産経新聞奈良版の連載「なら再発見」、第2回は、雑賀耕三郎氏。氏は奈良まほろばソムリエ友の会会員で桜井市在住(出身は岐阜市)。談山神社の総代、桜井市民生委員・児童委員を務めておられます。深い知識と軽いフットワークで、「奈良・桜井の歴史と社会」というブログを毎日更新中です。10/19(金)には、パラディ南館(近鉄学園前駅北側)の近鉄「楽・元気プラザ」で、「四季折々の天理と桜井」という講話もされる予定です。
本日掲載分(10/13付)の見出しは《桜井「初瀬街道」の郷土玩具 埴輪が生んだ「出雲人形」》。すでに雑賀さんのブログに全文が紹介されています。
※トップ写真は《出雲人形を制作する水野佳珠さん=桜井市》
桜井市の三輪山南麓から長谷寺に向かう国道165号沿いに「出雲」がある。初瀬街道に面し、長瀬寺詣(もう)でや伊勢参りで賑(にぎ)わった地だ。ここで作られる出雲人形が土産物として人気を集め、「出雲人形を買って帰らんと、長瀬詣でしたことにならん」というほどのヒット商品だったという。
出雲人形は大和出雲人形とも呼ばれる。粘土を型に押して焼き、彩色して仕上げる素朴な人形で、一体一体が手作りだ。
* * *
出雲人形のルーツをたどれば、野見宿禰(のみのすくね)という出雲の国の勇士に触れなければならない。第11代垂仁天皇の面前で当麻蹶速(たいまのけはや)と対戦して勝った「相撲の神様」だ。
宿禰は力だけでなく、知恵もすごかった。埴輪(はにわ)を考え出したアイデアマンでもあったとされる。
当時は大王の死去に伴う殉死の習慣があったが、出雲の国から土師(はじ)を呼び寄せ、代わりに埴輪を作って埋めさせたといわれる。
この埴輪製作の技術が、出雲人形のルーツとされている。呼び寄せた土師の人々が住んだところが、出雲と呼ばれるようになった。
* * *
鉄道の開通で街道筋がさびれたことから、一旦は途切れた人形作りだったが、出雲で最後まで焼き続けた水野家が昭和35年に再興させた。いまも水野家の玄関には「初瀬名産 大和いずも人形窯元 水野徳造」の木札がかかっている。
素朴な色合いと姿形の「左前人形」と「力士」。雑賀さんのブログより
8代目の水野佳珠(かず)さんが製作工程を語ってくれた。
「まず表土の下から土を取って、打ったり練ったりします。それから型に粘土を詰めます」。均等に押し付けることが難しいという。
表裏の2つの型から作った形をていねいに接合し、もみ殻を積み上げて30時間ほどかけて、ゆっくりと焼く。焼きあがった人形に胡粉(ごふん 白顔料)で下塗りし、泥絵具で絵付け。息をつめて一気に目のラインを引いて彩色を終え、完成させる。
「人形の形を作る時には湿気が必要です。彩色仕事の時はニカワが腐りやすくなる夏場はできません」
制作には季節と天候を選ぶ必要がある。
「人形作りには熟練と気持ちが大切。人形は生きてなあかん。出雲人形は表情が勝負です」と水野さんは言い切る。
* * *
出雲人形は、古墳を守る埴輪の気持ちを今に表したという左前人形。死者と同じく衣服を左前に着ている。野見宿禰にちなんだ「力士」、祝儀のシンボルである「俵牛(たわらうし)」などがあり、最近は「御高祖頭巾(おこそずきん)」「唐人」などの人形も人気という。
水野さんは「めでたいものを求められる。左前人形が健気(けなげ)に家や家族を守る姿に惹(ひ)かれる人も多いです」という。
古(いにしえ)の風情をしのばせる素朴な色合いと姿形の出雲人形は、県の数少ない郷土玩具として「県指定伝統的工芸品」にも選ばれている。
(奈良まほろばソムリエ友の会 雑賀耕三郎)
私も雑賀さんから出雲人形を見せてもらったことがあります。素朴で、見ていてホッとするような温かみのある人形です。「県指定伝統的工芸品」に選ばれていることは雑賀さんに教えてもらって、初めて知りました。雑賀さんは水野佳珠さんを実際に取材して、この文章を書かれたそうです。なお水野佳珠さんの連絡先は、〒633-0122 桜井市出雲1208 電話0744-47-7255です。
雑賀さん、興味深いレポートを有難うございました。10/19(金)のご講話も、ぜひ頑張ってください!
