tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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牽牛子塚古墳、または八角形の謎

2010年09月26日 | 奈良検定
9/9に明日香村教育委員会が発表した牽牛子塚(けんごしづか)古墳の発掘調査結果のニュースは、全国津々浦々にまで報道された。翌日の新聞(全国紙は大阪本社版)では、毎日と産経が1面トップ、朝日・読売・奈良も、トップではなかったものの1面で大きく取り上げていた。古墳発掘のニュースがこれほど大きく報道されたのは、高松塚古墳の壁画発見以来ではないだろうか。
http://www.nara-np.co.jp/20100910102124.html

9/12には、関口宏の「サンデーモーニング」でも、わざわざスタジオでフリップを用いて、3分ほどこの古墳のことが説明されていて、とても驚いた。現地見学会も大人気で、毎日新聞によると《牽牛子塚古墳(7世紀後半)の現地見学会(11~12日)に訪れた人は、2日間で約7500人に上った。猛暑の中、ピーク時は見学待ちの行列が約200メートルできるほど関心が高かった》という。
※現地見学会の様子(かぎろひさんのブログ)
http://kagiroi.narasaku.jp/e26747.html

牽牛子塚古墳は八角形だった(9/12 サンデーモーニング)


注目されたのは、いうまでもなく墳形が八角形だったこと。しかし「八角形ではないか」ということは、早くから指摘されていた。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)にも《形式=八角形墳》《二段築成の八角形墳と推定される》《墳形が八角形であることから、天皇、もしくは天皇に準ずる身分の者の墓と考えるのが適切である》とされている。
現地見学会の動画はこちら

このテキストには、ほかにも八角形墳として、段ノ塚古墳(舒明陵 桜井市)、野口王墓古墳(天武・持統陵 明日香村)、中尾山古墳(文武陵か 同)、束明神古墳(天武の皇子・草壁皇子の墓か 高取町)などが記されている。初回(07年)の奈良検定2級試験には、《(33)明日香村にある中尾山古墳の平面の形は何角形か。ア.五角形 イ.六角形 ウ.七角形 エ.八角形》という問題が出ていて、答えられなかった同僚が「なんで何角形かということが、そんなに大事なんや?!」とボヤいていたのを思い出す。
※Wikipedia「牽牛子塚古墳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%BD%E7%89%9B%E5%AD%90%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3


明日香村のHPより(トップ写真とも)

牽牛子塚古墳は、石造の埋葬施設の周りに巨大な切り石を立て並べ、墳丘表面も石で覆った特異な石造の古墳だった。その規模の大きさと墳形が八角形だったこと、被葬者が2人だったことなどが判明し、斉明天皇と、娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)との合葬墓だったことがほぼ確定した。斉明天皇は日本書紀に「大工事を好み、運河を造り、舟200隻で石を運んで宮殿の東の山に垣を築いた」とされる石の女王で、また同書には皇女と合葬されたという記述がある。
http://www.nara-np.co.jp/20100911105131.html

なぜ夢殿は八角形か―数にこだわる日本史の謎 (ノン・ポシェット)
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さて、この八角形墳=「天皇、もしくは天皇に準ずる身分の者の墓」という説だが、どういう意味があるのだろうか。奈良新聞(9/10付)がうまくまとめているので紹介する。

1.八方位が世界を表現
県立図書情報館館長の千田稔氏は、道教思想と関連づける。《「天皇は死後の世界にも君臨する宇宙の王」だと知らしめているというのが千田さんの考えだ。八方位が世界を表現する中国の道教思想に帰着する。「時代をとらえて牽牛子塚古墳を見る時、その歴史的意味を目の当たりにする」と語る》。

2.八隅知之(やすみしし)わが大王
《「わが大王(おおきみ)」にかかる枕詞「やすみしし」から、八角形の意味を解き明かすのは和田萃(あつむ)・京都教育大学名誉教授(日本古代史)だ。「八隅知之」などと書き、和田さんは「国土の隅々までも治めるという思想」と解く。万葉歌では、間人連老が舒明天皇をたたえた「八隅知之 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ…」(巻1.3)が最も古い例で、和田さんは、八角形墳の出現と時期が重なることに注目》《さらに、八角形をした天皇の玉座「高御座(たかみくら)」に流れをたどることができる》。

3.8は最高の数
《菅谷文則・県立橿原考古学研究所長は「儒教の思想でも、仏教でも、道教でも、アジアでは8は最高の数」と広くとらえる。「最高の数を墓の形に使えたのは初期律令天皇だけ」と当時の天皇権力の大きさを推し量る。また、基壇を持つ寺院建築を意識した造りにも着目している》。

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ただし「八角形墳=天皇陵特有」とすることについては、反論がある。ブログ「帆人の古代史メモ」によると、八角形墳は《関東で発生した古墳の様式であり、前方後円墳と同じく、天皇家はそれを採用したにすぎない》《群馬県の榛名山麓で発生し、多摩から甲斐に伝わり、その後、摂津に伝わり、大和の斉明陵に採用されたものである》という。
http://blog.livedoor.jp/hohito/archives/1265553.html

確かにWikipedia「八角墳」には、以下のような八角形の「首長墓」が列挙されている。

・稲荷塚古墳:東京都多摩市百草・7世紀前半
・三津屋古墳:群馬県北群馬郡吉岡町・7世紀前半
・経塚古墳:山梨県笛吹市(旧一宮町)・1994年発見・7世紀前半
・伊勢塚古墳:群馬県藤岡市・6世紀前半
・中山荘園古墳:兵庫県宝塚市
※Wikipedia「八角墳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%A7%92%E5%A2%B3

牽牛子塚古墳の発掘調査をきっかけに、「天皇陵の本格調査を」という声が出ている。学術調査が制限されている天皇陵を本格的に調べれば、被葬者の特定など、得られる成果はとても大きいだろう。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100921.html

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古墳のほか、奈良で八角形といえば、まずは前述の「高御座(たかみくら)」。復原されたものを平城宮跡の大極殿で見ることができる。同じ宮跡内の東院庭園では、正殿(中央建物)と隅楼(南東隅の建物)の柱が八角形である。出土柱根をもとに復原されたものだ。

奈良のお寺には、八角形の円堂がある。興福寺の北円堂(藤原不比等の一周忌に際し、元明・元正天皇が長屋王に命じて創建させた)・南円堂(藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建)、五條市栄山寺の八角円堂(藤原仲麻呂が、父・武智麻呂追善のため創建)だ。なお「円堂」とは通常、誰かの菩提を弔うために建てられるお堂である。藤原氏は八角形が好きだったようだ。これを権威の象徴ととらえていたのかも知れない。そういえば藤原氏の血を引く称徳天皇は、西大寺に五重の東西双塔を建てたが、これは当初、八角塔として計画されたものだった。

「八角形」をキーワードにあれこれと検索していたら、いろんな情報がこれだけ集まった。全く、知れば知るほど、奈良はおもしろい。
コメント (5)
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