でも、列車で引いて遠くへ運ぶ事が出来る)
と言う明治の偉人の熱いメッセージが彫り込まれているのである。

で、その矢岳第一トンネルに掲げられた扁額。
山縣伊三郎の扁額に向かって(=吉松方面)走るのが「いさぶろう号」
後藤新平の扁額
に向かって(=人吉方面)走るのが「しんぺい号」
と言うこの区間を走る列車のネーミングの由来なんでありますね。
改めてこれはよく考えられた名前だなあと感じ入った次第。
「本当に鉄道が好きな人」じゃなきゃ付けられない名前だと思うんだが。
これで下手に一般公募なんかしたら「西郷どん号」「お龍さん号」程度で終わっちゃったような気がするんだがねえ(笑)。

  

矢岳第一トンネルにて肥後の国に入り、最初の駅である矢岳駅に到着。
ここは標高536.9mと肥薩線の駅の中では一番標高の高い場所にある。
吉松駅が標高210mくらいだから、かなり登って来ました。
日本三大車窓を見てから熊本側に戻ると、何ともひっそりした谷のどん詰まりにあるような駅だが、
昭和30年代頃は、付近の山から伐採された木材の集積地として賑わったらしい。
その昔日の栄華を知る渋い風合いの駅舎は、今は山あいのひっそり感を身に纏い実にいい感じだ。

矢岳駅でも停車時間を取って、ホームの脇にある「人吉市SL展示館」を見学させてくれる。
アテンダントの二人も下車し、乗客の記念撮影のリクエストに順番に応じている。
駅舎のベンチに腰掛ける人、山間の空気を吸ってタバコに火を付ける人、それぞれのフリータイム。

以前はここには2台のSLが保存されていたそうだが、今はD51170号機が1台のみで静かに余生を送っている。
重油併用の燃焼装置と帽子のような特殊な集煙装置を装備した肥薩山線仕様。
恐らくSL全盛時にはバリバリの現役世代であったであろう老夫婦が、懐かしそうにSLを眺めていた。

隣にいたSLは通称「ハチロク」と呼ばれた8620型58654号。
今は「SL人吉」の先頭に立ち、今年も3月6日より肥薩の川線を元気に走っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする