tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

下野薬師寺跡

2012年07月02日 | 小さな旅
この土日(6/30~7/1)、長男の住む栃木県を訪ねた。土曜日は下野市(しもつけし)へ。新幹線で東京、上野からJR東北本線に乗り換え約1時間半で下野市に着く。ここから長男の車で「国指定史跡 下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)」に向かった。下野薬師寺といえば、奈良検定にも登場するとおり、「日本三戒壇」の1つであり、また左遷された道鏡が別当となった寺でもある(道鏡は下野国で没した。下野薬師寺近くの龍興寺境内に、道鏡の墓と伝えられる塚がある)。
※トップ写真は、一部復元された回廊。こちらに詳しい写真が出ている



Wikipedia「薬師寺(下野市)」によると《薬師寺(やくしじ)または下野薬師寺(しもつけやくしじ)は、現在の栃木県下野市(旧河内郡南河内町)にかつて存在した仏教の寺院である。下野国にあった薬師寺は、六国史中では主に下野薬師寺と記載されている。中国では敦煌、また朝鮮半島では新羅で見られる薬師信仰は、飛鳥時代までに日本に伝来したと考えられている。日本で薬師信仰が盛んになったのは聖徳太子が用明天皇の病気治癒を祈って薬師如来像を造立して以来、天武天皇9年680年11月に天武天皇が皇后の病の治癒を願って大和国に薬師寺を建立してからのことである》。


戒壇院の跡地といわれる場所に、六角堂が建てられている

《下野薬師寺が建立されたのもこの天武天皇から持統天皇の御代と考えられている。『類聚三代格』には「天武天皇所建立地」(嘉祥元年848年11月の太政官府)とあり、『続日本後紀』には「下野国言、薬師寺者天武天皇所建立地也」(嘉祥元年11月己未)とあり、下野市も下野薬師寺は7世紀末に下毛野古麻呂が建てた寺と考えられるとしており、何れにせよ、現在でも薬師寺と名付けられた寺はすべて天皇の意向によって建てられた寺ばかりであることから、下野薬師寺は奈良時代以前に当時の日本の中央政府の権力者が建立した寺と考えられている》。



《奈良時代には、國分金光明寺(=東大寺 奈良)および観世音寺(福岡)とともに、国内の僧侶を統制する天下三戒壇の一つに数えられ、東国の僧侶に戒律を授けて正式な僧侶の資格証明書である度牒を授け、中央戒壇(國分金光明寺戒壇院)と西戒壇(観世音寺戒壇院)に対して東戒壇とも呼ばれた。中央政界で権力をふるった道鏡が称徳天皇の死により左遷され、造寺別当(造寺司の長官)となったのも下野薬師寺であった。平安時代に入ると、比叡山での戒壇設置とともに戒壇の需要は薄れ、次第に衰退していく》。



《戦国時代に後北条氏と結城多賀谷氏による戦渦に巻き込まれて焼失した。発掘調査で出土した瓦が、大和川原寺系の八葉複弁蓮華文の軒丸瓦と重弧文軒平瓦とであることから、7世紀末の天武朝の創建であると推定されている。また、寺域は東西約250メートル、南北約330メートルである》《1921年(大正10年)3月3日、「下野薬師寺跡」として国の史跡に指定された》。





寺跡に隣接して、「下野薬師寺歴史館」がある(入館無料)。同館のHPによると《当館は、下野薬師寺跡の南西に隣接して建設された下野薬師寺跡のガイダンス施設です。館内では、発掘調査によって見つかった瓦をはじめとする出土遺物、下野薬師寺に関る文献史料、復元模型などの展示のほか、映像などによって下野薬師寺の歴史をわかりやすく解説しています。また、旧3町(石橋町、国分寺町、南河内町)の各歴史をまとめた町史等の販売も行っています。なお、夏休み期間中には体験事業を実施します》とある。係の女性が親切に質問に答えてくださるし、屋上からは復原された寺の敷地が見渡せる。エレベーター前では天平衣装を着たマネキンが迎えてくれ、思わぬところで「奈良」に遭遇した。


歴史館の屋上から旧境内地が見渡せる。向かって左上が復元回廊



寺跡の南東に接して、「薬師寺八幡宮」があった。同宮のHPによると《貞観17年(875)清和天皇の御勅定により東北守護の大神として石清水八幡宮の御分霊を勧請、創建される(神社伝承)。一説には奈良時代天平勝宝元年(749)、下野薬師寺(日本三戒壇)の守護神・仏法の鎮守神として鎮座したとも考えられています。清和源氏の氏神様・仏法の守護神とも称され、勝ち運・災難除けの願掛けが多く見られます》。



栃木県は奈良県と同じ「海なし県」である。栃木県南部のこの辺りは関東平野の一角で、山がなく縹渺(ひょうびょう)たる平地が広がっている。四方を山に区切られた奈良盆地からここに配流された道鏡は、どんな気持ちでこの景色を眺めたことだろう。
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初詣は瀧谷不動(たきだにふどう)

2012年01月05日 | 小さな旅
1/2(月)、家内と娘を連れて、瀧谷不動(正式名は瀧谷不動明王寺・大阪府富田林市彼方)にお参りしてきた。日本三不動のひとつとされているが、Wikipediaの「三不動」(日本三大一覧)には《青蓮院の青不動(京都市)、金剛峯寺(高野山)の赤不動(和歌山県伊都郡)、三井寺の黄不動(滋賀県)、瀧泉寺の目黒不動、金乗院の目白不動、南谷寺の目赤不動(いずれも東京)》と6つもあるが、瀧谷不動は入っていない。諸説あるということだろう。

ここは近畿三十六不動尊霊場にも選ばれていて、奈良県下では、宝山寺(生駒市門前町)、如意輪寺(吉野郡吉野町吉野山)、龍泉寺(吉野郡天川村洞川)が入っていた。



Wikipedia「不動明王」には《密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い》。だからお不動さんの寺は、ほとんどが密教寺院である。


境内図(お寺のホームページより)

最寄り駅は近鉄長野線の滝谷不動駅であるが、行きは河内長野駅からタクシー(15分)を使った。奈良市の自宅を出て、近鉄奈良線で難波駅、そこから南海高野線で河内長野駅、というルートである。お正月とあって、車は結構混んでいた。お寺の公式HPによると《当寺は平安時代の弘仁12年(西暦821年)、弘法大師によって開かれました。ご本尊の不動明王と2体の脇侍(2童子立像)は弘法大師のお作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています》。



《もとは、今の境内から南約1㎞の嶽山の中腹にありましたが、室町時代の正平15年(1360年)足利義詮の嶽山城攻めで焼かれ、ご本尊と脇侍がお瀧の下に難をのがれました。その後、寛正四年(1463年)に再び兵火にかかって今の場所に移り、今日に至っています。古来「日本三不動の一」といわれ、俗に「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれ、様々な祈願に多くの方が不思議のご利益をいただかれています》《お不動様のご誓願は、人間の悩みの原因である無明を断ち切って、ほんとうの幸せをおさずけになることにあり、私たちの真心が通ずるならば、どのような願いでも必ず一願は成就するといわれています》。



ここでご祈祷(不動護摩供)をしていただいた。《お護摩(ごま)はインド伝来の密教の秘法で、火を焚いてその中に供物を投げ入れてご本尊を供養し、その加護を願う儀式です。わが国には弘法大師により伝えられました。これを修行して精神の向上につとめ、併せてさまざまな願いの成就を祈るのであります。当山でもご信徒各位の祈願成就のため、護摩供をお勤めしております》。


護摩供の様子(お寺のホームページより)。本堂の中で火が燃え上がるので、驚いた

お寺のHPには隔月で「こころの法話」が載る。「心にあかりを灯す、ためになる法話」とあるとおりのほのぼのとした法話なので、時々拝読している。最新の法話は「新しい年を迎えて」(2011年12月26日)。《明けましておめでとうございます。年が改まり、新たな年となりました。昨年一年間で使い古された魂を新しくする。「年があらたまる」の「あらたまる」は、「新しい魂」という意味でもあります。年が明けて新しい魂をいただく。そのために初詣に行くわけです》。



《地方によっては、お正月にいただくお雑煮のお餅が丸いのは、お餅を魂に見立てているそうです。また、誰もが幼い頃に楽しみにしたお年玉。この「玉」も元々は魂を意味しています。その年の魂をいただくからお年玉。いつの頃からか、お年玉は金銭になっていったようです。魂をいただき、魂を新しくしてこの一年を過ごす。古くなった魂を、新しい魂に入れ変える。何だか面白い話です。初日の出を拝み、お寺や神社にお参りしてこの一年が善かれと祈る。新しい魂が少しでもすり切れないよう、今年もお不動さまのご利益をいただいて、あなたの魂をいつも清らかにして下さい》。


