tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

重伝建・小江戸(こえど)埼玉県 川越市を巡る

2018年06月16日 | 観光にまつわるエトセトラ
6月3日(日)、上京のついでに「蔵の町」として知られる川越(かわごえ 埼玉県川越市)に立ち寄った。ここは江戸時代の蔵の風情を残し、「小江戸(こえど)」と呼ばれている。行きは西武新宿駅から「特急小江戸号」で本川越駅、帰りは東武東上線で川越駅から池袋駅へ戻った。どちらも東京から約1時間だ。



川越は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている(1999年)。この町については、「小江戸・川越のまちづくり」(by 福島朋子さん)という記事に詳しく掲載されているので、こちらから主要部分を抜粋して、以下に紹介する。

川越といえば、昔懐かしい「蔵造り」商家が残り、江戸の風情を残す街として観光客も多く訪れる街。



しかし今でこそ小江戸で有名な川越の景観も、一時期は高層ビル街に変わる危機に瀕していたという。そうした中、地元の商店街や住民が声をあげ、まちづくりに改めて取り組むことで、現在の魅力的な川越の街が保持・形成された。



江戸時代と明治時代が共存し、映画のセットの中を歩いているような気分になる

住民主体で行う川越のまちづくりとはどのようなものなのか? 長年にわたり川越のまちづくりを支えている「NPO法人 川越蔵の会」(以下、蔵の会)にお話をうかがった。


駅の観光案内所で町の名物を聞くと、「サツマイモとウナギ」という答が返ってきた

川越は、かつて「新河岸川」が交通の要となり、江戸の北の守りとして商業の発展した地域。東武東上線「川越駅」から約2km北に位置する「一番商店街」には、今も土蔵造りの構造を店舗に利用した「蔵造り」の建造物が立ち並ぶ。蔵造りの町並みを守る「蔵の会」代表 原 知之氏によれば、この蔵造りは江戸の文化を色濃く残す貴重な建造物だという。


町には和菓子屋さんも多い。サツマイモ(救荒作物)を使った和菓子もたくさんある

「川越は、これまでいくつかの大火を経験してきました。特に1893年(明治26年)の大火では街の約1/3以上が焼失するほど甚大な被害に見舞われています。この時、焼失を免れた建造物が蔵造りの建物でした。時はすでに明治に入り、レンガ造りの建造物が流行していた時代。しかしここ川越では火災に強い“蔵造り”に目をつけ、あえて江戸文化を色濃く残す蔵造りにより店舗を再建したのです」


横道へ入ると、祭り道具の専門店があった

その名残が、現在も長さ430mにも及び蔵造りの建造物が点在する「一番街商店街」の姿だ。しかし、明治期に形成されたこの風情豊かな商店街も、1960年代に入ると街の中心地が南側の駅周辺地帯に移り、いつしか人通りの少ない商店街へと姿を変えていく。1960年代~1970年代は「商店街で足を止める人は少なく素通りするだけ」になっていたという。


川越氷川祭(ひかわまつり)=川越まつりが有名だ(同祭写真コンクールのサイトから拝借)

しかも、1970年代後半には周辺に高層マンションが建つようになる。一番街商店街も道路の拡張工事の計画があり保存の危機が訪れていた。そこで商店街の店主や住民は、協力して歴史的な町並みの維持に試行錯誤を重ねていくことになる。



そもそも1970年代の前半から、川越でも歴史的な町並み保存の意識は高まっていたという。川越の蔵造りに興味を持っていた建築家やまちづくりの専門家、大学機関などが川越を舞台にした歴史的街区再生計画のアイデアも提案され、文化庁でも「伝統的建造物群保存地区」に川越の指定を検討していた。しかし、こうした外部からの働きかけはなかなか街に根付かない。当時は商店会側で伝統的建造物群保存地区の指定にも難色を示したという。店主側に“看板も立てられなくなるのでは”という不安が強かったためだ。


左手奥の高層マンションとのコントラストが面白い

「蔵造りの建造物というのは、保存や修復に数百万から数千万の費用がかかることも少なくありません。これを個人で維持していくのは大変なこと。蔵造りは残っていましたが、当時は“蔵で人を呼べる”という考えもなかったため、無機質な看板や自動販売機、室外機などに覆われ、風情を感じられる町並みではありませんでした。蔵を残すためにはどうすべきか、“蔵を残して活用する”のではなく、“まずは商店街を活性化しないと蔵は残せない”と考えるようになったのです」


「2時間待ちもザラ」という老舗「小川菊(おがわぎく)」


番号札を早く取ったので30分待ちで済んだ。しかし注文して出てくるまで30分かかった

そこで、1983年には一番街の商店経営者や住民、川越を応援してくれていた建築家やまちづくりの専門家、有識者などからなる市民団体『蔵の会』(2002年にはNPO法人化)を結成。“蔵造り”の保全だけに目を向けるのではなく、商店街の活性化による街並みの景観保存を目指し活動が開始された。その内容は、まちづくりのデザイン活動や、イベントの開催、伝統的建造物の保存活動や広報および啓蒙活動などだ。


これはうまいっ!上(3,400円)だったか、特上(4,500円)だったかは、忘れてしまった

現在の一番街商店街をみると、その景観は圧倒的だ。重厚な蔵造りの店が通りの両側を埋めている。どこかのテーマパークのように、雰囲気だけを模した古い町並みではない。実際に年月の重みを感じさせる建物群を目にすることができる。それも「蔵の会」「町並み委員会」や「一番街商店街」など、この古き町並みを残そうとする住民の強い意思と働きがあったからだ。


時の鐘

住民主導だからこそ、ひとつの事例が周りに波及し、広いエリアで地域の活性化が実現している「川越」。今でこそ川越の街には重要文化財に指定された建造物が多くあるが、当時は消滅の危機もあった。それを守ったのは住民の強い意志と努力なのだと思う。





しかも保存を終着点とせずに、商店街の発展を目指したことが今の「川越」を形づくった要因なのだろう。次回は、こうした川越のまちづくりを行政側はどのようにサポートしているのか? 行政の立場から川越市のお話をご紹介しよう。

タイムスリップして、江戸時代や明治時代の町を歩いているような気分になった。町の人は親切で、町おこしの経緯を教えてくれたり、お薦めのうなぎ屋さんを教えてくれたり、お茶の販売店では座りこんで新茶を飲みながら町の話を聞かせてくれたり…。何より、町の人たちが自分たちの町を愛し、誇りを持っていることがビンビンと伝わってくるのが良かった。ついお土産もたくさん買ってしまった。

皆さんも大江戸(東京)へお出ましのおりは、ぜひ小江戸・川越をお訪ねください!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする