青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

鹿渡花筏

2019年05月04日 17時00分00秒 | 飯山線

(名残りの桜@越後鹿渡駅)

津南から一駅動いて越後鹿渡。越後田中に続き、越後鹿渡も何だかんだと寄ってしまうことの多い駅です。春の時期はこの駅も桜に囲まれて非常に見事な風景を見せてくれるのですが、残念ながら前の日の雨が祟って花はほぼ散ってしまっていました。その代わりと言ってはなんだけど、駅前の広場には花筏と見まごうばかりの一面の花びらが敷き詰められておりまして、これはこれで風流なものです。往く春を惜しむ妻有の晩春。

駅横の土手から見渡す、鹿渡の名残りの春。いつの間にか一人の学生さん。駅の近くの子供だろうか。鹿渡の駅の横には、津南町立の三箇(さんが)小学校がありましたが、2010年に廃校となっています。地区には東京電力の信濃川発電所に関連した社員寮があったらしく、勤務する職員の子供たちが多く通っていたそうです。鹿渡の駅周辺は、郵便局、小学校、旅館が2件、そしていくばくかの商店らしき建物があった痕跡があって、たぶん一昔前は対岸の津南の中心街とは違った小さな商圏が形成されていたのではないかと推察されます。

春の風そよぐ鹿渡の駅前。空を見上げると、もう数える程度しかない桜の花びらが、それでも風が吹くたびに律義にはらはらと舞い落ちて来る。そんなに散り急ぐことはないじゃないかと思うのだけど、桜はそんなことはお構いなしに、私らが終わらないと若葉が出て来れないじゃないですかとばかりにさっさと枝から落ちて来る。ふと手をかざせば、頭の上には落ちて来た桜の花びらと花芯がふぁさふぁさと乗っかっていた。

先ほど津南で撮影した163Dをもう一度。駅の規模に比して広い駅前広場は、以前この駅から出ていた松之山温泉行きのバスの転回場の跡だったのかなあ。北越急行が開通するまでは、頚城自動車のバスが十日町から鹿渡駅前を通ってR353で松之山との間にある豊原峠を越えていたようです。鹿渡から松之山の間のR353とか、当時は結構未改良で狭かったんじゃないかなと思われますが、ここが松之山温泉の最寄り駅だった時代もありました。

お目当ての164Dを花筏に乗せて。この列車が出ると、戸狩・長野方面は3時間以上普通列車が来ません。以前は現在の飯山発134Dが午前中(9~10時台)に川口から長野までを通し運転していたようですが、いつの間にか減便されてしまったようです。松之山温泉に泊まった客が、宿の送迎で鹿渡まで出て来て乗って行くにはちょうどいい時間だったかもしれないね。

松之山は、昔贔屓にしていた宿があって何回も宿泊してたんだけど、風の便りで宿を畳んだと聞いた。敷地の源泉から採った天然ガスでぬるめの塩辛い温泉を沸かすという、大地のダイナミズム溢れる宿だったのですがね。

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津南里山萌ゆる春

2019年05月03日 17時00分00秒 | 飯山線

(鎮守様の森を往く@越後田中~津南間)

岨滝トンネルを出て、津南の街に向かう163D。鎮守の森に名残りの桜が咲いています。このクルマは、昨晩森宮で飯山色と一緒に滞泊していた車両です。こちらは始発で森宮から戸狩まで走り、折り返して十日町へ朝の通勤通学客を運びます。飯山線ファン的には「好きな運用」ってのが人ごとにあると思うのですが、私はこの「森宮始発162D→戸狩163D→十日町着」という運用が大好きです。朝の良い光線の中で、自然豊かな信越国境を往復するスジで、ここに飯山色が入れば朝メシいらない・・・んだけど、この運用で飯山色撮れたの1回だけなんだよな。

朝の十日町市街の流れの悪さと個人的なモタモタで1123Dを追っ掛けそびれるという愚を犯してしまったので、飯山色が164Dで戻って来るまではちょっと腰を据えて津南界隈で撮影する事に。飯山線は津南の街の町外れを走るので、飯山色を追っ掛ける時はあまり津南周辺で撮影したことはありませんのでね。しかし改めて見上げると、駅に迫る里山の美しさはどうだろう。ライムグリーンに輝く北信妻有のブナの森が春を笑い、山が萌えている。飯山色に執着するあまり、今まで見落としていたものがあったのかもしれないなあ。そして、飯山色の消えた以降の撮り方を模索する時期に来ているのも、事実かもしれません。