滝谷不動駅(近鉄長野線)



帰り道、徒歩でお寺から坂道を下りると、20分ほどで滝谷不動駅に着いた。ここからはすべて近鉄を使い、古市、橿原神宮前、大和西大寺と帰ってきた。富田林の辺りで、大阪側から眺める二上山も珍しかった。

お不動さんはめらめらと燃える炎をバックに、忿怒(ふんぬ)の形相でにらみつけておられる。だからそのパワー(法力)も相当なものなのだろう、すっかり元気をいただいて帰ってきた。大阪府とはいっても、富田林市は金剛山地のすぐ西側である。皆さんもぜひいちどお参りされ、パワーをいただいてください。
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今宮戎の残り福 2010

2010年01月12日 | 小さな旅
昨日(1/11)、今宮戎神社にお参りしてきた。この日は、えべっさん(十日戎)の「残り福」「残り戎」「しまい戎」などといわれる最終日である。奈良検定に気を取られているうちに11日になっていた。畳薦(たたみこも)さんから、奈良のえべっさんに関するコメントをいただいていたので、気がついたのだ。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100110-OYO1T00217.htm?from=main4





今宮戎では、9日(宵戎・初戎)・10日(本戎)・11日(残り福)の3日間で100万人の参拝客を見込むというが、これはすごい人出である。こういう雰囲気は、やはり奈良より商売の町・大阪に似合う。
※奈良市・南市の初戎(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/cf87736c33642c1f305285a09c78d6f7









神社に着いたのは午前11時頃だったが、すでに境内は立錐の余地がないほどの満員御礼。警察の「立ち止まらないで下さい」というマイクの声が響き渡っていた。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001001070001









圧巻は、ずらり勢揃いした福娘たち。いつもニュースで話題になり、朝日新聞はAKB48ならぬ「FKM14」と報道していた、金の烏帽子をかぶった14人以外にも可愛い女性がたくさんいて、参拝客を明るく迎えてくれた。
http://www.asahi.com/kansai/photo/p_fuku/















お参りの後は、お昼ご飯。神社から地下鉄・恵美須町駅へ戻る途中に「そば処 まる栄(えい)」という老舗がある。といっても高級店ではなく、いかにも大阪らしい、安くて美味しくてボリュームたっぷりの大衆食堂である。
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270206/27011819/



えべっさんの3日間は、「えびすそば(うどん)」750円という特別メニューがあるというので、それを注文。なるほど、とろろ昆布や梅玉のほか、春の野菜がたっぷり入っている。7品(=七福神)入っているから「えびすそば」なのだろう。大阪風のあっさりツユに、まったりしたソバがよく合う。周りを見渡すと、てんこ盛りのカツ丼やカツカレーを食べている人が多く、さすがの大阪パワーを感じた。

今年の景気については、二番底を懸念するなど慎重な見方も多いが、えべっさんのご利益で、ぜひ明るい年にしていただきたいものだ。
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吉野山あじさいまつり

2009年06月26日 | 小さな旅
吉野山(奈良県吉野郡)といえば、まずは桜だが、新緑も秋の紅葉も良い。お正月(初詣)の雅やかな雰囲気も、ぜひ味わってほしい。それに加えて、アジサイも素晴らしい。麓(近鉄吉野駅)と吉野山を結ぶ「七曲り」という登山道に沿って、アジサイが咲くのである。
http://www.yoshinoyama-sakura.jp/top.htm



花の期間中、吉野山観光協会は「吉野山あじさいまつり」を開催している。

期間 6月13日(土)~7月7日(火)
場所 吉野山七曲りの「七曲りあじさい園」

期間中は、ライトアップされ、また6月27日(土)、28日(日)の午前11時から午後2時までの間は、以下のイベントもある。

・吉野山の手作り名産品の無料試食会
・吉野本葛を使った「くず餅」の実演販売(有料)
・吉野川桜鮎のを炭火焼実演販売(有料)
・「あじさいの鉢植え」や「吉野山の名産品」のプレゼント(抽選)
・「蛙のオリジナル手作りストラップ」のプレゼント(先着30名)
http://shokoiki.exblog.jp/8667532/


千本口駅近くのアジサイ

6/13(土)、当ブログで紹介した「第2回 さくらの学校」で吉野山を訪ねた帰り、このアジサイを楽しんできたので、以下に紹介する。なお、私は七曲りの坂道を降りながらアジサイを撮ってきたのだが、この坂は、やはり登りながらアジサイを鑑賞する方がピッタリくる。で、順序を逆(麓→山上)にしてご披露することにしたい。
※第2回 さくらの学校(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/67d32a07a726dc85647dfb2ea2f04e93