本日掲載分(10/13付)の見出しは《桜井「初瀬街道」の郷土玩具 埴輪が生んだ「出雲人形」》。すでに雑賀さんのブログに全文が紹介されています。
※トップ写真は《出雲人形を制作する水野佳珠さん=桜井市》
桜井市の三輪山南麓から長谷寺に向かう国道165号沿いに「出雲」がある。初瀬街道に面し、長瀬寺詣(もう)でや伊勢参りで賑(にぎ)わった地だ。ここで作られる出雲人形が土産物として人気を集め、「出雲人形を買って帰らんと、長瀬詣でしたことにならん」というほどのヒット商品だったという。
出雲人形は大和出雲人形とも呼ばれる。粘土を型に押して焼き、彩色して仕上げる素朴な人形で、一体一体が手作りだ。
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出雲人形のルーツをたどれば、野見宿禰(のみのすくね)という出雲の国の勇士に触れなければならない。第11代垂仁天皇の面前で当麻蹶速(たいまのけはや)と対戦して勝った「相撲の神様」だ。
宿禰は力だけでなく、知恵もすごかった。埴輪(はにわ)を考え出したアイデアマンでもあったとされる。
当時は大王の死去に伴う殉死の習慣があったが、出雲の国から土師(はじ)を呼び寄せ、代わりに埴輪を作って埋めさせたといわれる。
この埴輪製作の技術が、出雲人形のルーツとされている。呼び寄せた土師の人々が住んだところが、出雲と呼ばれるようになった。
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鉄道の開通で街道筋がさびれたことから、一旦は途切れた人形作りだったが、出雲で最後まで焼き続けた水野家が昭和35年に再興させた。いまも水野家の玄関には「初瀬名産 大和いずも人形窯元 水野徳造」の木札がかかっている。
素朴な色合いと姿形の「左前人形」と「力士」。雑賀さんのブログより
8代目の水野佳珠(かず)さんが製作工程を語ってくれた。
「まず表土の下から土を取って、打ったり練ったりします。それから型に粘土を詰めます」。均等に押し付けることが難しいという。
表裏の2つの型から作った形をていねいに接合し、もみ殻を積み上げて30時間ほどかけて、ゆっくりと焼く。焼きあがった人形に胡粉(ごふん 白顔料)で下塗りし、泥絵具で絵付け。息をつめて一気に目のラインを引いて彩色を終え、完成させる。
「人形の形を作る時には湿気が必要です。彩色仕事の時はニカワが腐りやすくなる夏場はできません」
制作には季節と天候を選ぶ必要がある。
「人形作りには熟練と気持ちが大切。人形は生きてなあかん。出雲人形は表情が勝負です」と水野さんは言い切る。
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出雲人形は、古墳を守る埴輪の気持ちを今に表したという左前人形。死者と同じく衣服を左前に着ている。野見宿禰にちなんだ「力士」、祝儀のシンボルである「俵牛(たわらうし)」などがあり、最近は「御高祖頭巾(おこそずきん)」「唐人」などの人形も人気という。
水野さんは「めでたいものを求められる。左前人形が健気(けなげ)に家や家族を守る姿に惹(ひ)かれる人も多いです」という。
古(いにしえ)の風情をしのばせる素朴な色合いと姿形の出雲人形は、県の数少ない郷土玩具として「県指定伝統的工芸品」にも選ばれている。
(奈良まほろばソムリエ友の会 雑賀耕三郎)
私も雑賀さんから出雲人形を見せてもらったことがあります。素朴で、見ていてホッとするような温かみのある人形です。「県指定伝統的工芸品」に選ばれていることは雑賀さんに教えてもらって、初めて知りました。雑賀さんは水野佳珠さんを実際に取材して、この文章を書かれたそうです。なお水野佳珠さんの連絡先は、〒633-0122 桜井市出雲1208 電話0744-47-7255です。
雑賀さん、興味深いレポートを有難うございました。10/19(金)のご講話も、ぜひ頑張ってください!