青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

駿府桜桃忌

2018年09月17日 09時21分26秒 | 静岡鉄道

(国民的キャラクターの故郷へ@エスパルスドリームプラザ)

秋の連続三連休、相も変わらず秋雨前線の影響下にどっぷり浸っている太平洋側ではありますが、家族を連れて静岡まで行って来ました。先日、例の国民的アニメの作者様が逝去された関係で、故郷のゆかりを訪ねる番組をやっていて「この辺りに行ってみたい」とヨメさんが興味を示したというのもある。そう言えば関東もんにとっての静岡って割と伊豆止まりになってる感じもなきにしもあらずだよね。静岡市とか旧清水市の辺りのセントラル静岡は私も久々。新東名が出来てからはこのゾーンをすっ飛ばして大井川に行っちゃうからなあ・・・旧清水の中心街にあるエスパルスドリームプラザ。子供たちのお土産探しで立ち寄ったら、国民的アニメのキャラクターとそのお友達がこんにちわ。


港の駐車場にクルマを放り込み、「ちびまる子ちゃん」の故郷、新清水から静岡鉄道静岡線へ。ちなみに目的地にはクルマで行きつつ、地元のデンシャに乗ってみるというのが割と我が家定番の観光スタイルでもあります(笑)。静岡と清水の都市間輸送を東海道線のフィーダーとして担う地元に密着した路線。僅か11kmの路線ながら、日中7分間隔の高頻度運行によるフリークエンシーと、ラッシュ時には急行運転も行われる積極ダイヤで静岡市民の欠かせない足。


新清水のホームで待っていたのは静鉄40年ぶりの新車A3000形。静鉄ってーと東急の7200系に準じたスタイルの1000形で統一されているイメージがありましたが、平成28年よりこの形式が投入されてまして、これから徐々に1000形を淘汰して行くようです。静鉄は大株主が東急なので、割と車両とか設備にその影響が濃いですけども、この新車も東急車輛のノウハウを引き継いだ横浜は金沢区の総合車輛製作所製。E235系などと同等の「Sustina」という次世代のアルミ車輛のプラットフォームで製造されています。柵があって駅撮りがしにくいのも池上・多摩川線みたいで難だな(笑)。


この日は静鉄の長沼車庫で開催された「しずてつ電車まつり」の開催日。ヨメさんが「(静岡とか清水の辺りに)行ってみたい」と言った際に、「地元の鉄道が『ちびまる子ちゃん』のラッピング電車を走らせてるんだよ」なんて話をしたら興味ありげだったんで、静鉄のHPで運用を調べてたら「この土日は運用入りません」と出て来た。最初は「連休に走らせないなんて静鉄も商売っ気ねえなあ!」と思ってしまったんだけど、何のことはないこの両日は電車まつりで展示されるからそりゃ運用に入れるわけもなく。そして、せっかくの鉄道系イベントをスルーするのも不自然なので、祭りに参戦することにしたのでした。


会場となった長沼車庫の全景。いかにも中小私鉄っぽい木造の連棟上屋が渋い。限られたスペースに色々なアトラクションを盛り込んでいて、割とコアな鉄道ファンと言うよりも地元の親子連れが純粋に楽しんでいるように見えました。これから10月14日の日に向かって秋の鉄道系イベントは花盛りになって行きますけど、今シーズンのイベント初参戦が静鉄とは思わなかったなあ(笑)。


会場に展示された「ちびまる子ちゃんラッピングトレイン」。作品中の随所に描かれた清水の街を走る電車には、この日から作者であるさくらももこ先生への惜別のヘッドマークが装着されました。時折そぼ降る小糠雨がヘッドマークを濡らして、まる子ちゃんがポロリと涙を流しているように見える時もあり…。会場にいた職員の方が仰るには、作者先生の追悼という意味合いもあってか今年は来場者が例年になく多い、とのこと。鉄道ファンのみならず、郷土の誇りとして旅立った氏の功績を偲ぶ一日となりました。
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塔ノ沢逍遥

