tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

黒髪山にまつわるドラマチックな悲話/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第97回

2019年02月03日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。1月10日(木)に掲載されたのは「古代も近代もドラマチック/奈良市の黒髪山」、執筆者は当会理事で奈良市在住の久門たつおさんだった。
※トップ写真は黒髪橋。明治時代に黒髪山トンネルが掘られたが、今は県道になっている

「黒髪山」とはロマンチックな名前だと思っていたが、背後にはこんな悲しい話があったのだ。なお当時は異母兄妹の恋愛や結婚は許されていたが、同母兄妹の恋愛や結婚はタブーだった。では記事全文を紹介する。


基王(もといおう)の墓所の那富山墓(なほやまぼ)

奈良市の奈良ドリームランド跡地や、その北側の丘陵は古来、黒髪山と呼ばれてきました。小高い所に黒髪山稲荷神社があります。山名には悲話が伝わります。第11代垂仁天皇の皇后だった狭穂(さほ)姫は兄の狭穂彦が謀反を起こした時、皇子を出産。狭穂姫は皇子を天皇方に渡して逃げようとし、追っ手に捕まらないよう髪を切り、この山に埋めたといいます。

神社近くに宮内庁管理の那富山墓(なほやまぼ)があります。後に基(もとい)王と呼ばれた聖武天皇の皇子が728(神亀5)年に早世して葬られたといわれています。静かな中に天皇らの悲しみが伝わってくるようです。

時は下って明治時代、京都府南部と奈良を結ぶ「大仏鉄道」の建設で、1898(明治31)年に長さ86㍍の黒髪山トンネルが掘られました。しかし、急坂の難所のためわずか9年で廃線。1966(昭和41)年ごろ、道路拡張で切り通しとなり、トンネルは姿を消しました。興味深い歴史に彩られた黒髪山、気軽に訪ねてみませんか。

■メモ JR奈良駅西口・近鉄奈良駅から加茂駅方面行きバスで「奈保町」下車。停留所南の黒髪橋の下が黒髪山トンネル跡。黒髪山稲荷神社へはトンネル跡南西側の那富山墓石柱を目印に上る(奈良まほろばソムリエの会理事 久門たつお)。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする