tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

にわか鉄っちゃん、大井川鉄道をゆく/SLに近鉄・南海電車も!

2018年06月18日 | 観光にまつわるエトセトラ
6月2日(土)、奈良まほろばソムリエの会の柏尾信尚さんとペアを組み、奈良検定の「体験学習プログラム」として法隆寺宝物館(東京国立博物館)を訪ねた。近くの黒田記念館で40分の講話を3本(柏尾さんは「法隆寺」と「宝物館の概要」の2本、私は「聖徳太子と雪丸」の1本)を済ませたあと、法隆寺宝物館を訪ねるという趣向である。


牧之原台地に向かう坂道の途中では、アジサイが咲き始めていた(写真は全て6月1日の撮影)

東京での講座は交通リスクを回避するため、前泊することを基本としている。なので私は前日(6/1)の早朝に奈良を出た。めったにない上京の機会だったので、私は静岡県の浜松駅で新幹線を降り、在来線で金谷駅(静岡県島田市)へ向かった。徒歩で茶畑(牧之原台地)を見学したあと、金谷駅から大井川鉄道(社名は大井川鐵道)に乗り換え、つかの間の鉄道旅を楽しんだ。大井川鉄道に載るのはこれで2度めだ。なお『世界大百科事典』によると大井川鉄道とは、


牧之原の茶畑、広さは東洋一で東京ドーム約560個分・5,000ヘクタール!

静岡県にある延長65.0km(1997)の民営鉄道。創立は1925年。本線は東海道本線の金谷から大井川に沿って千頭(せんず)に至るもので,49年に電化された。井川線は千頭から井川までの非電化線で,中部電力の電源開発に関連して建設された。


昔懐かしい南海高野線の急行車両、これでよく九度山駅から大阪・難波へ行った!

旅客誘致のため蒸気機関車の保存に努めてきたが,76年には国鉄払下げの機関車と客車を用いて本線に蒸気列車を復活させ,その後タイ国から戻ってきた国鉄の機関車も加わった。


座席の背もたれを倒せば、向きが変えられる

千頭駅構内には静態保存の機関車・電車が多数展示されている。井川線は野趣に富んだ風景の中を行く軽便鉄道的な路線で,90年にはダム建設に伴い一部の区間を変更してアプト式を採用した。寸又峡(すまたきよう),南アルプスへの観光ルートとなっている。



寸又峡というと私たちの世代は金嬉老(きんきろう)事件を思い出すが、あれはもう50年前の1968年(昭和43年)の出来事だ。私は金谷から新金谷を経由して下泉(しもいずみ)まで行き、そこからまた金谷まで引き返した(そのあとJRの在来線で静岡、そこから新幹線で東京に向かった)。Wikipedia「大井川鐵道」には、鉄道マニアが説明文を書いている。かいつまんで紹介すると、


新金谷駅でSLに乗り換えた。SLの煙で、写真がかすんでいる

1976年(昭和51年)に日本で初めて蒸気機関車の動態保存を始めた鉄道で、現在でもほぼ毎日運転されている。また、蒸気機関車の保存運転を行っている縁から、1977年(昭和52年)12月19日にスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道と姉妹鉄道提携を結んでいる。


SLの座席はすべて指定席だ

大井川本線で運行されるSL列車(SL急行)に旧型客車を使用していることや沿線の風景から、戦前・戦時中に時代設定されているドラマや映画のロケーション撮影でよく使用される。


地元産品を使った駅弁。絵はがきがついてきた

鉄道路線は大井川本線と井川線(南アルプスあぷとライン)を有する。大井川本線は蒸気機関車 (SL) の動態保存、井川線は日本唯一のアプト式ラック鉄道として知られる。




トイレもそのまま残されている。走行中は使用可能だ

鉄道路線 以下の2路線を経営している。
大井川本線 金谷 - 千頭間 39.5 km/井川線 千頭 - 井川間 25.5 km
大井川本線と井川線とは建築限界が極端に異なり、共通するのは軌間だけである。千頭駅を境に大井川本線と井川線の運行ダイヤは分断されている。この分断は運賃にもみられ、同じ事業者でありながら、大井川本線と井川線相互間を乗車する場合でもそれぞれの運賃額を合算して算出する。乗車券は原則として通し購入可能だが、千頭駅で再購入する場合と同額となる。



発車時間か近づくと、たくさんのお客が乗り込んできた


窓の外には茶畑が広がる。このあたりは川根茶の本場だ

在籍している電車は、ほとんどが他社から譲渡を受けたものである。電化されている大井川本線でのみ運用。電化後間もない頃は国鉄の払下げ車両と西武鉄道からの譲受車両のみで構成されていたが、次第に様々な鉄道から車両を譲受していくようになる。以前はクリームと赤(一部車両は青)の独自の車体色へと塗り替えていたが、最近では譲受車両に動態保存の意味も込めているため、譲受元の車体色のままで運用されている。


下泉駅(静岡県榛原郡川根本町)でSLを下車。ここから金谷へ戻った

21000系 元・南海電気鉄道高野線の大運転(急行)用車両である。夏期の増発や特急車の検査時代走などで特急「臨時こうや号」運用へ充当する必要から、最後まで扉間に転換クロスシートが残されていた第1・第2編成の先頭車4両を譲り受けた。


対向車線に南海電車が入ってきた


おお、私が乗るのは近鉄特急だ!狭軌の南大阪線・吉野線を走る車両だ

16000系 元・近鉄の特急車で、2016年(平成28年)4月現在、2両編成2本が在籍する。トイレの閉鎖とワンマン化改造が行なわれた以外はほぼ近鉄時代のまま使われている。1997年(平成9年)に2編成、2002年に1編成の計3編成を譲受した。


南海と近鉄が1つのホームに並ぶという不思議な光景だ


特急車両なので、シートはふかふか

C10形C10 8 唯一のC10形の現存機かつ動態保存機。1994年(平成6年)4月24日に大井川鉄道に入線し、整備を受け、1997年(平成9年)10月14日に営業運転を開始した。



無事、金谷駅に到着。特急車両なのに「普通」とあるところが、近鉄沿線住民としては面白い

結局私は、金谷→(南海の急行車両)新金谷→(SL)下泉→(近鉄の特急車両)金谷と、3種類の列車に乗ったことになる。SLや近鉄特急はもちろん、子供の頃から慣れ親しんだ南海高野線の急行車両(今は走っていない)に乗れたことには驚いたし、昔の思い出がいろいろとよみがえってきた。皆さんも、ぜひお訪ねください!
コメント (4)
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