青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

Where is Summer?

2017年08月11日 14時00分36秒 | 三岐鉄道・北勢線

(いつかの夏の三岐鉄道@丹生川付近だと思う)

世間様と同様に今日からお盆休みなのですが、こと東日本は梅雨明け以降全くもって天気が悪い。天気図を見てもこの時期に頑張んなきゃいけない太平洋高気圧に今年は全くヤル気がなく、日本のはるか南東の海上を彷徨ったまま近付くそぶりも見せないという体たらく。逆にオホーツク海高気圧が強いので、オホーツク海高気圧の縁を回って来る北東気流の影響をまともに受ける東日本の太平洋岸は冷たい空気によって常時雲が湧く状態です。


今日の昼時点での天気図。日本列島どっぷり低気圧の通り道。太平洋高気圧がいないのをいい事に気流も流れないで低気圧がほぼ停滞する地獄。太平洋高気圧さんは天気図にも出て来ない所を見ると、日本の夏を持ってどこかへ逃げてしまったようです。気象庁が一か月予報を出しましたが、今年の夏はこんな感じで秋の長雨シーズンに突入してしまうようです。東日本の日照不足はそのままコメの作柄へも影響してくる可能性がありますので、農業従事者も心配だろうけど折角の夏休みにクソ天気で何も出来ないでいる自分も心配(笑)。ストレスたまるわあ。
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スパゲティの向こうの平和

2017年08月06日 07時00分00秒 | 中央東線

(裏高尾から仰ぐ@高尾山)

慰霊碑の袂から高尾山方面を望む。現在高尾山の真下を圏央道の高尾山トンネルが貫いています。そういやこのトンネルを掘るに当たっては「高尾山は薬王院の信仰も篤い天狗様のお山、そのどてっぱらにトンネルを掘るとは何事じゃ!」みたいな意見やら環境アセスの問題やらあって結構揉めていた記憶がある。まあ神奈川県民からしてみたら開通によってめっちゃ便利になりましたよ圏央道。閑話休題。そう、あの日419列車を襲ったアメリカ陸軍のP51の編隊は、この高尾山の稜線の上からひらりと小仏の谷に姿を現したそうです。


目撃者、乗車していた方の話を総合すれば、朝8時頃からの断続的な空襲警報の発令のために、新宿発篠ノ井線経由長野行き419列車は八王子駅や浅川駅で退避を行い、乗客を何度も列車から避難させていたようです。相当の遅れを出していた列車は各駅から次々に乗り込む乗客ですし詰め満員となり、乗客のイライラもピークに達していた事もあったのでしょう。艦載機は去ったと判断し浅川の駅を昼前に発車したのですが、運悪く湯の花トンネル手前で高尾山上を旋回していた編隊3機に見付かってしまいます。乗客の証言として「さっきまで艦載機が飛んでたのに発車して平気なのか?」と訝るむきもあったようですが…


ここから先はトンネルも多く、「いざとなれば小仏トンネルまで逃げ込めば大丈夫だろう」という判断もあり浅川を出た419列車ですが、満員という表現をはるかに超える乗客を乗せて上り勾配を単機牽引ですからそうスピードが稼げたわけでもないでしょう。米軍のP51艦載機の敏捷性からすれば、列車の動きはノロノロと這いつくばるミミズのようにしか見えなかったのではないだろうか。立て続けに編隊からの機銃掃射を受けた419列車は、とうとう逃げ切れず湯の花トンネルに機関車と客車1両半程度を突っ込んだ状態で停車してしまいます。


以下は後述された当時の状況ですが、現地で手に入れた「いのはな慰霊の集い 三十年のあゆみ」からの引用のお許しを。

「突然米軍戦闘機P51数機が機銃掃射の雨を降らせました。車内は悲鳴とバリバリと例えようのない音で、私は無意識のうちに床に伏せました。「〇〇〇!(原文名前)」という姉の最後の声、銃声がなくなり起き上がりましたが、目の前の姉は身動きせず伏せたままでした。後頭部を銃弾が直撃、即死でした」
「突然光がこっちの方へ来たと思った瞬間、子どもの指が三本、根元からとんでしまい、私が『ワアー!』と叫び声をあげたので、みんながあわてだし、ギュウギュウ詰めの車内は大騒ぎとなりました」
「しばらくして静かになりました。起き上がりながら彼女の手を見ると、指が飛んでありませんでした。返事をしないのでひょいと見ると、三つ編みの両耳の間から大脳が飛び出し、既に息絶えていました」
「『列車がやられた!』という声が聞こえて早速現場に駆け付けると、列車の中から女子供の泣き叫ぶ声やうめき声が生々しく聞こえて来た。(中略)車内は死傷者で文字通り血の海と化し、二目と見られない悲惨な光景を呈していた。即死しているもの、膝を撃ち抜かれて立てないでいるもの、ハラワタが出ているのは背中から撃たれたのだった。私はすさまじい現場の光景に身震いが止まらなかった。」



