tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

三浦佑之氏の『古事記』講演会、いよいよ近づく!(2012Topic)

2012年10月11日 | 記紀・万葉
以前お知らせしました三浦佑之(みうら・すけゆき)氏の「古事記にうつる源流の郷(くに)」講演会、いよいよ10月21日(日)に開催さされます。参加費は無料ですが、お申し込みが必要です(先着順)。まだお申し込みでない方は、奮ってご応募ください! 公益財団法人吉野川紀の川源流物語の報道資料(10/7公表)によりますと、

10/21 『古事記』のスペシャリスト 三浦佑之さん
「古事記にうつる源流の郷」講演会の開催

いつもお世話になっております。川上村立図書館と森と水の源流館の開館10周年記念事業の一環として、両館共催による下記講演会を開催します。会場の川上総合センター「やまぶきホール」には、まだ余裕がありますので、ぜひ告知PRのご協力をお願いします。

■川上村立図書館・森と水の源流館 開館10周年記念講演会■
三浦佑之氏「古事記にうつる源流の郷」
・2012年10月21日(日) 14:00~15:30(開場13:30)
・川上総合センター やまぶきホール 川上村宮の平 (森と水の源流館正面) 
・参加費無料
・お申込み・お問い合わせ 森と水の源流館(9:00~17:00 水曜日休館)
担当/尾上
電 話 0746-52-0888
F A X 0746-52-0388
〒639-3553奈良県吉野郡川上村宮の平
E-mail morimizu@genryuu.or.jp

≪みどころ・ききどころ≫
古事記編纂1300年記念の今年、古事記関連のお仕事に大忙しの三浦先生が、川上村を訪れ、わかりやすく古事記の世界へと誘うとともに、中つ巻に登場する神武天皇が、現在の川上村井光(いかり)を訪れるところで、光る井戸に尻尾のある神があらわれたという「井氷鹿」(いひか)の物語についても詳しく解説します。しばし「はじまり」の世界をおもうことで、未来を描くヒントが見つかるのではないでしょうか。

講師 三浦(みうら)佑之(すけゆき) さん(立正大学文学部教授、千葉大学名誉教授。)
『古代叙事伝承の研究』(勉誠社)、『口語訳古事記』(第1回角川財団学芸賞受賞)『古事記講義』『古事記を旅する』(以上、文藝春秋。いずれも文春文庫所収)、『日本古代文学入門』(幻冬舎)、『古事記のひみつ』(吉川弘文館)、『日本霊異記の世界』(角川書店)、『古事記を読みなおす』(ちくま新書)、『あらすじで読み解く古事記神話』(文藝春秋)など著書多数。
WEBサイト「神話と昔話 三浦佑之宣伝板」http://www.miuras-tiger.com/



写真はすべて川上村・三之公(さんのこうorさんのこ)川の清流。9/13撮影

《「はじまり」の世界をおもうことで、未来を描くヒントが見つかるのではないでしょうか》とありますが、まさに温故知新。『古事記』には現代日本人のものの見方・考え方をひもとくカギがたくさん埋もれています。《神武天皇が、現在の川上村井光(いかり)を訪れるところで、光る井戸に尻尾のある神があらわれたという「井氷鹿」(いひか)の物語》については、森林ジャーナリストの田中淳夫さんが、ご自身のブログに「古事記と川上村」という記事を書いておられます。

2年前、奈良は平城遷都1300年ということで、大々的にお祭もして盛り上がった。で、今年は何を謳っているかご存じか。古事記編纂1300年なのである。地味だけど、奈良県もコツコツやっているのよ。この古事記の中で注目するのは、やはり神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、これはまだ天皇に即位する前のお名前であるが、ようするに神武天皇の東征、つまり日向から大和を征服する話。

よく知られるが、大阪湾に上陸したものの、生駒山を越えようとして、生駒の豪族・長髄彦(ながすねひこ)(古事記では、那賀須泥毘古と表記され、また登美能那賀須泥毘古、登美毘古とも称される)に破れて追い返される。その際、兄も討ち死にするなど、甚大な被害を被り、そこでと熊野まで大回りして北上し、吉野を抜けて大和盆地に入り、とうとう大和を征服した。この際も最後まで抵抗したのが長髄彦であるが、裏切りの計略によって討ち取られた。

とゆーわけで、生駒人である私からすると、神武天皇なんてよそ者の極悪非道の侵略者であり、長髄彦こそ最後まで抵抗した生駒の悲劇の英雄なのである。が、その話は置いといて、ここでは吉野に関する話。その際に、このようなシーンがある。



從其地幸行者、生尾人、自井出來。其井有光。爾問汝誰也、答曰僕者國神、名謂井氷鹿。此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者誰也、答曰僕者國神、名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故、參向耳。此者吉野國巢之祖。

これを現代語に訳しているところを探すと、このように表されていた。

そこからさらに進むと、尻尾がある人が井戸から出て来ました。その井戸に光が有りました。そこで、「そなたは誰か。」と尋ねると、「私めは国つ神、名はイヒカと言います。」と答えました。(これは吉野首らの祖である。)そこでその山の中に入って行くと、また尻尾がある人に会いました。この人は岩を押し分けて出て来ました。そこで、「そなたは誰か。」と尋ねると、「私めは国つ神、名はイワオシワクの子と言います。今、天つ神の御子が来られたと聞いたので、御迎えに来ました。」と答えました。(これは吉野の国巣の祖。)

有尾人がいたのだ!ここでイヒカは井氷鹿と表記されるが、現在は井光。川上村に現在もある集落である。井戸というのは掘った穴ではなく窪地のことらしいが、尻尾があるという点が興味深い。これは、何を意味するか。今は滅んだ幻の有尾人が生息していた、となると、ツチノコどころかイエティ(雪男)やサスカッチ(大足男・・・カナダの猿人)なみである。ボルネオにはオラン・ペンデクという有尾人がいると未知生物の世界では言われていたが……。

と先走ってしまう。が、常識的に考えれば、この集落の民が、何か尻に尾と見間違うものを付けていたのだろう。そこで想像を膨らませると、今でも古い林業家の中には、尻に鹿の毛皮を垂らしていることがある。マタギなどでも見られるが、そのまま土の上に座ってもクッションになるし、水が染みてこないのだ。これを尻尾に見誤った? つまり有尾人とは山の民、杣人を表しているのではないか。もしかして、吉野の民、杣人に関する日本最初の記述かも。。。……そんなことを考えてみても、面白いかも。

確かにこのくだりは「杣人(そまびと=山の民)に関する日本最初の記述」なのでしょう。『古事記』ゆかりの地で開かれる「古事記にうつる源流の郷」無料講演会に、ぜひお申し込みください!
コメント (3)
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