(その石積みに歴史を辿る@新旧戸草トンネル)
信越本線の牟礼~古間間に残る遺構。右側の旧戸草トンネルは、トンネルの断面が小さすぎるために信越本線の電化に伴い付け替えられ、並行して掘られた新線にその座を譲りました。旧トンネルは今でも古間駅から戸草の集落へ向かう道路の一部として活用されておりますが、この区間の開通は明治21年とかなり古く、旧戸草トンネルは130年弱の歴史を刻みながら今にその姿を残している貴重な明治の生き証人。この区間から信越本線の名が消える春に、何を思うのでしょうか。
戸倉上山田温泉のビジホで一夜を明かした後、朝一番は妙高2号を豊野の築堤に撮りに行こうか…などと考えていたのだが、お空は今にも泣きだしそうなどん曇り。これでは露出的にキビしいだろって事で大人しく速度の出ない長野駅での駅撮りにしてしまった。ほんでもってまた駅のホームで駅ソバを食ってしまった(笑)。正直昨日の東口で食ったソバの方が美味かったですけど、冷え切ったホームで湯気をかき分けながら啜る暖かいソバの有り難味というものも鉄道情緒なのかもしれません。
とりあえず長野駅前から車を出し、信越国境方面に向けて車を走らせてみる。長野大通り→SBC通り→北国街道を抜け、牟礼駅前へ。小ぶりながらも風格ある堂々とした木製の駅舎は実にいい雰囲気で、三角屋根の車寄せといい、屋根上に付いた小さな望楼といい、思わず見惚れてしまう優良物件。長野駅からバスも走っているようで、駅前には長電バスが止まっていました。
駅近くの牟礼病院に続く道から築堤の線路を眺めると、長野市街と比べてだいぶ雪深くなっているのが分かります。厚い雲が空を覆い、何だかうら淋しい空気感の中を115系の直江津行きが走って行く。厳しい気候条件の中を走り続けて、遠目にも車体の煤け具合が見て取れるのですが、経営分離後は新潟県側の新会社に新潟車セのE127系が入って来るそうで、115系の出番もさらに減少していくものと思われます。国鉄車両らしい大きめのモーター音が雪原にこだますると、再びの静寂。
牟礼から農道を使って大回りし、妙高1号は戸草で。信越山線でもそれなりに有名な撮影ポイントですんで既に先客多数…集落の小道沿いの雪山に登って撮影する極めて悪いコンディションになるのだが、慎重に緩んだ雪を固めて足場作り。戸隠山に源を発する鳥居川の流れに沿って、予定通りにN101編成の妙高1号が戸草のカーブを駆け抜けて行きます。
JR東日本新潟支社が企画した「ありがとう信越線号」は黒姫~妙高高原間の信越大橋俯瞰で。どうしても一人で回るとメジャーな撮影どころばかりになってしまうのだが、ここは橋のたもとに駐車スペースもあるし撮影キャパもハンパない好立地。カメラをセットして列車を待つも、橋の下から吹き上げて来る風が物凄く強くて寒く、おまけに雨まで降って来た。臨時列車の前走りになる343M直江津行き。
「ありがとう信越線号」は昨日団臨に使われたN102編成での運行。ちなみにこの信越大橋の下が長野県と新潟県の県境であり、池尻川と関川の合流点を一気に渡っている文字通りの国境の大橋。橋の長さは約900mと土木構造物としては巨大なもので、それだけにその橋上からの風景は雄大。これで天気が良ければ…と思わなくもないのだが、みぞれ交じりの寒々しい信越国境の風景もそれはそれで風流なもの。水墨画の世界に溶け込むように、あさま色が国境の隘路を下って行く。
大橋の反対側に移り、今度は定期の妙高4号。バックにこんもりと聳えるのは袴岳(1,135m)、北信五岳の一つである斑尾山に連なる山です。春まだ浅い峠道、漆黒の関川の流れを頼りに、国鉄色の特急車が踏みしめるように登って行く姿…かつては特急あさまの他にも489系ボンネットの特急白山、客車急行能登、越前、電車急行妙高、DC急行赤倉と、思いつく限りの様々な列車がこの道を通る大動脈でした。
国鉄型の特急車を使った妙高号は、そんな時代の残滓と言える存在として上越市と長野市の都市間連絡の任を受けて走り続けましたが、そんな日々も北陸新幹線の開業とともに終わります。新会社への移管後は、長野県側と新潟県側の両会社により系統としても完全に妙高高原で分断されてしまうそうで、それも寂しい話だね。