419列車が機銃掃射を受けながら必死に登ったであろう小仏峠への勾配を、いとも軽やかな足取りでE257かいじが登って行く。証言によれば419列車の機関士も機銃掃射で負傷しながらマスコンを放さず、湯の花トンネルまで何とか辿り着いたそうです。結果だけを見るならば、このトンネル内での停車が無防備な後部客車の乗客の被害を拡大させた事には違いないのですけど、戦争末期で物資の欠乏極まる中、本土決戦に備えての兵站の根幹を担うのが鉄道輸送であり電気機関車であったはずです。必死の思いで湯の花トンネルに潜り込み、電気機関車の損傷と破壊を守ったとするならば、それが機関士としての使命だったのではなかろうか。人命より優先されるもののあった時代です。


現場でいただいたリーフレット。この小冊子を読めば事件の概要がほぼ分かるように簡潔にまとめられています。帰りのバスを待つ時間、バス停前の茶屋の縁側に座って子供と噴き出る汗を拭く。「今は日本はアメリカと仲良しだけど、ムカーシ日本はアメリカとケンカしてたんよ。それが戦争って言うんだけれど…」なんて子供に伝わるように話してくれたおばあちゃんは、慰霊碑の名前を見ながら「私この〇〇ちゃんのお姉ちゃんと友達だったんよねぇ~。」などと呟いておられました。子供は「え?日本ってトランプとケンカしてたの?」とか言ってたけど(笑)。


あまりの暑さに帰りは歩く気がせず、小仏から高尾駅北口を結ぶ京王バスへ。ハイカー利用の多い路線ですから土日は台数を増やしての続行運転です。冷房の効いた車内は山帰りのおっさんおばさんで座る場所もありませんでしたが、かりそめでも今の世の中がとりあえず平和なのは良い事である。その平和も、昨今の国際情勢を見るに極めて危ういバランスの上のものであることは否定しませんけどね。

帰りしな、高尾の駅前のサイゼリヤで口の周りを真っ赤にしてスパゲティを食べる子供の顔の向こうに、この平和がいつまでも続く未来であれと願うばかりです。
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裏高尾の慰霊の日

2017年08月05日 17時22分40秒 | 中央東線

(慰霊の日@八王子市裏高尾町)

中央本線が高尾を出て、小仏トンネルに向けて走って行く通称「裏高尾」と呼ばれる地域には数々の撮影ポイントがありますが、今日はそんな裏高尾の慰霊の日。最近感じる事ですが、自分の小さい頃に比べて、世の中がこの時期に「戦争の話」をしなくなったように思うんですよね。50人以上の死者と130余名の負傷者を出した「中央本線419列車銃撃事件」。編隊を組んだアメリカ陸軍の戦闘機P51ムスタングが、走行中の列車に対して機銃掃射を見舞ったこの事件。本日はその慰霊の日と言う事で、まったくの気まぐれですが子供と裏高尾を訪ねてみました。あれから72年目の夏に、戦争を知らない世代が思いを馳せる日があってもいいのかもしれない。


慰霊碑は高尾の駅から小仏峠への旧甲州街道の道すがらにあり、子供と二人で駅から蒸し暑い中をよっこらよっこら歩いて来たのだが20分くらいだろうか。旧街道の小仏の関所を抜けて、小仏川の沢沿いに圏央道の高架を見ながら歩くと、バス停「蛇滝口」の横に慰霊碑の入口を示す石碑が。今日は慰霊の会の方々が入口で献花を用意し、冷たいお茶で訪れる人々をもてなしていました。


小仏峠への道から脇へそれ、畑の中の小道を線路に向かって上がって行くと、奥に事件の慰霊碑があるようです。実際のご遺族の関係者か、家族に支えられながら築堤脇の慰霊碑に向かっておばあちゃんが歩いて行くのですが、さすがに戦後72年ともなると関係者の高齢化も著しいものがあるのでしょう。線路を行く小淵沢行きの長野色211系が見えます。


事件の発生日が昭和20年8月5日ですから、終戦の僅か9日前のお話。翌日に広島へ原爆が投下され、9日に長崎にも原爆が投下され、ソ連参戦から15日に終戦を迎えるという怒涛のような流れの中で起こった事件でした。正直、この趣味をやっていなかったら知ることもなかった事件なのかなと思いますし、実際当時は戦前戦後の報道管制下ではまるで報道もされなかったそうですが、慰霊碑に刻まれた人々の名前を見るとそこにある戦争の惨禍にただ首を垂れるしかない。うだるような暑さと蝉時雨の中で、線香と花を手向け子供と暫し黙祷。