七曲りは、近鉄吉野駅で下車し、歩いてすぐのロープウェイ「千本口駅」の横から入る。Wikipedia(吉野ロープウェイ)によると《吉野大峯ケーブル自動車が運営する索道の名称である。現存する日本最古の索道路線でもある。吉野山ロープウェイともいう》。



《近鉄吉野線の前身である吉野鉄道が吉野駅までを開業させた翌年、1929年(昭和4年)3月12日に千本口~吉野山間を開通させた。搬器(ゴンドラ)は「かえで」「さくら」の2台で、現代では珍しく客室内が階段状になっている》。ゴンドラの車体は、近鉄特急と同じ色に塗られている。


桜に混じってモミジの木もたくさんある。紅葉の時期が楽しみだ



この「七曲り」については、山川出版社の『奈良県の歴史散歩(下)』に解説が出ている。《登り口には大峯山詣りの行場(ぎょうば)であった幣掛(しでかけ)神社がある。七曲りをのぼりつめた所で、吉野神宮方面からきた県道と合流するが、ここを攻(せめ)が辻という。1333(正慶2・元弘3)年、元弘の変のおりに北条勢が攻めあがってきたことからついた名である。攻が辻から左に行くと吉野山の中心に入る》。





七曲りは、新緑とアジサイのコントラストが素晴らしい。県下でアジサイの名所というと、柳生花しょうぶ園(奈良市)、矢田寺(大和郡山市)、馬見丘陵公園(北葛城郡河合町・広陵町)、久米寺(橿原市)といったところがすぐ思い浮かぶが、ここは山の中で山道に沿い、桜などの木々の間に咲いているところが特色である。





山道を登るにつれて視界がぱあっと開けてくるが、広がったパノラマの中に、色鮮やかなアジサイが点景として登場するところがいい。こういう景色には、なかなかお目にかかれない。







山上に着いて県道(土産物屋のある通り)を蔵王堂に向かうと、沿道にはまた違った種類のアジサイが咲いていて、これもぜひご覧いただきたい。





私が訪れたのは「あじさいまつり」の初日(6/13)だったので、花はまだ咲き始めだったが、今はもう見頃を迎えていることだろう。幸か不幸か、最近は梅雨とはいえお天気続きだし、この週末(6/27~28)にはイベントも開催されるので、ぜひお訪ねいただきたい。なお歩くには、やはりロープウェイで一旦山上へ行き、そこから麓へ向かって七曲りを降りる方がラクであるので、念のため。
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播磨路は春爛漫

2009年03月31日 | 小さな旅
3/28(土)~29(日)、1泊2日で姫路から赤穂・龍野方面を旅行した。今年で80歳(数え年)になる母に、傘寿(さんじゅ)の祝に旅行をプレゼントしたのだ。母親との2人旅というのは、物心ついてからは初めてである。難波で待ち合わせて大阪駅に出て、まず向かったのは姫路である。JR新快速で約1時間だ。





お城の天守閣に登る前に、「好古園(こうこえん)」という庭を拝観した。「姫路城西御屋敷跡(にしおやしきあと)庭園」だそうだ。


池の畔に咲くレンギョウ


木瓜(ボケ)の花

好古園の公式HPによると《世界遺産・姫路城を借景にした本格的な日本庭園です。姫路城の南西に広がる庭園の面積は、約1万坪。池泉回遊式の[御屋敷の庭]や本格的数寄屋建築の茶室・双樹庵のある[茶の庭]など9つの庭園群で構成され、江戸の情緒を醸し出すそのたたずまいは、時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われています》とある。広い庭には春の花が咲き、コイが元気に泳いでいた。庭を見ながらいただいた抹茶の味は、格別であった。
http://www.city.himeji.lg.jp/koukoen/


コブシ咲く播磨路(はりまじ)の春~♪


先っぽが3つに分かれているから三椏(ミツマタ)

好古園を出て、城をめざした。あいにくソメイヨシノは「咲き始め」だったが、ヤマザクラなどは満開だ。ピンクのしだれ桜も、見頃を迎えていた。



tabian(旅行に役立つリンク集)によると《姫路城は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の粋を極めた傑作といわれ、軍事的・芸術的にもっとも完成された文化財として1993年12月、法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産に指定されました》。
http://tabian.com/tiikibetu/kinki/hyogo/himejijyo/