2018年09月15日 08時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(深山の小窓@塔ノ沢駅)

深山に開いた小窓のように慎ましやかな場所にある塔ノ沢の駅。たった一駅なのに、湯本の温泉場の喧騒からは遠く離れたかのような雰囲気にあって、列車が通る以外は吹き抜ける風の音と沢の音が聞こえるだけ。塔ノ沢の温泉街は駅から車も通れないような階段道を降りて行った国道沿いにありますが、今でも福住楼や環翠楼に代表されるようなレトロな旅館が立ち並び、明治の時代から文人墨客に愛されたロマンの香りを漂わせています。


山の嵐気に大きく包まれた駅。駅の両サイドは隧道に挟まれていて、昔は小さな登山電車でも2両がギリギリの小さなホームがあるだけだったんだよなあ。輸送力増強のために湯本側の塔ノ峰隧道を開削し、構内踏切を廃止してホームを延長。ポイント部分を隧道内に突っ込んだ配線に切り替えて、3両運転に対応しました。

 

そして塔ノ沢の駅と言えば下りホームにある深沢銭洗弁天。登山電車待ちにお参りするのも一興。ホームの地続きに神社があるというのも不思議な感じがしますが、なんでも登山電車が開業した時、大正期のとある相場師に祠を寄進されてこの場所に移されて来たそうで。塔ノ峰の森に囲まれた弁天様は、しばしの暑さを忘れさせてくれる空間です。


弁天様というのは弁財天の愛称で、「財」の字が入る事からお金にあらたかな神様。水を司る龍神をあしらった手水鉢の向こうを、登山線の新車アレグラ号が発車して行きます。


開削しても3両ギリギリのホームに滑り込んで来たヨンナナ編成。登山線の駅は数あれど、私はここ塔ノ沢の駅の雰囲気が一番好き。たぶん登山線の中で一番乗降客が少ないんじゃないかなと思うけど、そんな駅の雰囲気にモハ1型はドンピシャリじゃないですかねえ…。まったりと2~3本列車をやり過ごしてボーッとするにはちょうど良い、そんな駅です。
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大平台点描

2018年09月10日 22時36分26秒 | 箱根登山鉄道

(Switch Back@大平台駅)

湯本から強羅まで、出山・大平台・上大平台と3回のスイッチバックを使って箱根の山を登る登山電車。勾配を緩和するためにジグザグに登って行くための設備ですが、出山と上大平台は信号場なので下車は出来ません。スイッチバックをゆっくり眺めるのなら大平台の駅が一番いい。エンド交換をした強羅行きの108+ヨンロクのコンビが、スプリングポイントを割り出して発車して行きます。


雨の日も風の日も短時間のエンド交換で前と後ろを行ったり来たり。登山電車の運転士さんと車掌さんは、それだけでも何だか忙しくて大変そう。連休や行楽シーズンの多客期は、列車交換とスイッチバックのエンド交換に時間を要するので、遅れが出始めるとなかなか回復が難しくなります。


登山電車は慎重なブレーキ操作を必要とするため未だに全車がツーハンドルですが、モハ1・2型はブレーキハンドルが着脱式になっている昔ながらのタイプ。使い込まれた真鍮の輝きが、いかにも男の職場のアイテムって感じでいいよね。


そそくさとエンド交換をした運転士氏が運転室中央の運転台に乗り込み、レンチ型の逆転ハンドルをガチャガチャ!と差し込む。ガリガリとマスコンのノッチを投入するとやや一拍二拍の呼吸が開いて、重々しい音を立てて動き出します。改造と更新の連続でほぼ全ての部品が変わっているので一概には言えないのだけど、モハ1型は車籍を辿れば大正時代まで遡るヴィンテージ感溢れる名車であります。
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天下の嶮の語り部