慰霊碑に刻まれた碑文。死没者の方々の氏名を読めば上は70代から下は5歳までと幅広く、全くもって戦争なんて起こってしまえば市井の人間なぞ歳も性別も関係なく無差別に巻き込まれてしまう事のやるせなさを感じる。碑の案内をされていたボランティアの方々の語りが「機銃掃射で頭を打ち抜かれ…」云々など生々しかった事もあり、子供は少し怖さを感じてしまったようだ。ただ、この手の話は実際に怖いんだから当たり前。我々の子供の頃は、この時期共産党や社会党系の方々がご丁寧にも「反戦の夕べ」なんて集まりをよくやっていた。貰えるいくばくかのお菓子に釣られて行ったはいいが、リアルな描写の戦争映画(か「はだしのゲン」)をガッツリ見させられ、子供心に言いようのないトラウマを抱えて戻って来るなんて事がしょっちゅうあったもんだ。

 

慰霊碑の裏に走る中央本線。左側が湯の花トンネルになります。「湯の花」と書いて「いのはな」と読むんですけど、現在は上を圏央道が通るこの小山を地元では「猪の鼻山」と呼んでいた事に由来しているのだそうで。ちょうど湯の花トンネルを竜王からの返空タキ(80レ)が通過して行って子供が大喜び。中央東線の貨物ってそんなに本数ある訳じゃないから良かったね。


慰霊碑の脇にある新井踏切から、湯の花トンネルを望む事が出来ます。上を走るのは中央自動車道、交差するのが圏央道。ちょうど八王子JCTの真下に当たる場所になりますが、高速を走っているドライバーのどれだけが足元で起こっていた遠い日の出来事を知っているのだろうか。

 

当時この区間は単線であったので、事件があった湯の花トンネルは現在の上り線(新宿方面)側にあります。いかにも中央東線のトンネルらしい重厚なレンガ造りのポーナルで、200mもないような短いトンネルながら歴史を感じさせる佇まい。トンネルの中からさらに小仏トンネルに向かって18パーミルの登り坂になっていますが、この登り坂も事件の被害を拡大させる一因となりました。


事件の3日前、昭和20年8月2日に死者450人、負傷者2000人を数える八王子大空襲があったこと。焼け出された人々、家は焼けずとも疎開を決断した人々、農村部へ食料を求めに行く人々、色々な人々が中央本線の復旧を心待ちにしており、事件当日の8月5日は空襲で寸断された中央本線がようやく復旧した日であったこと。襲撃された419列車はこの日新宿から甲府方面に向かう最初の列車であったこと。様々なファクターが絡み合い、ED16型電気機関車(7号機)に牽引された客車7両がすし詰め満員の乗客を乗せて浅川(現在の高尾)の駅を出たのは、まさしく我々が慰霊碑の前で首を垂れた正午頃だったそうです。

ED16と言えば、子供の頃に奥多摩から来る南武線の石灰石列車(奥多摩工業)の先頭に立っているのを見ているので思い出深い機関車でもあります。ほっとんどEF64だったんだけど、たまーにED16やらEF15が牽いてる事があって結構ビックリするんだよね。西国立の駅に立川機関区があった時代の話だから相当昔の話だ。ED16の1号機は、現在でも青梅線ゆかりの機関車として青梅鉄道公園できれいに保存されていますね。

次回へ続く。
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歴史を紡いで生きて来た

2017年08月02日 23時09分22秒 | 大井川鐵道

(友の帰りを待ちわびて@新金谷車両区)

最終のSLかわね路号を、一足お先にクラへ入ったトーマスとジェームスが迎える構図。「ただいま」と「おかえり」の交錯です。新金谷の車両区では、この時期SL乗車後も16時まで新金谷車両区の見学が可能(500円)となっていて、遅い時間まで親子連れで賑わっておりました。我々親子も入ろうと思ったんだけど、時間切れで残念。


客車を推進で側線に戻して上がって来たC11190が、明日に備えて転車台で方向転換。たくさんのギャラリーの前で最後の見せ場です。ちなみに新金谷の転車台、回転する時のBGMがロシア民謡の「カチューシャ」なので、何だか妙にテトリスをやりたくなる(笑)。


車両区の脇から伸びる大代側線に放り込まれている14系客車。スハフ14502、スハフ14557、オハ14511、オハ14535の4両は、青森~札幌を結んだ「急行はまなす」の残党。オフィシャルでは平成29年の稼働とか言ってるけど、とりあえず時間とお金の都合が付けば再整備して実戦投入の運びとなるはずです。西武から持って来たE31電気機関車の3両も、持って来たはいいけどずーっと千頭に放置されてて、使うの諦めたのかなと思ってたけどこないだ整備上げて試運転まで持ってったみたいだから大したもの。パッと見が国鉄電機っぽいE31を国鉄の直流電機塗装にして14系牽かせんじゃないのとか無根拠な期待をしてしまう。

昼間のダイヤの減便ぶりを見れば経営状況の厳しさは一目瞭然、それでも期待をかけるのは、鉄道の遺産を紡ぐことで生きて来たのが大井川鐡道である事に間違いはないからですよね。駅前のロコプラザでささやかながらお土産を買わせていただいて、こちらも帰るとしましょう。
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