《姫路城は、徳川家康の次女督姫を妻とする池田輝政により建てられたもので、関ヶ原の戦いの翌年にあたる慶長6年(1601年)から8年の歳月が費やされました。それまで羽柴秀吉が20年前に建てた三層の姫路城が建っていましたがこの城を取り壊し、現在の5層7階の天守となりました。姫路城には数々の物語が残っており、聡明で美しい姫といわれた徳川家康の孫娘である千姫の物語や、宮本武蔵の妖怪退治、播州皿屋敷お菊井戸など建築以外にも多くの物語の舞台として魅力あふれるお城です》。



姫路城では、平成の大修理が予定されている。Wikipedia(姫路城)によると《「昭和の大修理」により「50年は保つ」といわれていたが、大修理から45年が経過し漆喰や木材の劣化が進んだため、大天守の白漆喰の塗り替え・瓦の葺き替え・耐震補強を重点とした補修工事が予定されている。2009年(平成21年)度着工、2014年(平成26年)度竣工予定。事業費は28億円(素屋根工事費12億6千万円・補修工事費15億4千万円)と見積もられている》。



《工期中も工事や安全に支障がない範囲で大天守内部の公開は続ける。大天守を覆うように素屋根を設置するため天守からの展望や外観の展望は望めないが、修復作業を見学出来る「見せる修復」も検討されている》とのことだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E8%B7%AF%E5%9F%8E

姫路城を堪能したあとはJR赤穂線で、宿泊地の赤穂市へ。赤穂の街は古い景観を大切にしつつ、こんなに美しく整備されている。


播州赤穂駅前の大通り

泊まったのは赤穂温泉(赤穂市御崎)の「吉(しょうきち)」という旅館である。岬の突端にあり、客室も風呂も食堂も海に面している。こざっぱりとした宿で、仲居さんの応対も良い。食事は新鮮な海の幸である。
http://www.ako-syokichi.com/


客室から見た日の入り


夕食に出た新鮮な刺身(2人前)


朝食の一部


朝食に出た自家製アジの開きが、絶品だった

翌日は赤穂城をひとめぐり。忠臣蔵で有名なお城で、「赤穂城断絶」(深作欣二監督)という東映映画もあった。大石内蔵助役は萬屋錦之介、堀部安兵衛役は峰岸徹、間十次郎役は、このほど千葉県知事に当選した森田健作であった。


赤穂城大手門の隅櫓(すみやぐら)

BIGLOBEトラベルによると、このお城は《横矢掛りという守りに強い複雑な技法を用い、1648(慶安元)年から浅野長直が13年かけて築城した海岸平城。城内は大石神社や大石良雄宅跡などがある城跡公園になっている》とある。

赤穂の次は、たつの市へ。JR播州赤穂駅から一旦姫路に戻り、姫新線(きしんせん)本竜野駅で降りる。Wikipedia(たつの市)によれば《兵庫県の南西(西播磨県民局)に位置する市。旧揖保郡。2005年10月1日に龍野市、揖保郡新宮町・揖保川町・御津町(揖龍地域・旧制揖保郡のうち太子町を除く自治体)が合併して誕生した》。《市中心部龍野町には武家屋敷や白壁の土蔵が今も残っており、龍野藩5万3千石の城下町の面影から「播磨の小京都」と呼ばれている》。


姫路信用金庫川西出張所(たつの市龍野町下川原80。本竜野駅近く)

《自治体名は「たつの」であるが、歴史的固有地名は「龍野」、また、駅名は「本竜野」・「竜野」と誤解を生じやすい》とあるが、山陽本線の竜野駅と姫新線の本竜野(ほんたつの)駅というよく似た名前の2つの駅があるので、ややこしい。


龍野城の埋門(うずめもん)


隅櫓

たつの市は「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の生誕地で、ひなびた静かな町である。4/1~12までは「第58回龍野さくら祭り」が開かれ、この日曜(4/5)には武者行列などのイベントが行われるそうだ。
http://www.city.tatsuno.hyogo.jp/TatsunoTourist/sakuramaturi.htm



のんびりと春の風情を楽しんだ2日間の旅であった。なおたつの市は、言わずと知れた日本一の出荷高を誇るそうめん「揖保乃糸」の産地であり、ヒガシマル醤油の本社所在地(たつの市龍野町富永)である。ここでいただいた食事の話は、日を改めて紹介することにしたい。
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