2018年09月09日 22時19分50秒 | 箱根登山鉄道

(ついに、とうとう、来るべき時が…@箱根湯本駅)

箱根登山鉄道のモハ1・2型。この顔のいない箱根なんて考えられないんだけど、先日小田急箱根ホールディングスから「世界に誇る観光地 箱根への挑戦」と題したプレスリリースが出されました。それによると、総額100億円を投じて箱根ゴールデンコースの大整備を行うそうで、海賊船やロープウェイの新造と同時に、登山電車についても3100型「アレグラ号」の増備が進められる事になりました。アレグラ号の増備により、事実上モハ1・2型は遅くとも2020年には引退する旨の余命宣告がなされた訳ですが、そうなると顔を見たくなるのが趣味人の悪いところ。という事でちょっくら湯本に顔を出してみました。


箱根湯本の駅を出て行く108+ヨンロクのコンビ。生粋の神奈川県民であり小田急沿線民である私にとって、箱根と言うのは実に身近な観光地ではありましたが、干物と塩辛と寄木細工の土産物屋が立ち並ぶいかにもな温泉場であった箱根湯本も、私が小さい頃のイメージとは大きく変わって洒落たお店が増えましたよね。湯本の駅も駅舎自体が大改築されて、大きく見栄えが変わってますからねえ。変わってないのはヨンロクと、駅裏にある「かっぱ天国」だけ(笑)。


駅を出て、いきなり80パーミルの急勾配を吊り掛けの唸りを上げてしがみつくように登って行く姿は昇竜の如し。流石に日本一の登山鉄道の面目躍如と言うべき光景です。屋根上に乗っているのはEBの連続使用を想定した大型の抵抗器で、クーラーキセではありません。登山線の中でこの形式だけは現状非冷房になっていますが、こうも夏が異常に暑くなってくると混雑時にはさすがに非冷房はキツイのかもしれない。昔は夏でも窓を開けていれば箱根の山は涼しかったから何にも問題なかったんだよねえ…。特にトンネルの冷気が車内にサーッと入って来るあの気持ち良さは、モハ1・2型の醍醐味の一つなような気もしますけど。

世界に誇る観光地・箱根の顔として君臨してきた偉大なる語り部にも、終焉の時期が近付いてきたようです。
これから、ちょこちょこと撮り貯めてみようかなと思います。
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次は自分

2018年09月08日 07時00分00秒 | 日常

(旧客とSL@横川駅)

天災は忘れた頃にやって来る、なんて言いますけど、流石にどんなアホウでもここまで月単位で災害が起こると忘れないのではないかというねえ。いくらなんでも一週間でドデカい台風と大地震が連発とかないわな…と思って日本の近代の災害史みたいなものをひもといてみたんだけど、太平洋戦争末期から戦後まもなくにかけて(1940年代)日本はそういう時代があったんだよね。今恐れられている「南海トラフ」を震源とする、昭和東南海地震や南海地震のあった時期ですが、その他にも三河地震や鳥取地震、戦後の福井地震とかとにかくこの時期は地震が頻発し、台風も枕崎台風やカスリーン・アイオン台風などが物凄い被害を出している。戦時中から戦後の混乱期の話なんで、お国に都合の悪い話はあまりされなかったのと、戦後は戦後で混乱していてそれどころじゃなかった、という事であまり文献など見聞きしたことがない。カスリーン台風の話とか今度本屋で見付けたら買ってみようかな。洞爺丸台風の本は読んだことあるんだけど。

全道停電という北海道の機能停止を見るにつけ、自然災害はその直接的な人的被害もさることながら、高度化した社会においてはインフラ破壊の方に恐怖の比重が移りつつあるなあと思う。ともあれ、こうなると「次はどこか」という事にセンセーショナルになりがちですけど、常に「次は自分」と言い聞かせて、いつ何時何があるかはわからない不確実性の強い時代を生き抜いていくしかないのでしょう。
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