ちなみに、「森宮始発162D→戸狩163D→十日町着」の運用は、昼過ぎから「十日町発185D→川口186D→戸狩140D→長野着」という午後の太陽に向かって北信国境を戻るホロ側順光のゴールデンコースでもあります。たぶん飯山線マニア的にはこの運用が一番人気ありそうですが、あなたの好きな運用は何ですか?
コメント (2)
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田沢今昔

2019年05月02日 17時00分00秒 | 飯山線
 
(旧中里村の駅@越後田沢駅進入)
 
戸狩から千曲川に沿って段丘沿いの隘路を走って来た列車は、越後鹿渡~越後田沢間で信濃川の鉄橋を渡り、十日町盆地の平野部に入ります。飯山線の列車は、この辺りから足取りも軽快に穀倉地帯を走って行くのでありますが、見た目の問題だけでなく、実際に線形も良くなるのでここからは最高速度も65→85km/hに上昇。物理的に列車の足が速くなるため、当然に追っ掛けがしにくくなります(笑)。雲量の多い空に開いた僅かな隙間からこぼれる朝の光。路傍に咲く水仙を横目に、田沢の駅に1123Dが入線して来ました。
 
 
十日町の高校へ向かうのだろうか、1123Dに部活の朝練姿の生徒らしき1名の乗車アリ。現在は1面1線に整理された越後田沢の駅、平成の大合併にて十日町市と合併するまでは、ここは新潟県中魚沼郡中里村の中心駅でした。交換設備とともに木造の立派な駅舎が立っていたのだそうで、駅前からは清津峡や奇勝・七ツ釜へ向かうバスが出ていました。清津川と信濃川の合流点に開けた田沢の街は、今でも湯沢方面から来るR353とR117が交わる交通の結節点。R353は関越道から妻有方面への一番のアプローチルートでもあり、紅葉時期は清津峡や秋山郷へ向かう観光バスなどの姿も増えます。
 
 
朝6時を過ぎると、十日町の街に向かう人や耕作地へ向かう営農サンバーなどなどでなかなかにR117の流れは悪く、足を速める飯山線と相反するように追っ掛けの歩みは鈍くなります。R117を走る以外に追っ掛けるすべはあまりなく、増える信号、遅い軽トラに巻かれてイライラが募るのは、1123Dとか123Dを追っ掛けた事のある一部の飯山色マニア(笑)にはかなりのあるあるなのではないでしょうか・・・。
 
アプローチは通過30秒前の大黒沢。直前で陰られて撮っただけ。
晴れればバックに苗場に続く秋山郷の山並みがガッツリと見える、お気に入りの場所なんだけどね。
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暁光田中

2019年05月01日 17時00分00秒 | 飯山線

(雨上がりの朝@足滝~越後田中間)

朝5時半過ぎに森宮野原を発車した1123D。この日の飯山色は、長岡行きの始発列車からの運用になりましたので、まずは個人的にお気に入りの越後田中付近で構えてみることにします。いつもなら駅の津南寄りの田園地帯で絵作りをすることが多かったのですが、この時間だとまだ東側の森に遮られて太陽が回って来ませんので駅を見下ろす丘から。だいぶ日の出も早くなって、5時台でもだいぶ明るいこの時期。農村の人々が朝もはよからみんなで集落の清掃を行っていました。単なるゴミ拾いレベルではなくて、ジイサン連中はスコップ持参で用水路の泥さらい。春普請というヤツですね。カンカンカン・・・と山の上に続く道の踏切が鳴り出し、トンネルの雪覆いから飯山色が飛び出してきました。

越後田中の駅に滑り込む飯山色。河岸段丘のまだ暗いブナの森が鬱蒼とトンガリ屋根の小さな駅を見つめている。さっきの清掃時間には駅前に大勢の集落の人々が集まっていたんだけど、始発列車の到着前にあっさりと解散し、今は人っ子一人見えない。この時間で既に農家としてのひと仕事が終わっているのだから、いったいいつから春普請の作業に勤しんでいたのだろうか。道中朝4時台から草刈りしてるジイサンとか見たんだけど、あなた達ちゃんと寝ているのですか。むしろ寝られなくてしょうがなくて草刈りしてませんか。若干心配になって来るレベル(笑)。

やや湿った空気に靄が掛かったような越後田中の朝。駅の手前で中途にカーブしたレールを見ると、あたかも以前はここが島式ホームの交換駅であったような雰囲気がある。よく見れば手前の倉庫スペースの前、今ではアスファルト敷きになってはいても、線路との段差がいかにも貨物ホームの跡っぽい。田中駅がある上郷上田の集落は、駅周辺と山の上に広大な耕地があるのですが、集められた農産物が積み出されたりしていたのだろうか。

暁の空目指し、エンジン音を高く響かせて列車は津南へ。
ここから津南までは、飯山線は川沿いの断崖絶壁の隘路を進みます。

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